◆JERAセ・リーグ 阪神2―0広島(7日・甲子園

 阪神が7日、2年ぶりのリーグ制覇を成し遂げた。2018年は最下位に沈んだが、19年以降は7年連続Aクラスで優勝が2度。

常勝軍団構築の背景には、球団運営の長期ビジョンが存在した。名将・野村克也さんの下で監督専属広報を担当するなど、阪神、楽天でフロント職を歴任してきた嶌村聡球団本部長(58)が、藤川球児監督(45)の手腕や常勝軍団構築の裏側を語った。

 宙を舞う藤川監督を感慨深げに見つめた。阪神・嶌村球団本部長は2年ぶりのリーグ制覇に、充実感を漂わせた。

 「今年、一番うれしかったのが若き指揮官・藤川球児監督で勝てたということ。岡田顧問の教え子である藤川監督で優勝できたのは、時代をつないでいるという感覚が非常に強い。今後もいけるんちゃうかという流れができていることが、私の中で大きな意味を感じている」

 阪神の守護神だった藤川監督は、米カブス、レンジャーズや四国IL・高知などでもプレー。異色かつ豊富な経歴に、嶌村球団本部長は将来の監督としての資質を見抜いていた。

 「普通、MLBに行って、高知に戻ろうという感覚は珍しい。将来的には、指導者になれる、いつの日か監督にという思いが私自身も球団としてもありました。そういう中でスペシャルアシスタント(SA)という肩書をつくって、引き受けてもらった」

 藤川監督が20年限りで現役を退いた後は、SAとしてフロント職を用意。国内外の視察や野球振興などの業務を依頼し、見聞を広めてもらった。

24年1月にはドミニカ共和国でのトライアウトに派遣し、新外国人の調査、発掘も任せた。現場、フロントをつなぐ立場で幅広く動いてもらうことが、球児の血となり、肉となると確信していた。

 「やっぱり彼はマネジメントに重きを置いている。朝から晩まで効果的、効率的に野球を考えていることが、顔を見たら分かる。80人の選手、70人の支配下選手を常に見ながら、適材適所で分け隔てなくピックアップしている。土佐のいごっそうでもあるし、なかなかの厳格者でもある」

 若き指揮官の手腕を認めつつも、球団としては長期的な視点で補強戦略を進めてきたことも見逃せない。佐藤輝を1位指名した20年のドラフトでは中野、石井、村上、伊藤将、高寺らも指名するなど、一気にチーム力を押し上げる補強となった。

 「正直、この年のドラフトで、これだけ1軍選手が出てくるとは思わなかった。この順位で投手がほしい、野手がほしいというランク分け、順位付けをスカウトがしっかりやっていただいたからこそだと思う。下位にいけばいくほど、特長がないとと思っていたところ、石井は(当時の)矢野監督から『ボールに角度があって、これはいい』と8位で指名した。彼は高知に広告も出して【注】、野球に対する取り組み、人間性も素晴らしいですよ」

 今年3月には兵庫・尼崎市に2軍施設のSGLスタジアムが開場。最新鋭の設備で若手が着実に力をつけている。

藤川監督は優勝争いをしている中でも、小幡、高寺、中川、井坪、門別らを積極的に起用してきた。

 「今後も球団経営の目標としては、育成した選手で勝つというところが一つの方向性になる。藤川監督は『自分が預かる時期、時代』という言葉をよく使っていると思うんですけど、彼はタイガースは連続性があって、永続していくものと捉えている。これはフロント的にはありがたい話。でも、ずっとこんなうまくは続かない。黄金期があって、対症療法期があっての流れで回っている」

 1990年代の暗黒と呼ばれた時代から、嶌村球団本部長は縦じま軍団を支えてきた。粋も甘いも知るからこそ、不安や心配は尽きない。その危機感がまた、虎をたくましく、強くしていく。

【注】石井は四国IL・高知のスポンサーを務め、今年4月6日のソフトバンク3軍戦は「石井大智冠試合」として協賛。直筆サイン入りの限定コラボ缶バッジが先着69人に配られるなど、古巣球団、ファンに恩返しを行っている。

 ◆嶌村 聡(しまむら・さとし)1967年9月3日、大阪府生まれ。58歳。

関学大では野球部。91年4月に阪神電鉄入社。甲子園球場担当などを経て、94年に阪神球団へ出向。野村監督の専属広報を務めた後、02年から編成部に異動。06年に退団し、楽天で再び野村監督の専属広報に就任。10年に阪神に復帰。21年4月から球団本部長。今年から野球振興室長も兼務。オールバックの髪形が30年来のトレードマーク。

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