◆第107回全国高校野球選手権大阪大会▽決勝 東大阪大柏原6―5大阪桐蔭==延長10回タイブレーク(27日・GOSANDO南港)

 14年ぶりの甲子園を決めた瞬間、東大阪大柏原の土井健大監督(36)は記録員の南野誠道(3年)らと抱き合った。「一瞬で感情がこみ上げて来た」。

タオルで拭っても、あふれる涙が止まらない。「やったぞー! 最高です! 選手には、ありがとうのひと言」と絶叫した。

 7回に追いつかれ、延長タイブレークに突入した10回1死二、三塁。英賀真陽(あが・まひろ)左翼手(3年)が「絶対に決めてやろう」と、三塁線を破る2点二塁打を放った。「チームメートが、きょうは英賀の日と言っていた。何かしてくれると信じていた」という期待通り、7番打者は2安打3打点の活躍を見せた。履正社での高校2、3年時に大阪桐蔭に屈した指揮官は「選手でも監督でも永遠のライバル」という宿敵を破った。

 前日(26日)、履正社で師事した東洋大姫路・岡田龍生監督(64)から電話があった。「これを逃したら、なかなか甲子園に行かれへんぞ。1回目の甲子園は自分の力で勝たせろ。感性を生かして、お前が動かせ」と助言された。「俺は監督じゃない」という方針を掲げる土井監督が「きょうは俺の言うことを聞いてくれ」と、決勝だけは勝負に徹した。

 「打ち出の小づち打法」と名付けたように、各打者はグリップの最上部を持ち、11安打中8安打が中堅から右方向。森陽樹と中野大虎(ともに3年)の二枚看板を攻略した。一方で、普段は2段モーションの先発・川崎龍輝(3年)が試合前に1段モーションを直訴してきて許可した。右腕はタイミングを外しながら、7回途中まで3失点と粘投した。

 能力は高くても自己中心的な選手が多く、昨秋からチームはバラバラだった。「走らない、(球を)追わない、(バットを)振らない」。練習でも「こんなに走らなくても」、「いつまで(ウォーミングアップの)体操をやるんですか?」と文句ばかりが口をついた。転機は、初戦で正二塁手の田村瑛慧(えいす、3年)を先発から外したことだった。「賭けです」。一丸で戦う雰囲気になっていなかったチームが引き締まった。田村はこの日の決勝はフル出場し、1安打。指揮官は「やっとチームメート同士を信じることができた」と目を細めた。

 絶対的な選手がいないなか、7試合で延べ24投手を起用した。巨人でブルペン捕手を務めた経験から、控え捕手の進言にも耳を傾けた。2011年は石川慎吾(現ロッテ)を擁して、藤浪晋太郎(当時2年、現DeNA)がいた大阪桐蔭に7―6で勝利。夏の大阪大会決勝で初めて常勝軍団を2度倒した。

 前近大監督の田中秀昌氏が甲子園初出場に導いてから18年秋に土井監督が就任するまでの間に5人も監督を務めた。就任当初は部長、コーチはいなかった。部員集めに奔走するなか、20年には部内暴力で3か月の対外試合禁止処分を受けた。「野球以外でしんどかった」と感慨深げに漏らした。

 高校通算43本塁打で「ナニワのミニラ」と呼ばれた土井監督は、2006年高校生ドラフト5巡目でオリックスに入団。巨人でもプレーし、同学年は巨人・坂本や田中将らスターぞろい。「選手では難しかったけど、指導者で(甲子園に)連れて来られた。『やったよ』と。

こんなに早く甲子園に行かせてもらえるなんて厚かましい。きょう一日だけは酔わせてほしい」と余韻に浸った。

 選手から胴上げされた指揮官は、グラウンドに落とされた。これが東大阪大柏原の選手と監督の関係性。「『甲子園に出たらもうええから』と言っていた。甲子園では好きなだけ、好きなようにやったらいい」と土井監督。“ミニラチルドレン”が、107回目の甲子園を熱くする。(伊井 亮一)

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