静岡県伊東市の市民グループが7日、同市に対し、住民監査請求を提起した。学歴詐称問題で起訴された前市長の田久保眞紀氏をめぐり、市議選や市長選にかかった費用約8220万円を同氏に賠償させるよう求めるもの。

田久保氏は、自身が東洋大学を卒業していないことを認識しつつ、大学の卒業証書を偽造して市議会の議長らに見せたとされる有印私文書偽造・同行使罪と、市議会の百条委員会で自身の記憶に反した虚偽の陳述を行ったとされる地方自治法違反の罪の2つの被疑事実について、起訴されている。
市民グループは、田久保前市長の学歴詐称がなければ一連の選挙は不要だったと主張。監査委員による勧告がなされない場合は、住民訴訟も検討するとしている。
議会の解散やそれに伴う選挙は地方自治法に基づく手続きだが、その費用を個人に請求することは可能なのか。また、住民監査請求が「気に入らない政治家を追い落とす口実」として利用されるなどのリスクについてはどう考えるべきか。元総務省自治行政局行政課長で、地方自治法の専門家である神奈川大学の幸田雅治名誉教授(弁護士)に話を聞いた。

住民全体の利益を守るための「住民監査請求」

住民監査請求は、地方公共団体の財政の腐敗防止を図り、住民全体の利益を確保することを目的とした制度である(地方自治法242条参照)。
この制度は、住民訴訟を提起するための前段階の手続き(前置手続)と位置づけられており、住民であれば法人・個人を問わず一人でも請求が可能である。
請求の対象は、公金の支出や財産の管理といった「財務会計上の行為」や、公金の徴収を怠るなどの「怠る事実」が違法または不当である場合に限られる。
最高裁判所は、「当該普通地方公共団体の長その他の財務会計職員の違法若しくは不当の財務会計上の行為又は怠る事実について、その監査と予防、是正等の措置とを監査委員に請求する機能を住民に与えたもの」と判示している(最高裁昭和62年(1987年)2月20日判決)。
今回の伊東市のケースでは、市民グループは、選挙費用を田久保前市長に請求しないことが「怠る事実」にあたると主張している。

選挙費用が無駄ということは「論理的にありえない」

今回の請求について、幸田名誉教授は住民側が勝訴する可能性は「ほとんどない」と指摘する。
幸田名誉教授:「選挙が客観的な法制度に則って行われるものであれば、選挙の費用が無駄ということは論理的にあり得ません。したがって、住民監査請求にしても、その後の住民訴訟にしても、勝つ可能性はほとんどないと言っていいと思います。

地方自治体では、住民から直接選挙で選ばれる首長と議会議員がそれぞれ独立した機関として存在する『二元代表制』が採用されています。首長と議会は互いに抑制と均衡を図る関係にあり、両者の間で政治的な対立が生じることが当然に想定されています」
地方自治法は、こうした対立を解消するための仕組みとして、議会による首長の不信任議決と、それに対する首長の議会解散権を定めている。
幸田名誉教授:「議会による首長に対する不信任決議の制度には、『議員数の3分の2以上の者の出席、その4分の3以上の同意』という数値的要件の他に、実体的な要件は設けられていません。首長による議会解散についても同様です。
たとえ、不信任決議ないしは解散の理由が『首長の学歴詐称疑惑』のような事実がはっきりしていないものであろうと、関係ありません。極端に言えば、理由がなくてもできるのです。
理由を問わず、議会と首長との間に政治的な対立が生じれば、議会は不信任決議をすることができるし、首長はそれへの対抗措置として解散権を行使できるということです。
強いて言えば、『理由』の有無は住民がその責任において判断するのです」

対立の最終判断は「直近の民意」に委ねられる

幸田名誉教授はまた、選挙が行われた理由・プロセスの是非を問うことが妥当でない理由として、首長選挙と議会の議員選挙のいずれも、議会と首長の政治的・政策的な対立を解決する手段として、地方自治法が当然に想定しているものであることを挙げる。
幸田名誉教授:「首長も議会も、それぞれ任期は4年と定められています。その任期の間に政治的な対立が起きた場合、選挙によって最終的な判断を住民の意思に委ねるのが二元代表制の趣旨です。
つまり、それぞれの任期の4年間に首長と議会の対立が起きた場合には、選挙を通じて直近の民意を問うしくみになっているということです。不信任された首長が議会を解散すれば、解散後の選挙で選ばれた議会が直近の民意になります」
また、首長は議会を解散せず、自ら失職して「出直し選挙」に立候補するという手段を選ぶことも可能である。
幸田名誉教授:「失職した首長が選挙に出ることが認められるのは、その直近の民意を住民の投票において明らかにするためです」
このように、不信任、解散、あるいは失職しての再選挙は、二元代表制の下で対立を解消し、住民の意思を問うための正当な手続きである。
そのため、この手続きに基づいて行われた選挙にかかった費用は「正当な費用」であり、違法または不当な支出とは言えない、というのが専門家の見解である。

制度が「政治家を追い落とす口実」に利用されるリスクは?

加えて、選挙に関する住民監査請求が認められるようになると、「気に入らない政治家を追い落とす口実として制度が利用されてしまう」という懸念があることは否定できない。そこで、選挙については住民監査請求自体を認めないという制度設計も考えられるのではないか。
しかし、幸田名誉教授は、そのような懸念があること自体は認めながらも、住民監査請求という制度自体に歯止めをかけるべきではないと説明する。
幸田名誉教授:「住民監査請求は、住民一人の自分の利益のためではなく、公益を代表して行うものです。選挙だからといって、他の『財務会計上の行為』と違うということは言えません。住民監査請求を行う権利は保障されるべきであり、制限すべきではありません。
ただし、今回のケースで問われているような政治的対立の是非は、本来、選挙の場で住民が民意として示すべき問題であり、住民監査請求を行っても、理由なしとして棄却されるほかないだろうということです」


編集部おすすめ