シドニー五輪柔道男子100キロ級金メダリストの井上康生さん(47)が振り返る、長嶋茂雄さん(享年89)との公私にわたる親交。後編は大先輩のアスリートとして尊敬する、ミスターの勝負哲学などについて語った。

(取材・構成=南 公良)

 長嶋さんを語る上で外せないのは、言葉の力とハッスルプレー。康生さんはまだ生まれておらず、現役時代のプレーを知らないが、映像では何度も見ている。

 「人を楽しませる、喜ばせる言葉があり、勝負に対する言葉も数多くありますよね。一言一言が面白くユニークなので周りも笑顔になります。常に『ファンあっての』と語っていた印象がある。映像で強烈に覚えているのはバットを持たずに敬遠されたシーン【注1】。相手を侮辱しているのではなく、我々はそれで野球を楽しめるのか? 見ている方々が楽しめるのか? そうじゃないだろう。勝ち負けを超えたプロ野球の魅力ってあるだろう。と、(メッセージを)投げかけているように私は感じました」

 康生さんは五輪で1度、世界選手権は3度世界一に輝いた。長嶋さんは日本シリーズで4度のMVP、計68試合の通算打率3割4分3厘など、短期決戦でも実力を発揮した。力を出せるのはなぜか? 直接、聞いたことがある。

 「ここ一番で勝負強かったので、どういうマインドだったのか非常に興味がありました。

でも、質問と全然違う言葉が返ってきたんですよ(笑)。ただ、俺が結果を出す。ここで打つのが俺なんだよ―と常にメンタルトレをしていたのでは。実は勝負ってそれが大切で、日頃からの緻密(ちみつ)な練習や準備の裏付けを怠っていなかったんでしょう」

 2004年のアテネ五輪。野球日本代表監督だった長嶋さんは、その年の3月に脳梗塞(こうそく)で倒れた。康生さんは日本選手団の主将を務めていて、一緒に日の丸を付けて同じ舞台に立ち、世界一を懸けた戦いに挑むはずだった【注2】。

 「同じ日本代表として戦えたチャンスだった。野球は初めてプロ選手だけのチーム構成だったので、長嶋さんに指揮してもらいたかった。残念でした」

 もし、また長嶋さんに会えたら何を伝えたいか。康生さんは言葉を選び、明かした。

 「たくさんの夢や希望を与えてくれたことに対しての感謝です。いちスポーツ人としても普通の人間としても。

競技は違いましたが、感謝しかないです。ありがとうございました、と」

 人を引きつける動き、言葉の力。そして常に周りのことを気に掛けてきた長嶋さん。魅力的な生きざまは、康生さんの心の奥に今も宿っている。

 【注1】1968年5月11日、中日戦(中日球場)。長嶋は相手ベンチの敬遠策に対し、バットを持たずに打席で構えた。71年6月17日の広島戦(広島市民)でもバットを手放した。敬遠への抗議行動だが、どちらも四球が記録されている。

 【注2】アテネ大会の野球日本代表は、五輪で初めてオールプロで挑んだ。長嶋監督は大会5か月前の3月4日に脳梗塞で倒れ、懸命な治療とリハビリを重ねたが、出場を断念。本大会は中畑ヘッドが監督代行を務め、予選リーグをトップ通過したが、準決勝で豪州に敗れ、銅メダルに終わった。一方、五輪2連覇が懸かっていた康生さんは敗者復活2回戦で敗退した。

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