◆JERAセ・リーグ 阪神2―0広島(7日・甲子園

 優勝マジック1としていた阪神が7日、2023年以来、2年ぶり11度目(1リーグ時代4度を含む)のリーグ優勝を決めた。90年の巨人の9月8日を上回る2リーグ制史上最速の日付けでのV決定。

藤川球児監督(45)は球団創設90年で初めて新人監督として頂点に立った。チームは2年ぶり3度目の日本一に向け、10月15日からCS最終ステージに臨む。

 火の玉のごときスピードで、ゴールテープを切った。地鳴りのような拍手と「球児」コール。慣れ親しんだ聖地の中心に歩を進め、藤川監督は「胴上げしやすいように」と2週間ほど前からダイエットした体をナインにゆだねた。力強く右拳を突き上げ5度、甲子園の夜空に高く舞った。

 「選手たちが強いわ! 最高の気持ちです!」。コーチ経験なく、球団の新人監督初のリーグ優勝を同最多78勝目で達成した。5月17日に首位に立ち、その座を1度も譲らずにセの貯金まで独占。「普段からオレンジ色が気になった」と、燃えた巨人戦で球団初の球宴前のシーズン勝ち越しを決めて勢いに乗った。50年の2リーグ制後では90年9月8日の巨人を抜き、NPB史上最速Vを成し遂げた。

 「恩返しがしたい。

こんな名前(球児)だし」と5年ぶりに袖を通したタテジマ。「没頭」と「凡事徹底」をテーマに掲げ、守り勝つ野球を目指した。「チームの心臓」と表現するブルペン陣はプロ野球記録の48試合連続無失点中の石井を筆頭に、最強布陣を構築。エース才木は5回途中で危険球退場したが、救援5投手の執念継投で26度目の完封を収めた。NPB通算243セーブのノウハウを生かした運用で、チーム防御率2・12はリーグ断トツだ。

 打線は開幕3番・佐藤輝、4番・森下の目玉構想を「朝令暮改」と笑って、14試合目でスイッチした柔軟さが奏功。以降は1~5番を基本固定した。一方で、遊撃や左翼は重視するデータも加味した上で実力起用。「顔と名前と背番号は関係ない」。この日は高卒5年目の高寺が2回に先制犠飛。29歳の熊谷ら中堅にも光を当てた。「全員が戦力」と、1、2軍の入れ替えは昨季の延べ128人を大幅に上回る同199人に上った。

 監督としての分岐点の一つは4月28日。試合がなかった日に、手帳のカレンダーの欄に「優勝できることが分かった」と書き込んだ。自分に言い聞かせたわけではない。前日27日の巨人戦(甲子園)に敗れて連勝が6で止まりながら、不思議な感情が芽生えた。「悔しくなかった。ここからは負けるたびにチームが強くなると感じた」。監督室の計画表に交流戦の7連敗を「梅雨休み」と記入。敗戦に動じる気持ちは消えた。

 象徴的な体調管理は昨秋キャンプが始まりだ。トレーナー陣に全選手の故障歴のレポート提出を求め、原因追究。今春は下半身の負担軽減を目的にウォーミングアップを人工芝から土のグラウンドに変えるなど、練習環境から見直した。投打ともに主力に休養日も設定。

「組織が潰してはだめ」。練習時のハーフパンツ着用許可をはじめ、選手ファーストで次々と改革した。

 ただ、虎に全てを注ぐ姿勢は家庭にしわ寄せがいった。「自分は器用じゃない。チームに関わる関係者、その家族の人生を預かる以上、自分の家族を一番には考えられない」。頭は野球で埋め尽くされ、正月の家族の恒例行事ですら一人不参加。夫婦の会話も極端に減った。「妻に本当に申し訳ない」が、人間・藤川球児の本音だ。客席で見届けた英子夫人(49)に感謝しかない。

 優勝監督インタビューの締めに高らかに誓った。「3月には(プレシーズンゲームで)ドジャースカブスも倒しましたので(笑)。世界に誇れる阪神タイガースにしていきましょう!」。

座右の銘は球団OBの村山実さんらの「球道一筋」から着想を得た「球進一歩」。着実に勝利を積み重ねて球団創設90周年に、その名を刻んだ。(小松 真也)

 ◆藤川 球児(ふじかわ・きゅうじ)1980年7月21日、高知市生まれ。45歳。高知商から98年ドラフト1位で阪神入団。2005年にプロ野球新80登板、07年は同46セーブ(ともに当時)。12年に報知新聞社制定「第14回ゴールデンスピリット賞」受賞。同年オフにカブスに移籍し、レンジャーズを経て15年6月に四国IL・高知入団。同年オフ阪神復帰。20年に引退後は球団本部付SAなどを務め、昨年10月監督就任。NPB782登板で60勝38敗243セーブ、防御率2・08。MLB29登板1勝1敗2セーブ、防御率5・74。

右投左打。

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