超個性派集団・那覇高校の夏(前編)

 25年前の夏、甲子園に異彩を放ったチームがあった。那覇高校──左投げキャッチャーに左投げサード、奇想天外な打法......セオリーを覆す個性派集団は、観客の度肝を抜き、甲子園の球史に刻まれた。

【高校野球】左投げの捕手&三塁手、ダンゴムシ打法...25年...の画像はこちら >>

【まるで野球漫画から飛び出してきたよう】

「もう、あれから25年経つんですね。あの夏は楽しかったですね」

 精悍な顔つきの長嶺勇也は、しっかり目を見据えて言った。この時は、「あの夏」という言葉の本当の意味を知らず、普通に聞き流していた。

 2000年夏の甲子園に出場した沖縄県代表・県立那覇高校は、とにかく異端の存在だった。1世紀を超える甲子園の歴史のなかで、これほどまでに好奇の目を向けられ、一挙手一投足に注目を集めた高校がほかにあっただろうか。

 2年生の左投げのキャッチャー・長嶺勇也に、左投げのサード・金城佳晃。3年生には、極端にかがんで構える「ダンゴムシ打法」の比嘉忠志や、左足を大きく上げてアッパースイングのように豪快に振り切る宮里耕平などがいた。

 セオリーを覆す、まるで野球漫画から飛び出したような個性派選手たちが並び、甲子園を大いに沸かせた。

「もともとはピッチャーだったんですが、高校に入って肩を壊して外野をやっていたんです。同級生の成底(和亮)がいいピッチャーだったので、自分がうまくリードすればもっとよくなると思い、監督に進言してキャッチャーへコンバートしました。

 キャッチャーがファーストへ回り、ファーストの比嘉さんが押し出されるように代打専門になった形です。ちょうどこの頃から左打者も増えてきたので、左投げのキャッチャーだからといって、スローイングの際に特に不利だと感じたことはありませんでした」

 長嶺はさもありなんといった感じでと話してくれたものの、栄光ある甲子園の歴史において、左投げのキャッチャーと左投げのサードが同時に登場したのは、後にも先にも那覇だけである。

【短時間で質の高い練習を追求】

 那覇は、旧制二中として県下有数の進学校であり、戦後はアメリカ軍の砲撃で球場が壊れたため、県大会が那覇高校のグラウンドで開催されるほど由緒ある学校でもある。

 進学校ゆえに、練習時間は夏場でも多くて3時間、冬場は2時間しかとれない。

当時は、沖縄水産や沖縄尚学のツートップに加え、浦添商や中部商といった商業系の公立高校が奮闘し、県内を席巻している時期だった。

 そんななかでの那覇の大躍進は、なんといっても外部コーチから監督に就任した池村英樹の手腕によるところが大きい。とにかく2年半という限られた時間の高校野球で、那覇高校の設備や練習量を考慮すると、短所を矯正して勝負に耐えうる準備まで手が回らない。そこで池村は、短所を補うよりも長所を最大限に生かす方針を採用。バッティングも、コツコツ当てるスモールベースボールではなく、バットにボールを乗せて遠くへ飛ばすスタイルを推奨した。

「強豪校が10の練習量で1を知るなら、ウチは2の量で1を知れば対等だ」と選手たちに説き、限られた時間のなかで効率化を徹底するため、準備の大切さを叩き込んだ。

 グラウンドを全面使える時間が1時間しかない場合、残りの時間をどう有効活用するかを自分たちで考えた。ソフトボール部やラグビー部が使っている時間帯でも、内野は使用可能なため、内野ノックやバント練習をすぐに始められるように機敏な動きで準備をする。

 また、メンタルトレーニングにも余念がなく、リラックス効果を確かめるために練習試合では選手にガムを噛んでプレーさせたり、スポーツ飲料やプロテインなど、いいと思ったものはどんどん選手に提供した。

 水分補給にしてもわざわざベンチに戻る時間が惜しいため、コーチャーボックスやファウルゾーンに水を置いておき、自由に飲むことができた。すべては短い時間のなかで質の高い練習をやるためだ。

【沖縄水産を延長で破り甲子園出場】

 夏の県大会が始まり、目標は「甲子園出場」と掲げていたものの、誰も本気で行けるとは思っていなかった。

 初戦の南部商に10対0で勝利すると、2回戦は具志川に8対2、3回戦は浦添に8対1。

ここまでは勝ち進めると思っていたが、準々決勝で春季大会優勝校であり第1シードの中部商に6対2で勝ったことで勢いがついた。

 そして準決勝の相手は、前年の秋季大会準優勝の浦添商。

「準決勝の浦商戦で、ピッチャーの成底がケガをしたんです。背筋がボコッと膨らんで、まるでふくらはぎのようになっていました。試合は0対0だったので、『勝ち越すまでは監督に言わないでくれ』と告げられ、7回にようやく勝ち越して......結局、最後は継投して2対1で勝ちました。しかし、その後は『さあ、決勝戦をどうするか』という状況でした」

 決勝は名将・栽義弘監督率いる沖縄水産。じつは那覇のエース成底は県内屈指の好投手だったため、那覇は栽から何度も練習試合を申し込まれていた。だが、甲子園出場はおろか、全国でも上位進出を目指す沖縄水産の前にいつも大敗を喫していた。

 決勝戦、那覇は二番手の豊原啓人が先発した。ツーシーム系の球が面白いように決まり、沖縄水産打線を封じていく。そして試合は3対0と那覇のリードで9回を迎えた。

 9回無死満塁からエースの成底が登板するも同点とされ、試合は延長に突入。

それでも那覇は10回表に2点を勝ち越し、その裏を0点に抑えて勝利。夏の甲子園初出場を決めた。

 優勝が決まった瞬間、三塁側スタンドにいた那覇高校の大応援団がいっせいに下に駆け寄り、フェンスを壊すという珍事が起こるほど、北谷公園野球場は歓喜の渦に包まれた。

 長嶺は言う。

「甲子園では対戦相手のことより、成底のケガが心配で......。ただ、幸いにも初戦が大会7日目になったことで、なんとか間に合いました」

 エースが回復したことで、選手たちは気後れすることなく試合に臨めた。

【高校野球】左投げの捕手&三塁手、ダンゴムシ打法...25年前、甲子園で異彩を放った個性派集団・那覇高校の戦い
左投げの捕手として注目を集めた那覇高校・長嶺勇也 photo by Sankei Visual

【甲子園初戦で劇的勝利】

 8月14日、甲子園での中京商(岐阜)との初戦、1回裏の先頭バッター宮里の足を大きく上げるバッティングスタイルを目にした観客たちは一様に高揚し始める。

「何が起こるんだ......このチームは!?」

 そして1回裏、那覇が守備につき、ボール回しが始まった瞬間、観客席から「おおぉー」とどよめきが起こる。左投げのキャッチャーとサードを、甲子園で初めて目にしたからだ。当時サードを守っていた金城はこう語る。

「甲子園練習の時からメディアにずっと同じ質問をされていたので、試合当日も注目されるんだろうなと覚悟していました。中京商戦では、気がついたらもう5回を過ぎていて、あっという間に時間が経った感覚でした。

延長11回までもつれましたが、守備機会はたったの1回だけでした」

 延長10回裏の中京商の攻撃。二死三塁と一打出ればサヨナラという場面で、この試合初めてサードに飛んできたゴロを金城が軽快にさばき、クルっと反転してアウトに仕留めると、スタンドから大歓声が沸き起こった。

 そして11回表、那覇は二死二塁から中京商のショート・松田宣浩(元ソフトバンクほか)の悪送球で決勝点を奪い、2対1で勝利した。

 だが、次の育英(兵庫)戦は、長嶺をはじめケガ人が続出し、ベストメンバーを組むことができなかった。2対7と5点リードされて迎えた7回裏、二死満塁で代打に出た比嘉が当時を振り返る。

「歓声がすごいなと感じていました。グラウンドがちょっと揺れていましたからね。構えた瞬間、『おおーっ』とちょっと笑い声が起きたと、あとで聞きました」

 唯一無二の「ダンゴムシ打法」に観客は度肝を抜かれ、つい笑いも誘ってしまったが、強烈なインパクトを残した。

 結局、満身創痍の那覇は育英に2対12と大敗。それでも個性派集団の那覇は甲子園の歴史に爪痕を残した。そして沖縄に戻り、長嶺らを中心とした新チームで始動した矢先、事件は起こった。

つづく

編集部おすすめ