「モノレール三国志」の時代

 日本は世界でもまれに見る「モノレール大国」です。重慶市に約100km、蕪湖市に約45kmの路線網を建設した中国に総延長こそ追い抜かれましたが、全国7都市に10路線という広がりを持つのは日本だけです。

ただの“生き残り”じゃなかった? 世界有数の「モノレール大国...の画像はこちら >>

 モノレールは大きく分けて、桁をまたいで走るものを「跨座式」、桁にぶらさがって走るのを「懸垂式」といいます。懸垂式は導入事例が少なく、現行路線では湘南モノレール、千葉都市モノレール、廃止路線を含めても上野動物園モノレール、東山公園モノレールくらいで、国内で建設された路線のほとんどが跨座式です。

 現存最古の東京モノレールは、「アルヴェーグ式」と呼ばれる規格を採用しています。これは1950年代にドイツで開発された規格で、走行路にコンクリート桁、車輪にゴムタイヤを採用したのが最大の特徴です。

 アルヴェーグ式の登場でモノレールが将来有望と見た大手メーカーは事業に参入します。日立製作所はアルヴェーグ社と技術提携を締結。東京芝浦電気(東芝)はアルヴェーグ式をベースに国産技術のみで構成した「東芝式」を開発。川崎重工業グループは米航空機大手ロッキードと「ロッキード式」を開発し、売り込みをかけました。

 1960年代のモノレールブームにおいて、三つの規格はそれぞれの勢力圏を広げました。

・日立アルヴェーグ式:名鉄モンキーパークモノレール(1962年開業、2008年廃止)、よみうりランドモノレール(1964年開業、1978年廃止)、東京モノレール
・東芝式:奈良ドリームランドスペースライナー(1961年開業、2003年休止)、ドリームランド線(1966年開業、1967年休止)
・ロッキード式:姫路市営モノレール(1966年開業、1974年休止)、小田急向ヶ丘遊園モノレール(1966年開業、2000年休止)

 ただ、この一覧からも分かるように、ほとんどの路線がテーマパークの関連施設であり、いずれも短期間で営業を休止・廃止しています。このままでは本格的な都市交通機関になり得ないと考えた運輸省は、1967(昭和42)年に「都市交通に適したモノレールの研究開発」を指導し、普及に向けた統一規格「日本跨座式」が策定されました。1970年以降、国内で整備された跨座式モノレールは全て同方式を採用しています。

 日本跨座式は日立アルヴェーグ式をベースとしているため、現在の東京モノレールと大阪モノレール(1990年開業)や多摩都市モノレール(1988年開業)は、モノレールに詳しい人でなければ、ほぼ同じシステムのように見えるかもしれません。

 そのため日本のモノレール史は、東芝式やロッキード式などの「失敗作」が脱落し、生き残った東京モノレールが順当に進化して現在の形になったと語られがちです。しかし現在の東京モノレールは日本跨座式の設計思想を取り入れたものであり、当初の日立アルヴェーグ式はそれとは異なる姿でした。

「最強のモノレール」を志した日本跨座式

 日本跨座式は単に統一規格を定めただけではありません。ライバルだった日立・東芝・川崎が手を携えて、実用的な交通機関という実績を持つ東京モノレール(日立アルヴェーグ式)をベースに、東芝式、ロッキード式の利点を取り入れた、いわば「ぼくたちの考えた最強のモノレール」を作ろうという意欲的な試みだったのです。

 3方式の中で唯一、鉄レールと鉄輪で走行するのがロッキード式です。ゴムタイヤより負担荷重が大きいため鉄道と同等の輸送力を持ち、レールを走行するため高速運転が可能かつ揺れも少ないのが利点です。鉄道車両と同様に2軸ボギー台車を採用し、車輪径が小さいため、床は完全にフラット化されました。

 また、ロッキード社の航空技術を導入した軽量車体の採用により、軌道の支柱を小さくかつ長い間隔で建てられるため、建設費低減につながるのも売りの一つでした。最高速度120km/h(将来的に160km/h)、最大12両編成という意欲的な規格でしたが、都市交通機関としてはオーバースペックかつ騒音が大きいため、モノレールのニーズとマッチしませんでした。

 東芝式の特徴は車両にありました。日立アルヴェーグ式の車両は、車両に1両あたり2軸のタイヤを備えていましたが、東芝式は走行装置を搭載した2軸連接台車を採用。

これを車体と接続して自己操舵機能を持たせることで、タイヤの寿命を劇的に延長させたのです。

 ただ、初の営業路線となったドリームランドモノレール大船線は自慢の車両でつまずいてしまいました。設計が二転三転する中で車両重量は計画をはるかに上回り、これが共有されないまま運行開始したことでコンクリート桁が損傷し、開業1年半で運行休止に追い込まれてしまったのです。

 日立アルヴェーグ式の弱点は輸送力でした。ダイヤ1本あたり5tの荷重が限度なので、2軸4輪で1両あたり20tです。車体重量が13t(当時)なので、平均55kg×120人(7t)しか乗れません。そもそも車内床にタイヤハウスが突き出しているため100人も乗れず、大量輸送交通機関の役割を果たせないという課題もありました。

 そこで日本跨座式は、2軸ボギー台車を採用。1両あたり4軸8本の小径タイヤを使用するとともに、車両の床を上げてフラット化しました。車両は軽量化を徹底し、乗車定員の増加と設備のスリム化で事業の収支採算性を改善しました。これらは東京モノレールの設備更新にあたり可能な限り反映されています。

 川崎グループは1961(昭和36)年に設立した「日本ロッキード・モノレール」を解散して日本跨座式に参入し、現在でも日立とともにモノレール車両を製造しています。

かつて激しい受注合戦を繰り広げた3社の連合がなければ、その後のモノレールの発展はなかったことでしょう。

【写真】昔の東京モノレールと全国各規格のモノレールを見る

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