全国高校野球選手権大会は23日、閉幕した。入社1年目の藤田芽生記者は、7月の地方大会から高校野球取材に密着。

心に残った球児を「見た」。

 東洋大姫路・木下鷹大(ようた)投手(3年)の成長から目が離せない日々だった。初めて右腕の存在を認識したのは、アルバイトとして働いた入社前のセンバツだった。

 壱岐(長崎)との1回戦。右肘を痛めたエース・阪下漣に代わって2回に登板すると、8回2安打無失点、9奪三振の快投を見せた。背番号11はヒーローに選ばれ、お立ち台に上がった。「いつでも投げる準備はできていた。一球一球、焦らず投げることだけを考えて投げた結果」。17歳にしては落ち着いていて、淡々とした受け答えが印象的だった。

 入社後は、背番号が「1」になった木下を取材する機会に恵まれた。夏の兵庫大会決勝では、6失点しながらも、148球で9回を投げ切った。「やっと終わった。

甲子園につながった!」と、肩の荷を下ろした。どれだけ点を取られても、平常心で投げられる。心の強さは、どこから来ているのか知りたくなった。

 出場校の事前アンケートを見ると、「好きな言葉」の欄に書かれていた「明鏡止水(めいきょうしすい)」が目に留まった。意味は「邪念がなく落ち着いたさま」。彼の投球そのものだと思った。理由を聞くと、「マウンドでの落ち着いた立ち居振る舞いが、自分にぴったり。中学からずっと使っている」と明かした。

 夏の甲子園準々決勝は、センバツ1回戦とほぼ同じように、エースは2回途中から救援した。8回を無失点に封じながら、沖縄尚学に1―2で敗れた。子供のように泣きじゃくっている姿を見て、背負っていたものの重さを感じた。

 木下はチームが危機に陥ると、必ず登板して抑えてきた。

私はその度に感動し、勇気をもらった。胴上げ投手になるエンディングが見たかったけど、次のステージにお預けだ。静かで、熱く、強い―。社会人1年目に見た木下の投球は、私の記憶に鮮明であり続ける。

 ◆藤田 芽生(ふじた・めい)2002年、香川・丸亀市生まれ。22歳。丸亀高から京産大。大学スポーツ新聞部時代はラグビー担当で、好きなポジションはSH。今夏は高校野球取材が忙し過ぎて、スポーツジムは休会中。

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