プロ通算わずか20安打、打率は1割台。

“足”という武器ひとつで「異例の侍ジャパン入り」と評されたソフトバンクの周東佑京(しゅうとう・うきょう)。

プレミア12初優勝を果たした今大会のなかで、彼の価値と知名度は一気に高まった。

「獲物を追う動物」プレミア12で世界を驚かせた周東佑京の走塁...の画像はこちら >>

プレミア12でも4盗塁を成功させた周東佑京

「山田(哲人/ヤクルト)さんとかにどうやって盗塁しているのかを聞いたり、そのほかの人にも盗塁の仕方だったり、意識だったり、そういったのを聞いたりすると、すごく刺激になりますね。新鮮というか、自分にない部分が多いので、すごく勉強になりました」

 今大会ではすべて途中出場ながら4盗塁で大会の盗塁王を獲得。つまり”世界一の俊足”という称号も手にしたのだ。

 なかでも圧巻だったのは、ZOZOマリンスタジアムで行なわれたスーパーラウンド初戦のオーストラリア戦。まさしく、周東の足が侍ジャパンを救ったと言っても過言ではない活躍を見せた。


 1点ビハインドの7回、先頭で吉田正尚(オリックス)が中前打を放つと、稲葉篤紀監督は迷わずベンチから飛び出し、アンパイアに向かって一塁ベースを指差して名前を告げた。次の瞬間、テレビの実況アナウンサーは興奮した声でこう叫んだ。

「さぁ、日本のジョーカー、切り札がここで投入されます」

 周東は、何度もけん制を投げられるなど警戒されながらも、浅村栄斗(楽天)が三振に倒れた5球目に二盗を成功させた。次打者の松田宣浩(ソフトバンク)は三振で2アウトとなったが、続く源田壮亮西武)の3球目に三盗を決めた。

「源田さんなら内野安打があると思った」

 そして2アウト三塁となった4球目、源田が選んだのはセーフティバントだった。おそらく日本中のファンが驚いたに違いない。
それは周東も同じだった。しかし、それでも快足を飛ばして、最後は投手のタッチをかいくぐって同点のホームを陥れたのだ。

 この場面について、ソフトバンクで周東を指導する本多雄一コーチが興味深い話をしてくれた。

「盗塁や好走塁というのは、ただ足が速いだけでは成功しません。展開の予想、判断能力の高さが必要になります。それは当然のことで、プロの世界でも『そこを磨かなきゃ』という声をよく聞くと思いますが、それって教えて上達するものじゃない。

ある意味生まれ持ったものなんです。獲物を追う動物と同じです。そういう観察力みたいなものは野球を始めた小さな頃から、それができている選手はずっとできる。周東はその点は優れていると思います」

 本多コーチは現役時代、2年連続盗塁王を獲得するなど通算342盗塁の”走り屋”だった。現役最終年だった昨年は、おもにファームで過ごしたこともあり、周東とは先輩と後輩の間柄で1シーズンを過ごした。

 東京農業大学北海道オホーツクキャンパスからプロ入りした周東は育成ドラフト2位でのプロ入りだった。
1年前の今頃はまだ背番号121を背負っていた。

「僕は大卒だから時間がないんです」

焦りの言葉は1年目の春先からずっと口にしていた。育成同期の大竹耕太郎が支配下入りした頃、周東は二軍から三軍行きを命じられた。あの時は見るからに落ち込んでいた。

 1年目から何か形を残さないといけないと考えた周東は、ウエスタン・リーグの盗塁王にこだわった。その時に親身になってアドバイスをくれたのが本多先輩だった。


「僕はスタートが苦手。本多さんにその話をしたら『リードの時に自分は帰塁する意識はない、常にスタートすることを考えている』と言われました」

 また、昨年限りで引退したもうひとりの先輩である城所龍磨からはリードの小ささを指摘された。

「ウエスタンの最後の3連戦の前、僕はトップじゃなかったんです。どうしても盗塁王を獲りたかったので、僕のなかで思い切ってリードを大きくとって、迷わずスタートを切りました。結果は3試合で6盗塁。シーズン27盗塁でタイトルを獲ることができたんです」

 そのスピードを買われて今年3月のオープン戦は背番号100番台のままで一軍帯同した。

しかし、オープン戦では3度の盗塁を試みたが、3度すべて失敗に終わった。それでも3月26日に支配下登録され、昨年まで城所がつけていた背番号23を手にした。

 開幕は二軍スタートとなったが、野手に故障者が続出したことで4月上旬に一軍昇格。だが、最初は通用するのか不安を抱えたままだった。

そんな周東に、本多コーチはいつもこう声をかけた。

「大丈夫、大丈夫だから」

 盗塁にとって迷いは成功の敵だ。本多コーチはオープン戦でアウトになった周東を一度たりとも責めなかった。寄り添って話し合いを重ねた。

 いざ一軍で出番が来ると、まるで別人のように盗塁成功を重ねた。周東は言う。

「とくに変えた部分というのはないんですが、やっぱりオープン戦の時は育成だったので、とにかく結果を出したかった。その気持ちが強すぎて、少し強引になっていた部分はあったと思います。その分、スタートがうまくいかなかった。盗塁で最も大切なのはリラックスです。あまり走ろうと思わないことです。もちろん、ピッチャーにクセがあれば、チャンスを見て走ろうと思いますけど、今年1年間やってきて、明らかにクセのあるピッチャーは多くないですし……。僕としては、いかに走ろうとせずにリラックスした状態でいられるか。そこを大事にしています」

 一躍、時の人となり、スターの仲間入りを果たした周東だが、本多コーチは「この経験は何事にも代えがたい。彼にとって間違いなくプラス」と言いながらも、少し表情を曇らせる。

「本当は秋季キャンプで、この時期にしかやれない練習をしてほしかった」

 工藤公康監督も快く送り出した一方で、「打ち込みをさせたかった」と語る。そして、周東自身も「打たないと使ってもらえない」と、痛いほど自覚している。

「僕、グラシアルになりたいんですよね」

 今年の日本シリーズで3本塁打を放ち、MVPに輝いたキューバ人の助っ人が理想の選手象だと語る。

「僕と正反対じゃないですか。長打力もあって、勝負強くて、率も残して、守備だって内野も外野も守れる。選手としてホントすばらしいですよね。ああいう選手がチームにいれば、監督だって使いたくなると思いますし、安心感がある。たしかに、代走として試合に出られることはうれしいですけど、そこに満足せず、もっと上を目指していきたいと思います」

 東京五輪でも侍ジャパンの切り札的存在として期待を寄せられている周東。「プレミア12が終わったら、しっかり来シーズンに向けて結果を出せるようにしていきたい」と力強く語り、福岡に戻ることなく秋季キャンプ地・宮崎へと一目散に向かっていったのだった。