TIMレッド吉田×清水隆行
学生時代、厳しい野球環境に身を置いてきた清水隆行さんが、当時のつらかったエピソードや、そこから学んだこと、現在、野球に打ち込んでいる子供たちに伝えたいことなどを語ってくれた。
レッド吉田さん(以下、吉田) 清水隆行さんの経歴はご存知の方も多いと思うんですが、浦和学院、東洋大学を経て、1996年にドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。
清水隆行さん(以下、清水) なれるとは思っていなかったですね。なりたいとは多少思っていましたけど、実際になれるとは思っていなかったです。
吉田 いつぐらいに「あれ? 俺、プロの選手になれるんじゃないか」って思ったんですか?
清水 もうギリギリですよ。大学の最後のほうですかね。「もしかしたら」って思うようになったのは。それまでは、そもそも周りにプロ野球選手がいなかったので、基準がわからなかったんですよね。
どれくらいのレベルの選手がプロに行くのか、ドラフトにかかるのか、その基準もわからなかったですし。僕自身も、そんなにバンバン試合に出ていたわけではなかったので、あまりプロ野球に対してイメージが湧かなかったんです。
だから最後の最後で、運よく日米野球や大学の国際大会みたいなものに参加させてもらえたんですけど、そこで「もしかしたら」と思うようになった感じですね。
吉田 小学校の時っていうのは、やっぱり天才バッターだったんですか?
清水 いやいや、そんなことないですよ。こんなこと言って大丈夫かな。嫌々練習に行ってるような子でした。
吉田 厳しい少年野球だったんですか?
清水 そうなんです。楽しい野球っていうものを経験したことがないんですよ。だから今のお子さんたちには、「まずは楽しんでね」と言います。だけど、僕自身は小学生の頃から、中学、高校全部厳しかったですね。
中学も練習は厳しかったですし、楽しくやる練習や試合は一切なかったんじゃないですかね。ものすごく走りますし、いろんな練習を長時間やりました。
土日が楽しみっていうことはなくて、祝日も練習がありましたから、子どもながらに天気ばかり気にしていました。「雨降らないかな」って。
吉田 雨の日はテンション上がりますよね。
清水 本当に。前日から「明日、雨降らないかな」って、あんなに天気を気にしてた子どもはいなかったんじゃないかと思います。
吉田 野球やってる子あるあるですね。
清水 だからやっぱり、プロの世界に入ってもそういう選手は多いですよね。やたら天気に詳しいやつとか(笑)。野球やっている人間はそういう人が多い気がします。
【厳しいなかで学んだこと】
吉田 そんな厳しいなか、やめたいなと思いながらも浦和学院、そして東洋大を選んだ理由は? 相当厳しい学校ですよ。
清水 浦和学院にお世話になったのは、中学時代の仲間たちが多く進学していたからです。判断基準としては、それが一番大きかったです。
甲子園っていうのも、そんなにイメージはなかったんですけど、僕の四つ上の先輩に鈴木健さんという方がいて、浦和学院で甲子園に出て活躍をされて、その姿を見ていたのでイメージはあったんですけど、一番はやっぱり仲のいい仲間たちがそこに進んだっていうことですね。
吉田 そこから東洋大学に入られましたよね。僕もセレクションに行ったことあるんですよ。
清水 そうなんですか。鶴ヶ島ですか?
吉田 そうです。行きました。1泊2日でした。
清水 僕らもそうだったんじゃないかな。1泊した記憶があります。東洋大の印象はいかがでした?
吉田 僕は「入学やめよう」って思いました(笑)。高校3年生も集まれって言われて立たされて、その日、新人戦か何かがあったらしくて、1年生が2年生、3年生に報告するような場があったんです。
立ちながらそれを聞いていて、「嘘だろ。大学行ってもまたこれかよ」と思いました。高校3年生って一番自由な時代じゃないですか。
清水 そこからまたですもんね。
吉田 そうです。だから丁重にお断りして、佛教大学に獲ってもらったっていう感じでした。
清水 ちょっとピリピリしていましたよね。今は絶対違いますよ。
吉田 東洋大学の思い出話を聞かせてもらってもいいですか?
清水 もう30年以上前の話ですね。僕、今年52歳になるので、それを前提条件として理解していただかないと。今は絶対違うんです。これは何回も言っておかないと、どこでどうなるかわからない時代ですから(笑)。
吉田 何人ぐらい入部したんですか?
清水 1学年40人ぐらいですね。
吉田 上下関係はどういう感じだったんですか?
清水 どこでもあると思うんですけど、1年生が部屋の掃除をしたり、道具を磨いたり、洗濯をしたりといったことをしていました。当時は大変でしたが、そういうことを覚えられたのは、よかったかなと思います。
吉田 監督さんは相当厳しい方でしたよね。高橋昭雄監督ですか?
清水 監督にはすごくお世話になりました。もう亡くなられてしまったんですけど、本当に厳しかったです。野球もそうですが、それ以外の部分も。
練習も厳しくて長かったし、「やらなきゃいけない」というプレッシャーも常にありました。言葉遣いや返事、話を聞く態度も厳しく見られていました。ちょっと気を抜いたような返事や、足を開いて話を聞いていたら「なんだ?」ってなりますから、ビシッとしていないといけない。
吉田 ある意味、当たり前のことが当たり前のようにできないとダメだと。
清水 そうですね。「お前聞いてんのか?」って話になってしまうので。
吉田 その頃の東洋大学の成績ってどうだったんですか?
清水 僕のいた4年間で、8シーズンあって優勝は1回だけで、ほぼ2位か3位でした。下の順位になることはなかったです。東都リーグって入れ替え戦があるので、そこは本当に厳しいリーグです。その入れ替え戦は僕は経験せずに済みました。
吉田 4年間で一番大変だったことって覚えていますか?
清水 ひとつには絞れないですね。山ほどあって、10個あっても使えるものがいくつあるか...みたいな話になります(笑)。こういうところで喋らせていただく時って、その心配もしなきゃいけないですから。
練習の長さや厳しさ、あとはプレッシャーですね。結果が出なかったら日付が変わるくらいまで練習することもありました。あとは、打てなかったりすると「髪を切ってこい」と言われることもありました。
吉田 坊主ですか。
清水 30年以上前の話ですよ。打席に立つのが怖いんですよ。○か×か、絶対に結果が出ますから。例えばチャンスの場面で回ってきて、結果が出なかったら、何かが起こる可能性がある。そうなると正解は結果を出すことではなく、「打席に立たないこと」が一番いいわけですよ。
吉田 なるほど。
清水 チャンスで回ってくると「よっしゃ」ってならないんですよ。僕や今岡真訪さんとか、ずっと試合に出ている選手は受け入れてやっていましたけど。右ピッチャー、左ピッチャーによって出場が決まる選手たちは敏感でしたね。スタメンから外れると「よっしゃー!」って。寮中に響く声で(笑)。
オープン戦の時なんか、マネージャーが放送でスタメン発表するんですけど、「1番○○、2番○○、3番今岡、4番○○」って。6番、7番あたりが勝負どころなんです。外れた方が「よっしゃー!」って。
【緊張と向き合うメンタル】
吉田 今、試合の大事な場面で緊張する子どもたちって結構多いと思うんですよ。「僕だけかな」って思っているかもしれないけど、大学まで行った人がそういうメンタルだったって聞くと、少し安心するんじゃないかな。
清水 緊張もしますし、やっぱり怖さって持ってなきゃいけないと思います。怖い物知らずっていうのは、悪い意味では無責任になってしまうこともあります。失敗する怖さを知ったなかでやることが必要なんだと思います。怖いってことがダメなわけではないし、緊張することもダメではない。それは受け入れていくべきだと思います。
緊張しないためにはどうしたらいいですか? ってよく聞かれますけど、緊張しない人なんていないと思うんですよ。緊張するのは、それだけ自分にとって大事なものだから。いい加減に考えていたら緊張なんかしませんから。今、自分がどれだけ大事なことに臨んでいるか、その思いがあるから緊張する。それを受け入れた上で「どうするか」を考えるべきです。結果を出すために、確率を上げるための考え方を自分で持っておく必要がありますよね。練習して、考えて、臨んでいくなかで見えてくることがあると思います。たとえば「ヒットを打ちたい」「ホームランを打ちたい」って、誰でもそう思う。
でもヒットを打つ確率を上げるためには、「このへんのボールを打つ」とか「構えの段階でこういう意識を持つ」とか。確率を上げるための"何か"を、自分なりに持っておくといい。結果はコントロールできないですけど、その過程の部分はコントロールできる。そこにフォーカスすれば、緊張していても対応できると思います。
【Profile】
清水隆行(しみず・たかゆき)/1973年10月23日、東京都足立区出身。1995年にドラフト3位で巨人に入団。2002年には最多安打のタイトルを獲得するなど活躍し、2009年に現役を引退。現在は野球解説者として活動している。