経産省が示した、企業が個人に求める「能力」の衝撃…いつもご機嫌で目くじら立てないことが推奨される現代社会の違和感
経産省が示した、企業が個人に求める「能力」の衝撃…いつもご機嫌で目くじら立てないことが推奨される現代社会の違和感

経済産業省の「未来人材ビジョン」で求める人材像を紐解くと、現代の社会が個人に求める「能力」が限りなく多様化していることがわかる。「コミュニケーション能力」から「人間力」「ウェルビーイング」、さらには「怒らない技術」まで。

膨張し続ける「能力」の要請に応えることが果たして社会をより良いものにするのだろうか?

 

勅使河原真衣さんの書籍『働くということ「能力主義」を超えて』より一部を抜粋・再構成し、社会が求め続ける「能力」に疑問を投げかける。

性懲りもなくいっそう蔓延る「能力主義」

そもそも仮構的な概念であるのに加えて、実は身分制度に負けず劣らず出自の影響を強く受けた、不平等な配分原理だと教育社会学が指摘する「能力主義」。

止まらぬ抽象化や「新しい時代」の「新しい能力」、というレトリックが合わさり*1、その原理の不平等さはお咎めなしに私たちを脅かし、急き立てています。

それでも社会は決して「能力主義」を手放そうとはせず、また人々も、「能力」なんて知るもんか! とは言いません。

複雑化の一途を辿たどる「能力」

手放さないどころか、教育社会学が指摘してきた、求める「能力」の抽象化に輪をかけて、汎用化も合わせ技のようになっていると、労働の現場を眺めるたびに感じます。

例えばこちらの、帝国データバンクが行った「企業が求める人材像アンケート」結果*2(2022年)をご覧ください。「求める人材像」の上位はこんな様相だそうです。

調査が「すべてを兼ね備えた個人であれ」と言っているわけではないと分かりながらも、「求める人材像」と言われるとどうしても脳内で次のように変換してしまう方が多いのではないでしょうか—うまく話ができて、やる気があって、言うこと聞いてくれて、真面目で、かといって冗談が通じない奴ではなく……要するに「扱いやすい人」が企業はいいのね—と。

職場での活躍が、個人の「能力・資質」で決まるのならば、個人にこれらを求めるのは当然かもしれませんが、本当にそうでしょうか。

「人材開発」や「能力開発」を取りやめ、「組織開発」をしている私からすると、これは労働者に「能力・資質」として求めるものではなく、事業に必要な「機能」の羅列だと考えます。

必要な「機能」群を、いかにして持ち味の異なる者同士が持ち寄るか? という話なのだと思うのですが……そんな叫びは遠吠えのごとし。

個人は個人で、リクルート社の「Z世代(26歳以下)の就業意識や転職動向」調査結果*3(2023年)によると、「どこの会社に行ってもある程度通用するような汎用的な能力」を重視する学生が増えている。つまり、下手に尖ったり、専門性を推さずに、「扱いやすい人」という「能力」の汎用化を、若者自らが内面化していることが見て取れるのです。

政府の「求める人材」「求める能力」

こちらの図表を見てください。なかなか衝撃的です。

私は見た瞬間、椅子から転げ落ちそうになりましたが、皆さんは大丈夫でしょうか。

政府はまだまだ「能力」贔屓と言いますか、有能な個人の育成に大変意欲的なことがよく分かります。これは経済産業省が2022年に出した、「未来人材ビジョン」という提言書にあるスライドです。

「あらゆる人が時代の変化を察知し、能力やスキルを絶えず更新し続けなければ、今後加速する産業構造の転換に適応できない」と前置きした上で、「こうした変化に対処するため、産業界と教育機関が一体となって、今後必要とされる能力等を備えた人材を育成することが求められている」と産学連携への期待を覗かせ、最後は「将来起こる大きな産業構造の変化に対応するため、本推計を一つの参考として、一人ひとりが新たな能力・スキルを身に付けて、次の一歩を踏み出す契機となることを期待している」と締めくくる。

やや上のほうから、私たちに経産省の皆さまならびに識者の皆さまが進言して終わるのです。中村高康先生をはじめ、教育社会学者が「新学力観」が何ら実は「目新しい能力が唱えられているわけでもない」と指摘するのもなんのその、新しい時代にはますますの「能力」伸長・開発を! というロジックを、社会システムを構想・監理する側が依然声高に称揚するのです。

さらに、経産省の方々はご丁寧にこの提言書で一覧も用意してくださっています。なんと先行研究を洗い出して、「必要な能力」を56に整理してくださったというのです。

極めつきは2050年を見据えて(!)トップ10の「必要な能力」も選んでくださったようです。ありがとうございます。

「能力」という仮構的な概念を疑うどころか、有る大前提。しかも、時代の変化に対応する国民であるためには、相応の「能力」獲得に懸命になることは当然のたしなみであるかのごとく。

国家の成長は我々一人ひとりがこれら数多の「求める能力」を備えれば確かなものになるのか、どうなのか。そもそもこんな「求め」に現実的に応えられる人間はいるのか、どうなのか。いろいろと分からずじまいです。

ダメ押しでもう一つ、いっそう跋扈する「能力主義」にまつわる世相を提示します。

問題視すら許されない「能力」—「ご機嫌」「しあわせ」「怒らない技術」

抽象化、汎用化を経て、もはや「能力」は神格化レベルに入っている。

そう私は感じています。テストでいい点数をとり、よい学校へ入る。そんな分かりやすい「学力」から、気づけば「人間力」という何かを言っているようで何も言っていない、中身がよく分からない「生きる力」などの「能力」養成へ、という系譜を辿ったことは、教育社会学の研究から見てきました。

それが今や「センス」や「美意識」「リーダーシップ」「アントレプレナーシップ(起業家精神)」、はたまた「ウェルビーイング」などなど、「能力」次第で人生の取り分を決めると豪語するわりには、何をもってそれが高いのか・低いのかも分からなければ、仮に測定・評価され、「あなたは『リーダーシップ』が足りない」と言われたところで、何をどうすべきかよく分からないものが台頭してきています。

「ウェルビーイング」なんて、もはや「イルビーイング」もあるのかよ! とツッコミたくなるのは私だけでしょうか。人間は調子がよいときもあれば悪いときもあるものです。それをもコントロールできることを求めるのは、神の領域ではないでしょうか。

加えて昨今では、「機嫌」なんてのも、おっかないなぁと思って世論を眺めています*4。

機嫌よくいろ、とは言うものですが、いつ何時も、となると、ことばの響きとは裏腹に非常にマッチョな話。

他者や自分の機微に気づき、心を痛めたり、それに対して何かせねばと心を燃やすことや、たとえうまく行動できなくてもメラメラと闘志を燃やすことなどなど……しかめっ面になってしまうときだって、誰の人生にもあります。

そんなときですらも、「機嫌よくいろ」と言うのは、相手を黙らせるだけではないでしょうか。神学者で東京女子大学学長の森本あんり先生も『不寛容論』の中で「『相手を心から受け入れ、違いを喜びなさい』というポストモダンのお説教」と表現しており、誠に溜飲が下がります。

その不寛容さ、非現実さを批判しようものなら、それすらも「だからお前はダメなんだよ」と言われそうなのも、実におっかない。

社会問題を深刻に捉える、真剣な解決を目指すこと自体が忌避されているきらいすらあるように私は思うのです。「怒らない技術*5」なども結構なことですが、個人がいつもご機嫌で、目くじら立てないことが推奨されてしまうと、本来見直されて然るべき社会の構造や政治的な問題はどうなってしまうのか、とても気がかりです。

このようにして、人として当たり前の感情すらも個人のコントロール下に置かれ始めている「能力」。

あれが必要、これが必要と、要請されることには終わりがなく、個人は「能力」獲得に向け、右往左往。真面目であればあるほど、自分の責任・問題であると考え、構造的な問題からは目を逸らさせる格好の逃げ口上になっているとも言えます。

これでは体制側は当然、「能力主義」を手放そうとしません。人々の側も、薄々疑問は持ちながらも、当たり前のように社会の仕組みが「能力主義」的につくり込まれすぎているため、従わない手立てはそうそう見当たらないのです。

文/勅使川原真衣

脚注
*1 中村高康『暴走する能力主義』ちくま新書、2018年、22~23頁。
*2 「特別企画:企業が求める人材像アンケート」帝国データバンクホームページ、2022年。
*3 「Z世代(26歳以下)の就業意識や転職動向」リクルートホームページ、2023年。
*4 秋田道夫『機嫌のデザイン』(ダイヤモンド社、2023年)など。
*5 嶋津良智『怒らない技術』Forest2545 新書、2010年。

働くということ 「能力主義」を超えて

勅使川原 真衣
経産省が示した、企業が個人に求める「能力」の衝撃…いつもご機嫌で目くじら立てないことが推奨される現代社会の違和感
働くということ 「能力主義」を超えて
2024年6月17日発売1,078円(税込)新書判/264ページISBN: 978-4-08-721319-5

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他者と働くということは、一体どういうことか?
なぜわたしたちは「能力」が足りないのではと煽られ、自己責任感を抱かされるのか? 
著者は大学院で教育社会学を専攻し、「敵情視察」のため外資系コンサルティングファーム勤務を経て、現在は独立し、企業などの「組織開発」を支援中。本書は教育社会学の知見をもとに、著者が経験した現場でのエピソードをちりばめながら、わたしたちに生きづらさをもたらす、人を「選び」「選ばれる」能力主義に疑問を呈す。
そこから人と人との関係を捉え直す新たな組織論の地平が見えてくる一冊。
「著者は企業コンサルタントでありながら(!)能力と選抜を否定する。
本書は働く人の不安につけ込んで個人のスキルアップを謳う凡百のビジネス本とは一線を画する。」――村上靖彦氏(大阪大学大学院教授、『ケアとは何か』『客観性の落とし穴』著者)推薦!

◆目次◆
プロローグ 働くということ――「選ぶ」「選ばれる」の考察から
序章 「選ばれたい」の興りと違和感 
第一章 「選ぶ」「選ばれる」の実相――能力の急所
第二章 「関係性」の勘所――働くとはどういうことか
第三章 実践のモメント
終章 「選ばれし者」の幕切れへ――労働、教育、社会
エピローグ

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