名将たちの人心掌握術(8)
ウナイ・エメリ

 プレミアリーグのアストン・ヴィラを率いるスペイン人監督ウナイ・エメリは、現代サッカーにおける最高の戦術家のひとりだろう。チームをシステム化する点で傑出している。

セビージャでヨーロッパリーグ3連覇を達成後、パリ・サンジェルマン、アーセナル、ビジャレアル、アストン・ヴィラと有力クラブを率いているのは成功の証だ。

 エメリは理知的、論理的で、勝利の法則を知っている。一方で、部下を駒や部品のように扱ってしまうことがあり、その点では人気があるとは言えない。場合によっては嫌われてしまうことがある。優秀なエメリは、嫌われるリーダーなのか?

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 ビジャレアル時代のエメリは、久保建英との間に軋轢が生じたエピソードが有名である。彼自身も久保の獲得を望んだにもかかわらず、重用することはなかった。結果は半年で退団だ。

「タケ(久保)とは話したが、彼は『思ったよりもプレーする機会が少なかった』とチームに残るよりも、移籍することを望んでいた。行ないはよかったし、チームを助けてくれた。足りないものはあるが、これから成長し続けるだろう」

 当時のエメリは記者会見でそう明かしていたが、決別に至る予感は十分にあった。実はスペイン大手スポーツ紙『アス』は、以下のようにエメリの久保評を報じていた。

「タケはすばらしい選手で、成長したいという野心が強い。

彼は自らの挑戦を自覚しているが、その目標に対して急いでしまうところがあって、それはいいことではない。適応しながら成長し、戦っていく必要がある。

 彼は3つのポジションでプレーできるし、7番のポジション(右サイドアタッカー)が最適だが、そこは競争も激しい。トップ下、左アタッカーでも成長するべきだし、今はプロセスにある。彼はメディアスターだけに外側の騒ぎも巻き起こるが、ピッチの外だけでなく、ピッチのなかでもスターでなければならない」

 エメリは久保をそう評価していたが、教師が生徒を諭すような口調が引っかかった。知性を振りかざしたような説明は、どこか鼻持ちならないところがある。ある意味でふたりの関係の悪化は必然だった。

【ユース時代から「サッカー博士」】

 エメリは選手に対し、細かくオートマティックに動くことを求める。成功につながる相応の研究の裏づけがあるのだろう。その点で彼は強権的で、選手を戦術で縛るし、枠にはめ込もうとする。

 たとえばそのハイプレスは緻密で相手を逃さない。一方、プレッシングを外すための戦いも準備万端。トランジションもトレーニングを重ね、カウンターを発動できるし、敵のカウンターを防げるようにする。

サッカーを攻守一体で捉え、相手を論理的に凌駕しようとするわけだ。選手への要求がいちいち細かくなるのは当然だろう。

 セットプレーのバリエーションの多さも特徴で、本人が「スペースのない現代フットボールで、セットプレーは確実にものにすべき好機」と語るように、FK、CKはいくつもデザインされる。

「もう少し自由にやりたい」――創造性に優れた選手ほど辟易してしまう。メディアやファンの間でも「創造性に乏しく、退屈」と批判されることがあるのだ。

 エメリの祖父は、スペイン国王杯を2度制したことがあるバスク地方の伝説的GKのひとりだった。父もアラベス、デポルティーボ・ラコルーニャ、スポルティング・ヒホン、グラナダなどで活躍したGK。GK一家だったのだ。それが独特の深淵なサッカー理論を熟成させたのか。

 エメリはユース年代から戦術ノートを欠かさずつけ、そこから編み出した論理は監督顔負けだった。チームメイトへの指示が予言的で、「サッカー博士」のような存在になったという。

 ただし、選手としては凡庸だった。

レアル・ソシエダの下部組織をセカンドチームまでは順調に上がったが、トップチームには定着できず、スペイン国王杯を含めて公式戦6試合、1得点という成績で退団した。そこまでがソシエダのトップチームで残した記録で、その後は2部、もしくは3部のクラブが主戦場になった。

 現役時代に最高位の監督ライセンスまで取得し、33歳で膝の大ケガを負うと、同じチームで監督業をスタートさせた。選手時代の晩年から、「もっと選手の力を引き出せる」と考えていたという。その洞察力によって監督としての道を切り開いた。

【アウェーで絶大な強さ】

 2004-05シーズン、エメリは瓦解寸前だった3部のロルカで2部昇格を勝ち取る成功を遂げている。戦力を考えれば、健闘という言葉では足りないほどで、地元では大変な騒ぎだった。

 翌シーズンは1部昇格を最後まで争い、5位でシーズンを終えたことで一目置かれる。06-07シーズンはその手腕を買われて2部アルメリアの指揮を執り、2部最優秀監督賞を受賞し、今度は1年でチームを1部に昇格させた。そこからのキャリアは、冒頭に記したとおりだ。

 エメリは敵を研究し尽くし、弱点を見つけてそこをえぐる策に長けていた。とくにアウェーで絶大な強さを誇った。

「攻め手には必ず隙が生まれる」と策を練った。たとえば中央の守りを固めて敵ボールをサイドバックまで追い込み、一気に獲物に襲いかかるようなプレッシャーをかけ、ボールを強奪してカウンターで殺到する電撃戦を得意とした。

 交代策も得意芸だった。数学者のようにピッチでの正解を導き出す。意外性など信じない、数学的思考のマネジメントだ。

 しかしひとつの逸話が、エメリが単純に数式でサッカーを捉えていたわけではないことも示唆している。

「エメリは左利きのアタッカーで、センスを感じさせる選手だったね」

 レアル・ソシエダのセカンドチーム監督時代にエメリを指導したミケル・エチャリは、そう証言している。

「戦術勉強には当時から熱心だったよ。シーズン中に、"崩しきって最後はエメリのラストパスで勝負を決める"という攻撃の練習を、何度も何度も重ねて完成させたことがあった。そして実際、その場面が試合で訪れたことがあって。ところが、エメリはパスを出さずに自分でシュートを打った。それで外してね。

私は選手の判断に関しては尊重するが、さすがにたしなめた。あの時は珍しく口論になったのを覚えているよ」

 よくも悪くもエメリは「自分」が強いのだろう。自らが作り上げたものが"傑作"につながると信じている。だからこそ、練習で積み重ねたものを崩しても、自らの感覚に従ったのだ。

 そんなエメリのマネジメントが、アストン・ヴィラで日本人GK鈴木彩艶とどう融合するか。見ものと言っていいだろう。

ウナイ・エメリ
1971年、スペイン・オンダリビア生まれ。1995年、レアル・ソシエダでプロデビューするも、公式戦6試合の出場にとどまり、その後は主に2部、3部でプレーすした。2004年、3部ロルカの監督就任を皮切りに、アルメリア、バレンシア、スパルタク・モスクワ、セビージャ、パリ・サンジェルマン、アーセナル、ビジャレアルなどを率いる。2022年、アストン・ヴィラの監督に就任。

小宮良之●文 text by Yoshiyuki Komiya

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