●「予選でもいいから出たい」憧れていたWBC

 2013年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。ブラジル代表でキャプテンの重責を担っていたのが、現在ヤクルトスワローズで作戦コーチを務める松元ユウイチだった。

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ヤクルトスワローズ作戦コーチの松元ユウイチ

 3月8日に開幕する第5回大会では、日本人の母を持つ日系アメリカ人のラーズ・ヌートバー(カージナルス)が日本代表に選出され注目を集めている。


 松元の場合はその逆。2004年に日本国籍を取得しながら、WBCではブラジル代表として日本と戦った。

「ヌートバー選手の場合は、やっぱり優勝するためにメジャーから呼ばれた。正直、僕が感じていたプレッシャーとはまったく違うと思うんです。

 僕らは、いい試合をやること、元気よく最後まで諦めないことがテーマでしたから。もちろん勝ちたかったですが......」

ヌートバーの逆パターン。2013年WBCにブラジル代表として出場の松元ユウイチ「初戦が日本と決まってからは眠れない日もありました」

2013年、WBCにブラジル代表として出場した松元(左)

 ブラジルといえば、サッカーやバレーボールが盛んな国だ。
だが、松元にとって身近にあったスポーツは野球だった。

「ブラジルにはプロ野球はないですし、環境もそんなにいいわけではありません。でも、日系の人たちには野球が人気でした。僕も物心がついた時には、野球場で遊んでいました」

 1999年に野球留学でヤクルトスワローズに入団。2004年には出場機会を求めて、日本に帰化した。

 それでも、ブラジル代表として戦うことには憧れを持っていた。
実際、高校生の頃にはブラジル高校選抜チームに選出され、シニアになってからもIBAFインターコンチネンタルカップでブラジル代表の主軸として活躍を見せた。

 しかし、2006年から始まったWBCは招待制だったため、第1回、第2回大会は、ブラジルは蚊帳の外だった。

「予選の予選でもいいから出たいなと思って、テレビを見ていました」

●接戦で予選を制し本大会へ

 そんな松元にチャンスが巡ってくる。第3回大会で予選ラウンドが行なわれることになり、ブラジルも参加できることになった。

 しかし、予選が行なわれるのは本大会の前年の秋。プロ野球のシーズン真っ只中に予選に向けた準備をしなければならなかった。

「ヤクルトが一番でしたし、もし代表のほうを選んだら(ヤクルトでの)出番がなくなるんじゃないかっていう不安もありました。

それでも、自分のなかではWBCに出たいという気持ちが強かった」

 球団とも話し合いをし、「こんなチャンスはないので、行ってこい」と快く送り出してもらった。

 予選ラウンドはパナマで開催。その1回戦でいきなり過去2大会出場の強豪で開催国のパナマと激突した。

「もう完全にアウェーですよ。正直、勝つのは難しいかもしれないとも思いましたが、9回まで何が起きるかわからないので、みんな一生懸命頑張りました。

 あの時のブラジル代表は、半分が日本、残り半分がアメリカでプレーしていて、バランスのいいチームでした。


 日本でプレーする選手は細かいところを意識し、アメリカでプレーしている選手は、長打を狙うなどダイナミックでした」

 パナマに2回に先制を許したが、すぐさま逆転。再び追いつかれたが、5回に勝ち越し、3対2で接戦を制した。

 トーナメントを順調に勝ち上がったブラジルは、本大会進出決定戦でも、敗者復活を勝ち上がったパナマと対戦する。

ヌートバーの逆パターン。2013年WBCにブラジル代表として出場の松元ユウイチ「初戦が日本と決まってからは眠れない日もありました」

パナマ戦で一塁を守る松元

 ここでも息が詰まる接戦となったが、1対0で見事に勝利し、念願叶い本大会の切符を手にした。

●日本との戦い「眠れない日もあった」

 そして、本大会の初戦の相手が日本に決まった。

「パナマで(本大会の)切符をとった時から、新たな気持ちで毎日を過ごしました。もうワクワクというか、ブラジルの野球をちょっとでも世界に見せたいと思っていました。



 初戦が日本と決まってからは眠れない日もありました。プレッシャーではなく、早くその日になってほしいという楽しみな気持ちが大きかったです」

 日本代表には対戦した選手も多く、松元の頭のなかにはデータがインプットされており、ミーティングではチームメイトと情報を共有した。

 一方で、本大会で4番に据わった松元は、やりにくさも覚えていた。

「言い訳になりますけど、キャッチャーが同じヤクルトの相川(亮二)さんだったので、自分のなかで考えすぎてしまった。日本代表のピッチャーは簡単には打ち返せないですね」

 そう話す松元が悔やむのは1回裏。1点を先制し、なおも走者を一塁に置いて打席を迎えた場面だ。


 田中将大を相手に、3ボール1ストライクからダブルプレーに倒れ、追加点のチャンスを潰した。

「あそこでゲッツーじゃなければ、もう少しいい流れで試合を運べたんですけど......」

 松元は、この試合、4打席ノーヒット。ブラジル代表も、安打数で日本代表を上回りながらも、逆転負けを喫した。

 結局、ブラジルは日本相手に善戦しながらも、本大会では1勝も上げることができなかった。

「最後までうまくいかず、本当に悔しかった。でもね、すごくいい経験だったなって思いますよ。ブラジルは弱い国と思われているかもしれないけど、世界が注目している舞台で、3試合ともいい試合できた。

 ブラジルで見ていた子どもたちにもいい影響はあったんじゃないかな。たぶんあそこからブラジルの野球も変わったと思いますよ」

●今大会はヤクルト勢の活躍に期待

 WBCの2年後に松元は現役を引退する。それでも、「考え方を変えなきゃだめだし、自分のやれることを一生懸命やろうと思った」と、残りの現役生活に全力を注いだ。

 村上宗隆、山田哲人、高橋奎二、中村悠平と4人の侍を送り出したヤクルトの指導者としても、松元は今回のWBCを楽しみにしている。

「日本代表は勝つのが当たり前のチーム。本人たちはプレッシャーがすごいと思うんですよ。でも、自分たちのできることをやるだけじゃないかな。サッカーのワールドカップもあれだけ盛り上がったし、期待しましょうよ!」

ヌートバーの逆パターン。2013年WBCにブラジル代表として出場の松元ユウイチ「初戦が日本と決まってからは眠れない日もありました」

2月の沖縄キャンプにて

(文中敬称略)

【プロフィール】
松元ユウイチ まつもと・ゆういち 
1980年、ブラジル・サンパウロ生まれ。1999年、日系ブラジル人の野球留学選手としてヤクルトスワローズに入団。2004年、日本に帰化。勝負強い打撃を持ち味に「代打の切り札」として活躍。2013年、WBCはブラジル代表として出場。2015年に引退し、現在はヤクルトの作戦コーチを務めている。