入社1年目の松ケ下純平記者は、7月の地方大会から甲子園大会まで高校野球取材に密着。心に残った球児を「見た」。
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春から近畿圏を中心に取材し、最も印象に残った選手が、兵庫・東洋大姫路の白鳥翔哉真(ひやま)外野手(3年)だ。初めて見たのは、春季兵庫大会決勝の報徳学園戦。センバツで主軸を務めた左打者は3打数1安打だったが、「なぜ、7番打者なのだろうか?」と疑問に思ったほど、試合の流れを読む能力、バットでのコンタクト力の高さに魅了された。
名前の由来は“代打の神様”元阪神・桧山進次郎氏。最後の夏、“ひやま”は進化を遂げた。打順が初戦の6番から5番に上がった洲本との3回戦。興奮気味に取材したことを覚えている。3回に失策絡みで4点を先取される苦しい展開。1点差に詰め寄った4回2死二塁では、左前打を本塁に好返球して追加点を阻止した。打撃では計28球を投げさせ、5打数4安打1打点でけん引した。準々決勝の関西学院戦から4番に座り、兵庫大会は25打数17安打の打率6割8分、5打点で14年ぶりとなる夏の甲子園出場に貢献。ますます彼を注視するようになった。
桧山氏の大ファンだった父・一馬さん(49)によれば、1歳から六甲おろしの「2番」を歌い始めたという。高校2年時から同氏の応援歌が使用され、「♪この一打にかけろ~」を背に甲子園でも打撃が光った。西日本短大付(福岡)との3回戦までは、全6安打(12打数)が適時打で7打点を挙げた。
元阪神私設応援団で応援歌の生みの親・市野和則さん(59)は「(桧山氏と同様に)見ていて応援したくなる。老後の楽しみが増えた」と目を細めた。私も全く同じ気持ちだった。プレーは冷静だが、取材時は質問をする記者に正対し、時折見せる笑顔に引き付けられた。
準々決勝で優勝した沖縄尚学に1―2で敗れ、4打数1安打0打点に終わった4番は涙で聖地を去った。活躍しても謙虚で、チームの勝利を一番に考えるナイスガイ。私も記者として精進し、どこかでまた会えたら、もっと良い文章で彼の魅力を伝えたい。(松ケ下 純平)
◆松ケ下 純平(まつがした・じゅんぺい)2001年、東京・東久留米市生まれ。24歳。