西岡剛が語るWBC 後編

2006年WBCの記憶

(前編から読む:「負けたら日本に帰れない、なんて気持ちはナンセンス」。WBCの理想オーダーは1番・大谷翔平イチローの役割を期待>>)

 2006年の第1回WBCで日本の優勝に大きく貢献した西岡剛氏。

インタビュー後編では、「世紀の誤審」と話題になったアメリカ戦でのタッチアップ、韓国戦の最終回に放った意地のホームラン、優勝後のシャンパンファイトの裏話など、大会のエピソードを語ってもらった。

初代WBC侍ジャパンの西岡剛が振り返る、アメリカ戦のタッチア...の画像はこちら >>

2006年WBCの優勝トロフィーを持つ西岡(左)とイチロー

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――第1回WBCでは2番打者として全8試合に出場し、31打数11安打、2本塁打、8打点、5盗塁と大活躍。前年の2005年にロッテで日本一になった勢いをWBCでも感じました。

西岡剛(以下:西岡)当時の僕は21歳(日本代表で最年少)でしたが、やっぱり"怖いもの知らず"が一番強いんです。確かに前年にはロッテで日本一になりましたが、一軍の試合には出始めて間もなかったですし、所詮はプロ入りして3年目の"ひよっこ"でしたから。

 右も左もわからない分、考え方がシンプルなんです。
「試合で結果を残そう」「試合で勝ちたい」という一心でプレーしていました。だから、仕事でもそうですが、経験を積めば積むほど難しくなっていくものなんじゃないかと。「どうなると失敗するか」ということを知りすぎてしまうので。だから、無駄に自分を追い込んでしまったり、リスクヘッジを考えたプレーをしたりしてしまうんだと思います。

――経験が少なかった若い頃に比べて、思いきったプレーができなくなる?

西岡 たとえば外野を守っていて、ダイビングしたら捕れるかもしれない位置に打球が飛んでくるとします。それをダイビングして捕ってしまうのが"若さ"なんです。
でも、捕れなければフェンスまで転々として、無死三塁というピンチを招くリスクもある。

 ベテランになって同じ状況を目の前にした場合は、飛び込むよりも回り込んで、ランナーを一塁や二塁で止めようとします。それが後にいい方向に進むこともあれば、その逆もあるので、どちらが正しいとは断言できませんけどね。

 とにかく、今回のWBCが若い選手が多いので思いきったプレーも見られると思いますし、すごく楽しみです。

【「世紀の大誤審」が起きたタッチアップ】

――今でこそ盛り上がりを見せているWBCですが、第1回大会の時は東京ドームに空席も目立ちました。同大会に出場された清水直行さん(ロッテ)は、スタンドを見ながら「本当に野球の世界大会なのか?と思っていた」と話していました。

西岡 最初は、どんな大会なのか認知されていませんでしたからね。

日米野球の延長のような感じがありましたし、イベントゲームという感じでした。お客さんも「勝負云々より、王貞治監督が率いるチームで、イチローさんが出るから見に行く」という方が多かったのかもしれません。開幕戦の中国戦なんて、本当に少なかった印象があります(入場者1万5869人)。

 第2ラウンドでアメリカへ行ってから、(アメリカ戦での)僕のタッチアップ(※)が日本のニュースでたくさん流れて、そこから盛り上がっていった感じじゃないですかね。

(※)3-3で迎えた8回1死満塁の場面で、岩村明憲(元ヤクルトなど)がレフトにフライを打ち上げ、三塁走者の西岡がタッチアップして生還。しかしアメリカ側が「(西岡の)離塁が早かった」と主張し、球審のボブ・デービッドソンが判定を覆してアウトを宣告した。


――あのタッチアップは最高のスタートでした。

西岡 浅めのレフトフライだったので、いいスタートを切りたいという思いが強かったです。判定が覆ったことには当然、「なぜアウトなんだ?」という思いもありましたが......。結果的にその件がメディアで大きく取り上げられたこともあって大会が認知され、視聴率も上がっていったっていう感じだと思うので、その意味では貢献できたのかなと。

――あれで日本のファンが一体になった感じがしますが、チームにも一体感が生まれたんですか?

西岡 個人的な考えですが、選手に関しては一体にならなくてもいいと思っています。個々がやるべきことをやれば、それが勝ちにつながっていきますから。
勝てば「いいチームだった」と言われ、負ければ「うまくいかなかった」となる。結局は結果がすべてなので。

【イチローとのやりとりと韓国戦の意地の一発】

――アメリカ戦はイチローさんの先頭打者ホームランもありましたし、いろいろ話題になりましたね。ちなみにイチローさんは、大会序盤は1番、終盤は3番を務めていました。西岡さんは大会を通じて2番を任されていましたが、イチローさんの前後を打つなかで意識していたことは?

西岡 特別に意識するようなことはありませんでしたね。1番の時は、塁に出たイチローさんをどう進めるか。

3番の時はイチローさんにどううまくつなぐか、ということに徹していました。

――西岡さんにとってイチローさんはどんな存在でしたか?

西岡 僕が小学生の時にプロ野球史上初のシーズン200本安打を達成された方ですし、野球界においてトップのなかのトップ。ひと昔前でいうところの王さんのような存在だと思います。僕らの年代にとって、イチローさんや松井秀喜さん(元巨人、ヤンキースなど)は本当に特別な存在ですから。

――イチローさんとの会話のなかで、印象に残っている言葉などはありますか?

西岡 ずっと「お前はセンスがあるから、何も考えずに好きなようにやればいいよ」と言っていただいたことはよく覚えています。スイッチのオンとオフがしっかりしていて、接しやすい雰囲気を出してくれていましたし、特にWBCの時はすごくチームのために動かれていた印象が残っています。

――第2ラウンドの韓国戦、日本は1-2で敗れましたが、最終回の先頭打者だった西岡さんは追撃のソロホームランを放ちました。準決勝の韓国戦で福留孝介さん(中日、カブスなど)が放ったホームランが語られることが多いですが、その西岡さんの一発も印象的でした。あの打席は狙っていたのですか?

西岡 狙ってはいなかったですね。土壇場でしたが、試合はまったく諦めていませんでした。僕が先頭打者で、2点差だったので「出塁すればチームを一気に勢いに乗せられる」と。とにかく塁に出ようという気持ちが強くて、結果がたまたまホームランになったという感じです。

――カウント2-1からの4球目。思いきり振り抜いた打球が、あっという間にレフトスタンドに吸い込まれました。西岡さんの意地を感じた、ライナー性のすごい当たりでした。

西岡 めっちゃいい当たりでしたし、完璧でしたね。

――1勝2敗の成績ながら第2ラウンドを突破し、3度の対戦となった準決勝の韓国戦、決勝のキューバ戦に勝利し、WBCの初代王者となりました。大会後のシャンパンファイトは盛り上がっていましたね。

西岡 実は、あまり覚えていないんです......。当時のチームには30歳以上の先輩方が多く、大会中の移動のバスなどでもそうでしたが、なかなか自分からは話しかけづらくて。シャンパンファイトもどこか気まずくて、年齢が近かった青木宣親さん(ヤクルト)やムネリン(川﨑宗則/ソフトバンク、ブルージェイズなど)たちと、隅っこのほうで盛り上がっていたような気がします。

 特にムネリンとは二遊間を組んだりもして、僕のことをいろいろとサポートしてくれました。NPBを離れてからもBCリーグ(栃木ゴールデンブレーブス)では同じチームでプレーしましたし、何かと縁がありましたね。

【プロフィール】
◆西岡剛(にしおか・つよし)

1984年7月27日生まれ。奈良市出身。2002年のドラフト1位で大阪桐蔭高からロッテに入団し、2005年、2010年の日本一に大きく貢献。その後、大リーグ挑戦を経て2013年に阪神入り。2019年からはBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレーし、2022年からは九州アジアリーグの北九州下関フェニックスの選手兼任監督を務めている。NPB通算で1125試合に出場、打率.288、61本塁打、383打点、196盗塁。首位打者と最多安打が1度ずつ、盗塁王2度。ベストナイン4度、ゴールデングラブ賞3度。2006年WBC、2008年北京五輪日本代表。