巨人のライバルだった名選手が激闘の記憶を語る「巨人が恐れた男たち」。第7回は特別編として、元阪神の江夏豊さん(77)に、スポーツ報知評論家の掛布雅之さん(70)がインタビューした。

猛虎のエースとしてV9時代(1965~73年)の巨人と火花を散らしてきた伝説的サウスポーにとって、巨人とは、ONとは、どのような存在だったのか。後輩の直撃には意外な本音も漏れた。(取材・構成=島尾 浩一郎、太田 倫)

 巨人を王座から引きずり降ろそうと牙をむき、王貞治、長嶋茂雄のONコンビと死闘を繰り広げてきた江夏さん。掛布さんがプロの世界に入ったのは連覇が途切れた74年で、その圧倒的な強さを体感はしていない。

 掛布(以下、掛)「江夏さんにとって、V9時代の巨人っていうのはどういう存在だったんですか?」

 江夏(以下、江)「V9の後、いまだに7連覇、8連覇しているチームさえないわけだよね」

 掛「ええ、ないですね」

 江「まず普通じゃ考えられないよね。2連覇するのも大変なのに、それを続けることのすごさを、間近で見させてもらって。本当に強いんだなと感じた。強かった一つの原因っていうのは…」

 掛「やっぱりONですか」

 江「ONの存在がいかに大きかったかっていうこと。ああいうバッターが2人並ぶっていうことは、異様な感じがしたよね」

 掛「それでも巨人と戦うのは楽しかったんですか」

 江「勝ったときの喜びようは、やったものにしか分からない。負けたときは人一倍悔しいけどね」

 掛「特別な相手でしたか」

 江「あの縦ジマのユニホームを着て、特に甲子園での巨人戦、これは特別なものがあった」

 掛「それは僕も一緒ですねえ…。V9のときに阪神は5回も2位になったんですよね。田淵幸一さんも言っていました。

それくらいたたきのめされたと…」

 江「悔しい思いを数多くしたと思うよ。ブチがあれだけホームラン打っても勝てなかったんだから。同じチームの人間として、悪かったなっていう面は強いね」

 掛「どこかで、V9を止めたいという気持ちはありましたか」

 江「絶えず、V9を止めるために、ジャイアンツを止めるために野球をやっていたわけだから。それは持って生まれた宿命というかね」

 江夏さんの入団当時(67年)は村山実が大エースとして君臨し、長嶋茂雄との対決は伝統の一戦の象徴でもあった。そして江夏さんが終生のライバルと見定めたのは、王だった。

 掛「巨人は組織として戦ってくるチームで、阪神はどちらかというと個人で向かっていく野球でしたよね」

 江「やっぱりそれは、村山実さんの存在感が後々に影響を与えたんじゃないかな」

 掛「村山さんの背中は大きなものだったんですね」

 江「あの人の背中を見て(自分たちは)大きくなってきた。誇り高きいい先輩を持たせてもらったという気持ちはあるね」

 掛「村山さんも特別な思いで巨人に向かっていったんですよね」

 江「村山実と長嶋茂雄の対決っていうのは、自分たちが見ていても、吸い込まれるような、引き込まれるような、それぐらいの値打ちがあったよね」

 掛「江夏さんはどちらかというと王さんを意識したんですか」

 江「もう王さんばかりやったね、途中から。王さんには大変失礼だけど、やっぱりライバルという部分で意識させてもらったよね。王さんが思いを込めてガッとにらんでくるときの眼光のすごさ。いい思い出だよね」

 掛「数字を見ても、王さんに対して全く逃げていないことが分かりますよね。死球が(74年に与えた)一つしかないんですよね」

 江「結果的に四球はあっても、決して初めから逃げたりはしない。死球なんてとんでもないよ。

失礼に当たるもん。投手としての信念だね」

 掛「王さんを打ち取るためのベストピッチはどこですか?」

 江「左打者には左打者のウィークポイントがあるんじゃない? 右足を上げたところは一つポイントだけど…」

 掛「上げたところの膝ですね」

 江「そっちに行くか、もしくは右肘の下のどっちかやろうね。でも、死球なんて…当てようというか、そういう気さえなかったね」

 掛「左に対する内角へのコントロールには自信があったんですか?」

 江「あまりいい方じゃなかったんだけどね。ただ、左打者のときには内角を攻めていくっていうのは、もう自然に頭にあった」

 2人の対戦成績は、67年から80年までの通算12年間(78年以降は広島)で321打席、258打数74安打、打率2割8分7厘、20本塁打、57三振。江夏さんが最もホームランを打たれた打者も、最も多く三振を奪ったのも王だった。

 掛「王さんから打たれたホームランで一番思い出に残っているのは?」

 江「そうねえ、数多く打たれているから、いろいろ、思い出はあるけど…。やはり自分に一番自信を持って言えるのは、結果的にホームランになったけど、逃げなかったということだね」

 掛「王さんにも巨人にも、逃げずに真っ向勝負したと」

 江「それしかなかったから。真っ向から相対した、勝負できたってのは、ピッチャー冥利(みょうり)に尽きるよね」

 68年9月17日の甲子園では、シーズン354奪三振のプロ野球記録を樹立。タイ記録となる353個目も、新記録の三振も、ともに王から奪う離れ業を見せた。

 掛「ホームランと三振という、その数字が全てですよね。王さんを三振に取ると『この若造が』みたいな目をするんですか?」

 江「当時は20歳。若造と思われても仕方がないよね。

で、謙虚さがなかっただけにね。若い頃は…」

 掛「江夏さんにですか?(笑)」

 江「この若造が、とかなり相手から追い込まれた意識は持っていた」

 掛「若い頃にもっと謙虚さがあったら変わっていました?」

 江「まあ、諸先輩の見る目も変わったでしょうね。それくらい、憎たらしい選手に見えたんじゃないかな」

 掛「でも、それくらいの気持ちで向かっていかないと勝てませんよね」

 江「自分たちはそういう気持ちでやったんだけどね。甘い気持ちで勝てっこないわい、という意識はあったから」

 掛「グラウンドでは先輩も後輩もない、と」

 江「ない。諸先輩にそういう育て方をされたから」

 掛「当時はわがままな勝負をやらせてくれた時代だったんですか」

 江「それを許された時代よね。自分勝手じゃなしに、周りの環境がそれを許してくれた時代だった」

 全身全霊をかけ、それでもなお“打倒・巨人”には届かなかった。ただ、命を削るようにして投げた末に、ある思いを抱くようになった。

 掛「巨人で苦手意識があった打者はいたんですか?」

 江「苦手ねえ…みんな苦手だったかも分からないね(笑)。まあ、目くじらたてて、この野郎という感じで、さんざん憎まれながら、マウンドで投げとったんじゃないかな」

 掛「V9を達成されたのは悔いが残ることですか?」

 江「言い換えれば、ONのおかげで勝てなかった。でも、ONのおかげでこれだけ充実した、本当にいい現役生活を送らせてもらったなって思う」

 掛「成長させてくれたのがONなわけですね?」

 江「そういう存在だもんね。それしかないもんね。天下のONに、自分の背伸びを手伝ってもらったこと、力になってもらえたことを大変感謝している。

本当にいい時代に野球ができた。それに尽きるよ」

◆江夏豊の巨人戦名場面

 ▽“やり直し”で新記録

 【1968年9月17日(甲子園)阪神1〇0巨人】西鉄・稲尾和久が持つシーズン353奪三振のプロ野球記録にあと8と迫っていた江夏は、4回に王から三振を奪ってタイ記録。新記録と思っていたが、実は勘違い。そこで、あえて他の打者を打たせて取り、一巡した7回1死、王の次打席で再び三振を奪って354Kの新記録を打ち立てた=写真=。試合も延長12回を完封し、自らサヨナラヒットを放つ独壇場だった。

 ▽涙の逆転3ラン許す

 【1971年9月15日(甲子園)阪神2●3巨人】阪神2点リードで迎えた9回。江夏は8回まで2安打の完封ペースだったが、2死二、三塁から、この日3三振の王に右翼ラッキーゾーンへの逆転38号3ランを浴びた。深刻なスランプだった王は目をうるませ、868本塁打の中でも最もうれしい一本だったと述懐している。

 ◆江夏 豊(えなつ・ゆたか)1948年5月15日、兵庫・尼崎市生まれ。77歳。大院大高から66年ドラフト1位で阪神に入団。76年に南海(現ソフトバンク)へトレードされ、77年からリリーフに転向。

78年に広島、81年に日本ハム、84年に西武移籍。85年、米大リーグ・ブルワーズの春季キャンプに参加も契約に至らず現役を引退。通算829試合登板、206勝158敗193セーブ。2987奪三振、防御率2.49。左投左打。

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