「ブルー・ライト・ヨコハマ」「亜麻色の髪の乙女」などを手がけ、昭和の歌謡界をけん引した作詞家の橋本淳(はしもと・じゅん、本名・与田準介=よだ・じゅんすけ)さんが肝硬変のため亡くなったことを受け、2002年に「亜麻色の髪の乙女」のカバー楽曲がヒットした歌手の島谷ひとみが1日、追悼のコメントを寄せた。

 「亜麻色の髪の乙女」は1968年にグループサウンズの「ヴィレッジ・シンガーズ」の楽曲としてリリース。

島谷のカバー版は原曲にさわやかなユーロビートサウンドが融合され、自身最大の大ヒット曲に。島谷はこの曲で02年の「NHK紅白歌合戦」に初出場した。

 島谷は「私の人生の物語を描いてくれたような存在」と恩人に感謝。橋本さんの詞の魅力について「今の時代にはなかなかない生きてきた人生と照らし合わせるような素敵(すてき)な物語でした。橋本淳さんの詞の世界が大好きでした」とつづった。

 ここ最近は会う機会がなかったといい「会える時には必ず会わなければと今強く感じております」と突然の別れに心を痛めている様子。「私に作ってくれていると言ってくださっていた新曲も聴きたかったです。これからも私は亜麻色の髪の乙女を大切に歌わせていただきます」と思いをつづった。

【島谷ひとみコメント全文】

 橋本淳さん

 まるで、私の人生の物語を描いてくれたような存在でした。

 亜麻色の髪の乙女という曲を作ってくださりありがとうございました。

 橋本淳さんの詞の世界は、どの曲も表現に奥行きがあり、想像力を掻(か)き立て、今の時代にはなかなかない生きてきた人生と照らし合わせるような素敵な物語でした。

 橋本淳さんの詞の世界が大好きでした。

 私が亜麻色の髪の乙女をカバーをさせていただいた後、お食事にご招待くださりました。

 ご自宅で奥様の手料理を振る舞ってくださり、「どこのレストランよりも妻の料理の方が美味しくってねぇ。」と素敵な笑顔でさらりと言うとても素敵な橋本淳さんを今も覚えております。

 ここ数年はぜひお会いしましょうと言いながら会えませんでした。とても悔やんでおります。

 会える時には必ず会わなければと今強く感じております。

 私に作ってくれていると言ってくださっていた新曲も聴きたかったです。

 これからも私は亜麻色の髪の乙女を大切に歌わせていただきます。

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 ありがとうございました。

島谷ひとみ

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