3人組歌謡コーラスグループ・純烈が8日、都内で会見を行い、リードボーカル・白川裕二郎が2027年3月31日をもってグループを卒業すると発表した。純烈新メンバーを募集するオーディションとブレイク中の弟分・モナキに続くグループメンバー募集オーディションを開催する。

 白川は甘いルックスと歌声で多くのマダムをとりこにしているが、多くの壁を乗り越えてきた苦労人でもある。両親が相撲好きで、自身も千代の富士の大ファンだったため、高校卒業後にスカウトされて大相撲・朝日山部屋に入門した。「白川」の名前で1995年秋場所で初土俵。5場所で16勝12敗。時には涙を流しながら食事をとったこともあったという。体重を105キロまで増量して序二段99枚目まで上がり、四股名を「綱ノ富士」に変えたが、けがが多く、1年で角界を去った。

 それから不遇の時代が訪れる。リゾートバイト、スキー場のインストラクター、ウェーターなどアルバイト生活を送るが、つまみ食いがばれてクビになったこともあったという。

 見かねた母親から劇団俳優座への入団をすすめられた。2018年のスポーツ報知の取材で「つまらない男にはなっちゃダメだっていうのはずっとウチのオカンの口癖で。それで、俳優、あんたやってみなって。母親は学校の先生だったんですよ。

芸能関係とは全然。だからすごい珍しい。僕は、母親が43歳の時の子で、4500グラムの超ジャンボ児。帝王切開で生まれて。小さい時は勉強しろってずっと言われたんですけど、家庭的には年がだいぶ離れているから、すごいかわいがってもらった」と振り返っていた。

 劇団俳優座のオーディションに合格したが、険しい道は続いた。トラック運転手のアルバイトを2~3年続けながら、何十とオーディションを受け続け、25歳の時に「忍風戦隊ハリケンジャー」のカブトライジャー(霞一甲)役に抜てきされ、俳優デビューを飾った。2004年にフジテレビ系昼ドラ「牡丹と薔薇」、NHK大河ドラマ「功名が辻」(06年)、「天地人」(09年)など、話題作にも出演した。

 転機となったのは、2007年に酒井一圭から純烈のメンバーとして誘われたこと。2018年のスポーツ報知のインタビューで、酒井から勧誘を受けた当時について「僕はオヤジが小6の時に亡くなって母親が女手一つで育ててくれて。それで、『親孝行してぇだろう、じゃあ一緒にムード歌謡やろうよ』って。『えっ、それ、ナニ?』ってところから始まって」と明かしていた。

 3年間の下積み期間を経て、10年に「夢は紅白! 親孝行!」を掲げて「涙の銀座線」でメジャーデビューしたが、鳴かず飛ばず。レコード会社が変わったこともあったが、リードボーカルとしてボイストレーニングを欠かさなかった。

 全国の健康センターやスーパー銭湯など多い年で年間200以上のステージに立ち、2018年にブレイク。「スーパー銭湯アイドル」として地道な活動が実り、勝負曲「プロポーズ」は出荷10万枚を突破。結成11年目で初めて紅白出場を果たした。

 夢舞台に立った後も苦労を重ねた。19年1月に元メンバー・友井雄亮さんが週刊誌の報道をきっかけに芸能界を引退。20年11月に断裂していた左肩腱板(けんばん)の手術を受けたことも。困難をはねのけて24年、目標としていた日本武道館で初の単独公演を行い、7000人を熱狂させ、25年末まで8年連続で紅白に出場した。

 今年12月11日に50歳の誕生日を迎えるタイミングでの決断。突然の発表に驚くファンも多いかもしれないが、元メンバー・小田井涼平も50歳になるタイミングでグループの活動を終了する意向を示し、事務所とメンバーに相談していた。また昨年12月、白川は自身の公式Xで、最愛の母が亡くなり、四十九日を迎えたことを報告していた。

女手一つで育ててくれた母への親孝行をまっとうし、50歳を迎えるタイミングで新たな道に進むことを決意したのは、自然な流れのようだ。

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