錦織圭という奇跡【第24回】
伊藤竜馬の視点(2)
◆01松岡修造の視点>> ◆02細木秀樹の視点>> ◆03奈良くるみの視点>>
◆04石光孝次の視点>> ◆05玉川裕康の視点>>
◆06デイビッド・ロウ&マット・ロバーツの視点>> ◆07土居美咲の視点>>
◆伊藤竜馬の視点(1)>>小5の錦織圭を見て「なんや、この子!?」の衝撃
2008年2月──。当時18歳の錦織圭が、ATPツアーのデルレイビーチ国際テニス選手権で優勝した。
日本人としては、松岡修造さん以来16年ぶりのATPツアータイトル獲得。世界的に見ても「1998年のレイトン・ヒューイット(オーストラリア)以来の年少記録」であった。
多くのテニス関係者たちは、この突然の快挙に驚き、歓喜しただろう。ただ、当時19歳の伊藤竜馬さんは、そこまで驚嘆しなかったと述懐する。
「驚きはしましたが、彼のポテンシャルから言うと『ぜんぜんやれそうだな』とも感じていましたね」それが、錦織優勝の報を聞いた時の伊藤さんの思いだったという。それは錦織との親交を深めるなかで、彼が高みへと向ける目線に、いつしか自分のそれを重ねてきたからだろう。
「子どもの頃から、圭が強い意志を持ってテニスをやってきたんだな、というのは、話していてなんか伝わってきましたよね。ふだんはポワーンとしていますが、『テニス、強くなりたいから』みたいなことをポツリと言ったり。
だから、圭が『世界一になりたい』と言う時は、カッコつけているわけではなく、ガチで狙ってるんだろうなと、こちらも思えました。『圭が言うなら、なんかほんまに行けそうやな』って。なぜか、そう感じたんですよね」
錦織が純然と口にする「世界一」の言葉を、実現可能な目標として受け止める。だから伊藤さんにとっても、もはやツアー優勝は、夢の世界の出来事ではなかった。
松岡修造さんが活躍した1990年代以降、10年以上の長きにわたり、世界のトップ100に日本人はいなかった。
それが、錦織が2008年4月に実現すると、2011年には添田豪があとに続く。2012年3月には、伊藤さんもトップ100入りを果たした。さらに伊藤さんは同年10月、キャリア最高位の60位に到達。当時世界12位のニコラス・アルマグロ(スペイン)に勝つなど、上位勢を打ち破る破壊力も誇示してみせた。
【圭も僕のことを認めてくれた】
「当時は、僕の1歳下に圭がいて、4歳上に添田くんがいた。圭が、日本のテニスどころか世界の歴史も塗り替えていくそのうしろで、僕は圭や添田くんに負けないようにがんばっていた感じでした。常に刺激をもらっていたなかで、まずはトップ100入りと、オリンピック出場を目標にしていた。ふたりに引っ張りあげられた部分はすごくあったと思います。
圭がトップ10や20を現実的な目標として目指していた時に、僕はまだ200位くらいでした。それでも高い目標設定ができていたのは、やっぱり彼が、身近な存在としていてくれたことが大きいと思います。日本人が成功している事実は、いいイメージを僕らに与えてくれました」
錦織の稀有な才能と意志の強さを知りながらも、決して特別視はしていなかった伊藤さんの視点。それは、「圭も僕のことを認めてくれていると感じた」ことも大きいという。
「そうですね、僕が強い選手に勝った時とかに、『たっちゃん、ヤバイな。まじ強いやん』みたいに言ってくれた。それがけっこう本気というか、正直に言っている感じが伝わってきたので、自信になりました。
当時の圭は、すでにグランドスラムベスト8とかに入り、トップの選手にも勝っていた。そのレベルの選手に『まじ強い』って言われたら......、ちょっと興奮はしましたね、やっぱり」
精悍な顔を柔和に崩し、伊藤さんはニコニコと笑った。
身近な存在の活躍は刺激になるが、ともすると、妬みの対象になることもあるだろう。ただ、伊藤さんは「嫉妬とかは一切なかった」と、どこまでも真っすぐに明言する。
「圭のすごさはわかっていたし、吸収できた部分もたくさんあったと思うんです。ふだんから圭の試合や練習を見るだけでも、僕としては、すごく楽しい感じでしたよ。その時はなんかもう、ファンみたいな感じでしたね。
もちろん、選手同士だしライバルでもありますが、そこは純粋に尊敬していた。彼の繊細な手のタッチやフットワークは、僕にはないものでしたから。
でも逆に、僕にはパワーがあったので、強いショットが打てた。そこに関しては、圭も『たっちゃんは、めっちゃ打てていいね』みたいな感じで言ってくれた。お互い『ないものねだり』ではないですが、自分にないものを認め合っている感じもあったと思います」
【勝負どころの強さはさすが】
錦織の才能を認め、その活躍を喜びつつ、自身のモチベーションとしてきた20代の頃。そのように錦織を近く見てきた伊藤さんにとって、忘れがたいふたつの大会・試合がある。
ひとつは、2010年に実現した公式戦での対戦だ。意外なことに、これが両者にとって唯一の対戦でもある。
「タラハシー(フロリダ州)のATPチャレンジャー大会でした。あの時の圭は、前年のひじの手術から復帰したばかりで、ランキングも落ちていた時期でした。でも、やっぱり圭は圭なので、僕は気持ち的にもチャレンジャー。結果は気にせず、自分の持てる力をすべてぶつけるみたいな感じで向かっていったと思います」
その結果、第1セットは伊藤さんが6-4で取る。だが、第2セットと第3セットは巻き返され、結果は4-6、6-4、6-3で錦織の勝利。
「最後は、意地で取られた感じでした。
ネットを挟み対峙したことで、錦織の強さの精髄をあらためて実感した時でもあった。
そしてもうひとつ、忘れがたいのは2014年。錦織が全米オープンで決勝に進出した、あの夏の興奮だ。
その全米オープンで、伊藤さんは予選を突破し、本戦の切符を自力で獲得。本戦1回戦で世界51位のスティーブ・ジョンソン(アメリカ)に勝利し、2回戦では21位のフェリシアーノ・ロペス(スペイン)に敗れるも善戦した。
勝利も敗戦も含め、伊藤さんにとっても思い出深い大会。その思い出は、錦織の活躍によって一層克明に記憶に刻まれた。
「あの時の圭は、直前に足の裏にできた嚢胞(のうほう)を取る手術をしたので、もともと全米には出ないつもりだと言っていたんです。会場にもいたけれど、本人は『来ただけ』みたいなことを言っていた。それが出るだけでなく勝ち上がっていたので、『おいおい、強いやん』と思って見ていたんです。
圭の3回戦は、会場で生観戦しました。その後に僕は、当時拠点としていたドイツに戻って練習していたんです。
たしか4回戦でミロシュ・ラオニッチ(カナダ)に勝って、準決勝では世界1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)に勝った。『おおっ、 また勝つやん! これ優勝するんじゃないの!?』みたいな感じで、テレビの前でめっちゃ鳥肌立ちましたね」
日本人選手が初めて、グランドスラム・シングルスの決勝の舞台に立った日──。それは伊藤さんにとっても、テレビモニターに映るセンターコートが自分の足もとと地続きだと思えた時でもあった。
(つづく)
◆伊藤竜馬の視点(3)>>「同じ練習メニューを繰り返しやることは少なかった」
【profile】
伊藤竜馬(いとう・たつま)
1988年5月18日生まれ、三重県員弁郡北勢町(現・いなべ市)出身。9歳からテニスを始め、大阪・長尾谷高時代は数々の国内ジュニアタイトルを制し、2006年にプロ転向を表明する。2008年からATPツアー参戦を開始し、2011年の全米オープンにてグランドスラム初出場。2012年のロンドンオリンピック日本代表に選出される。2024年4月に現役引退を発表し、10月でラストマッチを終える。ATPランキング最高60位。ATPチャレンジャー通算7勝。身長180cm。



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