ダイヤの原石の記憶~プロ野球選手のアマチュア時代
第4回 内山壮真(ヤクルト)

 いま、ヤクルトの3番打者といえば内山壮真だ。6月28日の阪神戦でサヨナラ打、7月20日の広島戦ではプロ入り後初の4安打。

「自分の成長を感じる。新たにいい結果を残せてよかった」と語っている。

 初めて内山を見たのは、2018年夏の甲子園だ。石川の強豪・星稜に入学後すぐにショートの定位置をつかみ、石川大会では3番として18打数8安打。甲子園でも2試合で2安打している。

 もともとは捕手。1学年上に山瀬慎之助(現・巨人)がいたためショートに回ったが、星稜中学での実績は華々しい。

幻に終わった「5季連続甲子園出場」と「松井秀喜超え」 内山壮...の画像はこちら >>

【星稜史上10年に一度の捕手になる資質】

 内山が生まれ育ったのは、立山連峰の麓にある富山県上市町だ。プロ野球選手になるという目標から逆算し、中学は地元ではなく、お隣石川県の軟式野球の強豪・星稜中に進んだ。電車通学には1時間半ほどかかったが、本人によると「少ししたら慣れました」。

 2年春と3年夏には日本一を経験。U15代表でも、2017年のアジア選手権優勝を果たし、捕手としてベストナインと本塁打王(5試合2本)を獲得している。

 1年夏の甲子園は2回戦で敗れたが、チームは翌2019年も春夏連続出場。

ことに夏は、エース・奥川恭伸(現・ヤクルト)が力投して決勝まで進出し、履正社に敗れたものの、内山は4番ショートとして26打数10安打2本塁打4打点、打率.448という数字を残した。

 山瀬が抜けたその秋の新チームからは捕手、そして主将に。もともとのポジションである。この年4月の侍ジャパンU18代表候補合宿では、紅白戦でマスクを被ることもあり「新チームからは古巣の捕手に」というのが、星稜・林和成監督(当時)の既定路線だった。

 当時の内山は「捕手として、山瀬さんは次元が違います」と謙虚だったが、林監督はこう評価していた。

「リードは、とくに相手打者を見る目と状況判断がすばらしい。肩は山瀬には劣りますが、捕ってからの速さがある。キャッチャーとしても、全国トップクラスじゃないですか。クレバーさも含め、星稜史上10年に一度の捕手になりうる資質」

 この秋の星稜は荻原吟哉、寺西成騎(現・オリックス)の投手陣がいて、北信越を制覇。翌春のセンバツ出場を確実にし、内山自身も4試合で17打数8安打8打点と打ちまくっている。ちなみに、北信越大会の決勝で1点に抑えられた日本航空石川の中村隆監督は、「内山は、頭、いいっすよ」と配球面についても太鼓判を押していた。

【高校最後の夏はコロナ禍で中止】

 だが......2020年、コロナ禍である。内山には4季連続甲子園出場という記録は残ったが、夏の大会も中止になり、5季連続出場に挑戦することさえできなかった。

「せめて甲子園の土を踏ませてやりたい」という関係者の尽力で、センバツ出場チームによる甲子園交流試合の開催が決まった頃、内山に電話で話を聞いたことがある。

「交流試合開催を聞いた時、最初はビックリし、うれしく感じましたが、やはり5季連続出場したかったので、そこは悔しいです。活動休止の期間は富山の実家の敷地内でトレーニングや素振り、兄(雄真さん)とキャッチボールなどをしながら、最後の夏にも連続出場して、優勝するという気持ちで過ごしていました。だから選手権の中止は、今までのすべてを奪われたように感じるほど、悔しかった」

 それでも、主将として部員とはLINEでコミュニケーションを取っており、6月8日の練習再開日、久々に顔を合わせた仲間たちが元気そうで安心したという。

「いまの仲間と野球ができる期間は限られているので、最後の大会で力が発揮できるようにしっかり準備したい。入学して以来県では負けていないので、最後も優勝して終わりたいです。甲子園の交流戦では、"ここ"というチームはないですが、去年春夏に対戦した履正社だったらおもしろいですね」

 最後の石川県独自大会は残念ながら、決勝で日本航空石川に1対2で敗戦。内山の入学以来、石川県で敗れたのはこれが初めてだった。そして......甲子園交流試合では、まさかの履正社との再々戦が実現。

 もうひとつ残念ながら、ここでも1対10と大敗し、内山の高校野球は幕を閉じることになる。高校通算34本塁打(うち公式戦11本)。もしコロナ禍がなく、通常に試合をこなしていれば、星稜の偉大な先輩・松井秀喜の60本を超えていたかもしれない。

【空手で鍛えた体幹の強さとキレ】

 思い出すのは、1年秋の北信越大会だ。星稜打線の9人中、内山ともう1人の上級生だけが、相手投手のリリースよりもかなり早めにフリーフット(右打ちの内山なら左足)を上げていた。これは「できるだけ早くタイミングを取り、自分の間でボールを見る」(林監督)ための星稜メソッドで、体得には時間がかかる。だが内山は、1年時からすでにこの打撃フォームをモノにしていた。

 じつは内山の父・彰博さんは19年、アジア・オセアニア空手道選手権大会で優勝するなど、数々のタイトルを獲得する空手家で、上市町で道場を開いている。内山も、2歳から道場に通い、小学校4年では、全国大会の16強に入ったこともある。

 小学校5年生まで続けたその空手のおかげで、「体幹の強さや体のキレが身についたと思います。空手は止まっては動く、止まっては動くという競技で、静から動が多いですから、力の出し方はバッティングと似ている」と内山。この体幹の強さと俊敏性、そして自然に養われた動態視力があるからボールを長く見られるし、力強いスイングで広角に強い打球を打ち分けられるというわけだ。

 もっとも、小学校3年からは祖父・高山鐵男さんが監督を務める滑川東部スポーツ少年団で野球を始め、空手家ではなくプロ野球選手が目標になったから、彰博さんにとっては少し複雑かもしれない。目標が現実になるのは、2020年11月12日。ドラフト会議で、ヤクルトが内山を3位指名したのだ。

 内山に話を聞きに出かけたのは、その指名から数日後のことだった。

まずは、入学後すぐに定位置を獲得した高校進学時をこう振り返った。

「高校に入って軟式から硬式に変わっても、すぐに慣れました。そもそもバッティングは、軟式より硬式のほうが簡単なんです」

 一般的に、バットに乗せる感覚が必要な軟式球より、当てるだけで飛んでくれる硬球のほうが容易とはよく聞くが、それにしても入学直後から強豪の主軸に座るのだから、やはりナミじゃない。そして、高校時代には印象的な経験があるという。

「奥川さんが2年生の時、U18の高校ジャパンに選ばれたんですが、そのメンバーだった根尾(昂/現・中日)さんと電話で話させてもらったんです。根尾さんはその年に春夏連覇した大阪桐蔭の中心選手で、技術や練習の取り組みまで、すごく詳しく話してもらいました。また奥川さんからも、高校ジャパンの選手たちが日常、どれだけ高い意識を持っているかを聞いたのが大きな刺激で、そこから野球に対する取り組みが変わりました」

 実際にその根尾、身近では奥川や山瀬がプロ入りするのだから、早くからそこに目標を置いていた内山にとって、またとないお手本だったに違いない。動画サイトなども熱心にチェックするという内山は、技術論になると目を輝かせる。

【キャリアハイ更新と初の規定打席到達】

 例の、難易度の高い星稜式フォームについては、こう語っていた。

「左足を上げるのは、高校で先輩方を見てからです。それまではふつうに足をついていたんですが、2学年上の竹谷(理央)さん(現・セガサミー)、南保(良太郎)さん(現・明治安田)が足を上げて打っていて、真似てみたらすごく感じがよかったんです。練習からずっと木のバットを使っているので、ちゃんと芯に当たり、ちゃんとスイングしないとボールが飛んでくれません。

その感覚は、なんとなくつかんでいます」

 プロでの対応については、こんなことも話してくれた。

「奥川さんが高校生の時に、何回かキャッチャーとしてボールを受けたことがあるんです。ほかのピッチャーとは、球の質が全然違っていました。プロでは、その奥川さんよりワンランク上の投手と対戦するわけですから、もっとスイングスピードを上げないと、スピード感についていけないと思います」

 たしかにいまの内山は、高校時代のように極端に早く左足を上げるわけではない。大谷翔平が渡米直後、それまで上げていた右足をすり足に変えたように、予備動作をできるだけ小さくすることで、プロのスピードに対応しているということか。

 ヤクルトでは入団1年目から一軍出場を果たし、ペナントレースでは無安打だったもののフレッシュオールスターでMVPを獲得。二軍ではチーム2位の8本塁打を記録した。

 2年目は捕手として74試合に出場。オリックスとの日本シリーズでは、代打で3ランを叩き込んでいる。3年目からは出場機会を増やすために外野に取り組み、94試合出場で6本塁打27打点、打率.229はいずれもキャリアハイ。

 2024年は腰痛の影響もありふるわなかったが、今季は現時点(8月3日現在)で6本塁打、27打点、打率.274。このペースでいけば、キャリアハイの大幅更新と、初めての規定打席到達も見えている。

 高校3年時がコロナ禍にあたる「失われた甲子園」世代。ほかにも高橋宏斗(中日)、山下舜平大(オリックス)、大卒ルーキーとしては宗山塁(楽天)、西川史礁(ロッテ)ら、錚々たるメンバーがいる。かえすがえすも、彼らの甲子園を見たかったなぁ......。

 8月5日からは、夏の甲子園が開幕する。

編集部おすすめ