京都・伏見工高(現京都工学院高)ラグビー部元監督の山口良治さんが29日、亡くなった。83歳だった。

元日本代表フランカーの山口さんは弱小校だった同高を率いて、1980年度の全国高校大会で初優勝。また元日本代表の大八木淳史氏や故・平尾誠二氏ら多くの人材を育成。その情熱的な指導ぶりは、ドラマ化されるほど話題を集めた。元担当記者が山口さんを悼んだ。

「これ飲めば温まるよ」―。体育教官室で勧められたウイスキー入りの紅茶。練習取材後、山口先生の優しい気遣いだった。伏見工に大型の選手がいると聞いて取材に訪れたのが1978年。大八木淳史の取材が出会いだった。「将来は間違いなく日本代表選手になりますよ」。熱い口調が印象的だった。先生の言葉そのままに原稿にした。

 その後、伏見工は強いと思い、足繁く取材に通った。グラウンドで寒さに体を縮めていると、「これ、ニュージーランドのダウンやで」と着せてもらったことが思い出される。優しさと気遣いは、こわ面の風貌からは想像もできないものだった。

 練習終了後には「片山さん一言」と円陣を組む選手たちの前でコメントを求められた。OBでもないのに、と戸惑ったこともあった。

 伏見工が劇的な初優勝を飾った1980年度の全国大会。終了の瞬間、グラウンドレベルで先生の横にいると、号泣する姿に取材者でありながら、つられて涙が浮かんできた。周りを感動の渦に引き込む不思議な魅力があった。「子供たちにとって記事にしてもらうことが励みになるんです。ありがとう」。その後、担当を外れても優勝の度に祝勝会に呼んでいただいた。

 初めて出会った時から、荒廃した高校の実情、ゴールポストもないところからスタートした当時の話を熱く語り、その熱弁に聞き入った。

親以上の情熱を選手に捧げ、まさに座右の銘の「信は力なり」で伏見工ラグビーの礎を築いてきた自負も強く感じさせられた。

 2017年2月、約20年ぶりに話したのが平尾誠二氏を悼む「感謝の集い」の会場だった。グラブのようなごつい手で握手された。「まだ仕事しているの。ウイスキー入りの紅茶、おいしかったやろ」。出会ったころのことをいまだに覚えておられたのがうれしかった。合掌。(報知新聞OB、元ラグビー担当・片山 孝典)

 ◆山口 良治(やまぐち・よしはる)1943年2月15日、福井・三方郡南西郷村(現美浜町)生まれ。若狭農林高(現若狭東高)でラグビーを始め、日大から日体大へ編入。卒業後、岐阜で高校教師となり、66年に日本代表に初選出。フランカーとして数々の海外遠征にも参加し、キャップ13を獲得。75年に伏見工でラグビー部監督就任。

98年に総監督となった後、京都市スポーツ政策監や、教え子たちが監督を務める浜松大ラグビー部特別顧問、環太平洋大ラグビー部総監督などを歴任。2013年11月には、競技を通じて社会貢献したとして国際ラグビーボード(IRB)から日本人初の「IRBラグビースピリット賞」に選ばれた。

編集部おすすめ