長嶋茂雄さん(享年89)の自主トレの地として有名なのが、静岡県の伊豆半島にある大仁(おおひと)町(現・伊豆の国市)だ。現役の後半期にあたる1967年から73年までオフは大仁ホテルに泊まり込み、部屋での打撃練習やランニングで鍛え上げた。

館内には数々の写真などを飾ったコーナーがあり「ミスター伝説」が語り継がれている。

 74年に引退するまで続いた“大仁山ごもり”。長嶋さんは、大仁ホテルで「日本一の富士山が望める」と気に入り、離れの客室「富士の間」を定宿にした。昼のトレーニングだけでなく、部屋の中にネットを張って夜も打撃練習に取り組んだ。主に4歳年下の淡河(おごう)弘捕手をパートナーにして連日、何百球と打ち込む中、ただ1球だけミスして鴨居にボールを当ててしまったという。その跡は、今も変わっていない部屋に残っていた。

 「実は『富士の間』ができたのは昭和33年(1958年)。偶然にも長嶋さんのプロ1年目と同じなんです」。ホテルスタッフの佐々木義次さん(67)が“ミスター伝説の伝承者”としてさまざまな逸話を明かした。

 別のホテルから転勤で来たのは2002年。長嶋さんが自主トレで訪れた頃は、実際に見ていない。それでも、当時を知るホテル幹部から詳細に伝え聞いた。

また、引退後にテレビ番組の収録で訪れたOBの宮本和知さん、元木大介さんから「長嶋さんのおもしろい話を聞かせてもらえたんです」と笑った。

 「ある日、選手を集めて長嶋監督のゲキが始まったんです。みんな緊張して、物音もしない中で『君たちには今まで“耳からタコが出るほど”…』と。本当は“耳にタコができるほど”。選手は下を向いて、肩を震わせていたそうです」

 現在も淡河さんと親交がある佐々木さんは、一度だけ長嶋さんと会っている。ホテル管理支配人を務めていた16年5月。「読売巨人軍 長嶋茂雄ロード」の完成に伴い、現役当時以来となる訪問が実現した。「朝は土砂降りの雨でした。それがやんで、ホテルに着く頃には晴れて富士山がはっきり見えていたんです」。「富士の間」の庭に足を踏み入れた長嶋さんは、富士山を指さしながら「オ~!」と感激して声を上げたという。

 「いろんなことに縁があったり、奇跡を起こす方なんですよね」。同ホテルで9つある離れの中で、いまだに「長嶋さんが泊まっていた部屋」として高い人気を誇っているという。

(武田 泰淳)

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