アメリカとカナダ、メキシコの3か国が共同開催する国際サッカー連盟(FIFA)のワールドカップ(W杯)が2026年6月11日に開幕します。開催地の一つであるアメリカ東部ニューヨーク都市圏では、ニューヨーク中心部の島・マンハッタンから近郊の競技場までの列車の大人往復運賃が「150ドル」、1ドル=160円(以下同)で2万4000円という高額に設定されました。
【ここが往復2.4万円!?】ニューヨークと「W杯会場」の位置(地図/写真)
運行するのは機関車に連結した“ごくフツー”の通勤形客車で、通常ならば12.90ドル(約2060円)です。なぜ12倍弱にも跳ね上がるのでしょうか。そこには、イスラエルとともにイランを攻撃して中東での戦闘を引き起こしたドナルド・トランプ大統領(共和党)が率いるアメリカの事情と、世界からの注目を浴びるスポーツ大会の開催費用を巡る駆け引きがありました。
サッカーW杯のニューヨーク都市圏の会場となるのは、ハドソン川を隔ててマンハッタンの対岸にあるニュージャージー州の競技場「メットライフ・スタジアム」です。収容人員が8万2500人の巨大施設で、プロアメリカンフットボール(NFL)の「ニューヨーク・ジャイアンツ」と「ニューヨーク・ジェッツ」の本拠地となっています。
競技場のネーミングライツ(命名権)はアメリカの生命保険大手メットライフが持っていますが、サッカーW杯の期間中は「ニューヨーク・ニュージャージー・スタジアム」の呼称が使われます。6月13日以降に8試合が順次実施され、7月19日の決勝戦の舞台にもなります。
競技場の目の前には、ニュージャージー州運輸公社「ニュージャージー(NJ)トランジット」のメドウラウンズ・スポーツ・コンプレックス駅があります。ニューヨークの主要駅の一つ、ペンシルベニア(ペン)駅から向かうにはNJトランジットの電車に乗り、一駅目のセコーカス・ジャンクションで下車。支線の列車に乗り換えると、次の駅がメドウラウンズです。乗り換え時間を含めた所要時間は約30分です。
NJトランジットはサッカーW杯の観戦券を持っている人たちを対象に、150ドルの往復きっぷを5月13日に発売します。
それでも、W杯ニューヨーク・ニュージャージー開催委員会は1試合当たり約4万枚を売り出す往復切符が「完売すると見込んでいる」と強気な見方を崩していません。
所在地は「陸の孤島」高額でも大勢の鉄道利用が見込まれている背景には、競技場が「陸の孤島」と呼ぶべき僻地に位置するという事情があります。
筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は勤務先のニューヨーク、ワシントン両支局駐在中にメットライフ・スタジアム近辺を訪れましたが、自動車社会のアメリカだけに、周辺に整備されているのは主にマイカーで訪れることを想定した自動車道でした。よって、通常運賃の路線バスで周辺地域まで行き、そこから歩いて向かう方法は難しそうです。
鉄道以外では、マンハッタンなどと結ぶシャトルバスが往復運賃80ドル(1万2800円)で運行されます。マイカー利用者向けには、近くにある大型商業モールの約5000台分の駐車場のスペースが前売り販売されており、現在の価格は1台当たり225ドル(3万6000円)に跳ね上がっています。
同じくW杯が開催されるアメリカ東部マサチューセッツ州ボストン近郊の競技場「ジレット・スタジアム」(W杯期間中の呼称は「ボストン・スタジアム」)も、マサチューセッツ湾交通局(MBTA)の鉄道で競技場最寄りのフォックスボロとボストン中心部の往復運賃は80ドルと通常の4倍です。ただし、NJトランジットの通常の12倍弱に比べると上げ幅は限定的です。
「慢性的な赤字です」そこに訪れる巨大イベントそれでは、なぜNJトランジットの往復運賃は150ドルに定められたのでしょうか。背景には、世界的なスポーツ大会の開催でかさむ費用を「誰が負担するのか」という問題がありました。
マサチューセッツ州ボストン中心部の駅に停車中のマサチューセッツ湾交通局(MBTA)の列車。
アメリカの公共交通機関は「赤字が当たり前」です。ニュージャージー州内の鉄道や路線バスを運行し、アメリカ最大の都市ニューヨークへの通勤客らが多く利用するNJトランジットも慢性的な赤字状態で、2025年6月期決算(24年7月~25年6月)の本業の損益を示す営業損益は27億4390万ドル(1ドル=160円で約4390億円)の赤字でした。
すなわちサッカーW杯の観客を運ぶための列車運行も、通常の運賃であれば費用がかさみます。
また、厳重な警備体制を敷くことも欠かせません。というのも、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロでは、ニュージャージー州に隣接するマンハッタンに林立していた2棟の超高層ビル「世界貿易センタービル」に旅客機2機が突っ込み、崩落しました。
FIFAは大激怒!折しも、好戦的なトランプ氏はイラン攻撃にとどまらず、1月に南米ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領(当時)を拘束して政権を崩壊させたり、反米姿勢を鮮明にしている中米キューバを経済制裁によって追い詰めたりしており、「トランプ政権のために反米感情が世界で高まっている」(アメリカ人経営者)という危険な状態にあります。
ハドソン川を挟んでニュージャージー州から眺めたニューヨーク中心部マンハッタン(大塚圭一郎撮影)
トランプ氏が出席した2026年4月25日の首都ワシントンでの夕食会では、会場近くでトランプ氏らを狙った会場近くでの発砲事件が発生。過去にもトランプ氏を狙った暗殺未遂事件などが複数回起きており、大統領選候補として演説していた2024年7月には銃撃を受けて右耳を負傷しました。
国際的なスポーツ大会はただでさえ「注目度が高いためテロなどの標的にされるリスクがあり、厳重な警備が必要となる」(政府関係者)とされますが、アメリカおよびトランプ政権が国内外から反感を買っていることを踏まえればなおさらです。
筆者の知人のアメリカ人も「私たちを見る目が厳しくなっており、外国を旅行する時にはアメリカ人だと思われないようにオーストラリア人のような英語で話すようにしている」と打ち明けました。
W杯サッカーの開催費用がかさむ中でニュージャージー州のミキー・シェリル知事(民主党)は、NJトランジットを通常運賃で運営した場合には少なくとも4800万ドル(76億8000万円)の費用負担を強いられると試算。「開催のためにニュージャージー州の通勤者や、納税者を犠牲にしてはならない」と訴え、W杯期間中に110億ドル(1兆7600億円)を稼ぎ出すFIFA側に対して観客輸送の費用負担を求めました。
しかし、FIFAはアメリカの他の開催都市では公共交通機関の運賃がおおむね据え置かれていると反論して拒否し、平行線をたどりました。
このため、ニュージャージー州は列車運行に加え、利用者の誘導や警備といった費用も支出しても理にかなうNJトランジットの往復運賃として150ドルという高額をはじき出したのです。
FIFAの2026年W杯のハイモ・シルギ大会運営責任者(COO)は、運賃設定について「萎縮効果をもたらす」と批判。観客が鉄道利用を避けることで「必然的に他の交通手段へ向かわせる」とし、そのために「混雑や到着の遅延といった懸念を高め、より広範なマイナス効果を生み出し、最終的には地域全体がW杯開催によって得られるはずの経済的利益や永続的な遺産を損なうことになる」と警告しました。
果たして鉄道で往復150ドルの“プラチナチケット”は「完売」するのか、それとも敬遠されてせっかくの列車が空気を運ぶことになるのか。その成り行きは、サッカーW杯の好カードも顔負けの“目玉試合”になりそうです。

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