長嶋茂雄さん(享年89)が監督を務めた1996年、最大11・5ゲーム差を逆転して優勝した「メークドラマ」は札幌円山球場から始まったといわれる。7月9日の首位・広島戦を前に、グラウンドキーパーの駒井広行さん(55、現札幌市スポーツ協会屋外施設グループ統括課長)は長嶋さんに声をかけられ、隣の陸上競技場で一緒に走った。

走りながらミスターは「札幌からの反撃」を宣言したという。(砂田 秀人)

 開始前に11ゲーム差をつけられていた広島戦。巨人の選手、関係者だけでなく、駒井さんら球場を管理するスタッフも緊張感に包まれていた。「僕たちもピリピリ感はあった。笑顔も出せないという思いでいました」。そんな中、長嶋さんだけがリラックスしていたが、前年と違い外野フェンス沿いを走らず、一塁ベンチ付近にいたという。すると、近くを通った駒井さんは広報担当に呼び止められた。「監督が『陸上競技場でちょっとランニングできないか』と言っています」

 円山球場の一塁側には陸上競技場が隣接している。当時、巨人戦は年に1カード。チケット入手は困難で、試合1週間前からファンが並び、右翼席の方向まで列が延びていた。混乱を避けるため陸上競技場は使っておらず、走ることは可能だった。急きょ動線を確保した。

 長嶋さんは無人の競技場に足を踏み入れた。「監督、どうぞ」。声をかけた駒井さんに思わぬ言葉が返ってきた。「一緒に走らないか」と。「えっ?となったけど、光栄だなと思い『よろしいですか』って言ったら『いいよ、一緒に走ろう』と」。職員で唯一、当時26歳の駒井さんは並んで3、4周ジョギングした。

 「心臓はドキドキ。何を話せば…と考えていたら、監督が『ここは緑がきれいだね』『空気がおいしいね』とか話してくれて。その中で『この札幌からまた頑張るんだ』と言っておられた。何かキッカケにしたいというのがあったのでしょうか。その日の試合は先行されながら逆転して、次の日も勝って(東京に)帰られた。その年は本当に優勝して、驚きましたね」

 円山球場では、札幌ドーム(現プレミストドーム)が完成する前年の2000年まで巨人戦が開催された。

毎年、ミスターの言葉が楽しみだった。「僕たち地方球場の職員にも気さくに声をかけてくれた。『グラウンド、いいね』って言っていただけることが励みになった。顔を合わせると『おはよう』って。いなかったですね、そういう方は」

 最後に会ったのは00年。翌年、仲間から話を聞いた。「僕は休みでいなかったけど、職員がふと見たら外野をどなたかが走られていた。声をかけたら長嶋監督で驚いたと。フェンス沿いを30~40分、走られたそうです。その話を聞いて『監督らしいな』と」。球場内の記念室には、当時の写真やサイン色紙などが並んでいる。「貴重な経験をさせてもらった。

円山球場のことも良く思っていただいて、感謝しかないです」。駒井さんは頭を下げた。

 ◆メークドラマ 首位・広島に最大11・5ゲーム差をつけられていた長嶋巨人は、1996年7月9日の広島戦(札幌円山)で、1点ビハインドの2回2死から、後藤孝志の二塁打を手始めに川相昌弘の満塁本塁打など9者連続安打で逆転勝ち。その後も勢いは続き、129試合目でセ・リーグ史上最大差(当時)を逆転して優勝した。長嶋監督が掲げた「メークドラマ」は、同年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれた。

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