「この家で死にたい」——そう口にし続けた母は、94歳でその願いを叶えた。だが現実には、同じ願いを持ちながら自宅で最期を迎えられる人は約17%。
『この家で死にたいと母は言った』より一部を抜粋、編集してお届けする。
なるべく若い子の邪魔せんように
澤田久子は94歳で死んだ。愛称「ひいちゃん」。私の母。「この家で死にたいわあ」が口癖だった。晩年はもちろん、80代のときも、なんなら70代も。
明日にも死にそうな口ぶりだったが、誰がどう見てもまあ元気で、豆大福の二個目に手を伸ばしそうなおばあちゃんに「今そんなん言われてもなー」というのが私の毎度の反応だった。
夫も実母もずっと前に亡くし、息子二人も家を離れたまま。田舎の古い家を護るように一人で暮らす人。
若い子は若い子の人生があるし、なるべく邪魔せんように残りは生きていきたいなあと思てる。けどやっぱりお世話にならんとねえ。生きてくこともなかなか難しいてねえ、じゃあ言うて、あとどういうふうに残りをしようかなあとなっても、施設? ……
施設もねえ。
「この家で死にたい」
それは、母によらず、まあ70を超えれば誰もが思いあぐねることだろう。80を迎えると切実さは増してくる。90が近づくといよいよ……。
どこで、どう死ぬか? 残念ながら、そうそう思い通りにならないこともみんな知っている。だが覚悟はできない。準備もどうしてよいのやら。
理想の死って?
多くは「家で死にたい」と願う。調査では国民の44%が「自宅で最期を迎えたい」と1位。続く42 %が「医療機関」と答えるも、その最大の理由は「家族等に負担がかかるから」(厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査」2023年)。
現状はと見れば、死亡者のうち在宅死の割合は17%で、64%は病院で亡くなっている(同「人口動態調査」2023年)。
家で死にたいと願った者が、そうではない場所、寝床で、どんな思いを抱えて死を迎えていくのか、それは死者の数だけのケース、心があるだろうから想像は及ばない。
だが、各自与えられた臨終へのカウントダウンのなかで、さまざまな逡巡、希望や諦め、絶望が行き交うことは想像がつく。
今の自分はまだ大丈夫そうでも、時間が経ち、もっと具合がわるくなったら? 歩けなくなったら? 認知症が始まったら? 身内には迷惑をかけたくない。でも、果たして?
近年理想の死に方として「がんによる死」と答える識者がいる。なんだかよしとされる、いわゆるピンピンコロリという唐突な去り方に対して、病の宣告から死まで一定期間があり、それを別れの時間として生きられること、「さよなら」に時間をかけられることがその理由。
もちろん症状により千差万別、重篤なケースもあれば認知能力の問題もあるわけで、まったく一概には語れないのだが、少なくとも澤田久子の晩年に関する限り、それがけっして逆説的なもの言いでもないように私は振り返る。愚息としては親孝行に間に合った、の感が強い。
彼女のラストの3年間、92歳・93歳・94歳は、死に向かう絶望、悲嘆にくれる3年ではなく、生そのものの年月だった。
イメージでたとえるなら夕暮れというよりは、まだ明るい時間。遅めの日中。太陽は空に浮かんだまま、といった景色で、母と私たちはよくしゃべり、よく食べ、飲み、笑って、泣いて、たまに口げんかもし、たくさんの人を家に迎えた。
ビートルズ「ハロー・グッドバイ」の歌詞なら「ハロー♪」のほうだった。サヨナラじゃなく、ぼくが言うのはコンニチハ。
久しく母一人だった静かな古い家屋─台所が、柱や畳、天井がさんざめき、春夏秋冬春夏秋……と次々新たな季節を迎えていった。がんの宣告がなければ、母と息子がここまで深く交わることはなかっただろう。
「この人はまもなく死ぬ」。それを知ったとき、身内は慌てる。慌てて来し方を振り返り、行く末を想う。その人の人生を想う。
あちこちでばらばらに暮らしていた家族・親族・友人が連絡を取り合い、気持ちがひとつになる。良きさよならをするために集まる。失われた時が戻る。助け合う。時間を大事に使う。
母と私たちに与えられたのは、3年間の、文字通りの「長いお別れ」の時間だった。
「いっぱいいっぱい」だった私
さよならまでの約3年間。東近江市佐生町の実家が主たる舞台となる。最寄り駅は能登川。琵琶湖の東、湖東エリア。彦根市と近江八幡市の間に位置する土地。母が幼少、青春時代を過ごした広島の話も少し。
書くうちにいろいろ思い出すだろうが、記憶を補ってくれる記録が手元にかなり残されている。筆まめな母は日録や家計簿、手紙に加え、ささやかな「エンディングノート」も残した。
母が81歳のときに孫の多田麻実にプレゼントされたもの。以降思いついては書き付けていたもよう。その他ヘルパーや訪問看護師による記録。おくすり手帳などもどさっと。
麻実は写真家で、インタビューにもトライ。
母のがんを知って以降「いっぱいいっぱい」だった私は、甥と姪、友人、訪問看護師等々にさまざまなメールを送りつけ、数々のやりとりを展開、救われていた。あの日々の出来事、迷い、揺れ動く感情が色濃く焼き付けられている。それらを採録していこう。
本書で「母」「久子」「ひいちゃん」等々、流れ、筆者の気まぐれでさまざまに呼び方が変わるが、要は澤田久子。身内の者が言うのも説得力がないが、面白い人であった。
亡くなってから出てきたもの、残したものを見るにつけ、またいろんな人の証言を聞くにつけ、かなり特別な存在であったことに、今さら気づく。妻がずっと前に「わかってないように思うけど、ひいちゃんはスーパーおばあちゃんだよ」と言ったものだ。
病気を知ってからの母は「巻き込んでわるい」と繰り返し言い、事実大勢を巻き込んだ。でも巻き込まれることは全然迷惑ではなかった。
つまり本書は人を巻き込んだ記録でもある。死を巡る話とはそういうものだろう。たった一人との別れのために大きな動きが起こる。
繰り返し書いておかねばならないが、母の場合は希望通りの在宅死となった。しかし、それは流れで、たまたま、そんなふうになった、に過ぎない。病状、構成人員(動ける家族や協力者たち)、医療施設、居住状況、予算……あらゆる要因が合致した末の幸運な一例であり、ここで息子の澤田康彦が実に天晴れであったから、と間違っても主張する者ではない。
母が亡くなってから一連の日々を思い起こすと、あたかもドローンで山脈を眺めるかのように、全体像は一目瞭然、旅程はくっきりと鳥瞰できる。だがそれは今になっての話。
ここに登場する私たちは、当時奥深い山中にいて、鬱蒼としたブッシュをかき分け、どこをどう歩けば正しいのか、そもそも久子がいつどこでどんなふうに息絶えるかなど、本人を含めまるで見えず、その日その日を動いている。
暗い夜が来て、なかなか明けない夜がやっと明けると少しほっとして、また励まし合い歩き出す毎日だった。
2023年9月6日にベッドで添い寝。苦しんで「死にたい」「死なせて」「裏の柿の木に縄をかけて首をつりたい」「はよ楽にさせて」、そう繰り返す実母の背にくっついて戸惑う次男坊さんよ。安楽死させる方法にまで思いを巡らすくたびれた私よ。
その人はあと五日で望みが叶うのだ。
文/澤田康彦
この家で死にたいと母は言った 親を自宅で看取るということ
澤田 康彦
「大切な人をどう送るか」「しあわせな最期とは?」を問いかける感動作!!
『暮しの手帖』元編集長・澤田康彦による「在宅死」を選んだ母と息子の、やさしくてあたたかい別れの記録
【特別寄稿】「本当によかったね。」本上まなみさん(著者の妻・俳優)収録
ある日、実家(滋賀県東近江市)でひとり暮らす九一歳の母(愛称ひいちゃん)がステージ4のがんと宣告された。「まあまあ元気」と思っていた母の命のカウントダウンが突然始まった。
「自分の家がいいんよ、どこにも行きたくない……」。住み慣れた家に最期までいたいと遠慮がちにつぶやくひいちゃん。在宅医療? 緩和ケア? 介護保険制度? 知識のなかった息子は「いっぱいいっぱい」になりつつも訪問看護師、ホスピス医、ヘルパーの力を借り、家族や友人を巻き込んで母に寄り添い続ける――。
母との二人きりの時間、残されたノートやアルバムを通して、昭和・平成を生きた人の人生が浮かび上がる。
【本文より・1】
彼女のラストの三年間は、死に向かう絶望、悲嘆にくれる三年ではなく、生そのものの年月だった。
母と私たちはよくしゃべり、よく食べ、飲み、笑って、泣いて、口げんかもし、たくさんの人を家に迎えた。
がんの宣告がなければ、母と息子がここまで深く交わることはなかっただろう。
母と私たちに与えられたのは、三年間の、文字通りの「長いお別れ」の時間だった。
【本文より・2】
「使える制度をみなさんあまり知らないんです。介護や看護の力が必要な本人やご家族が、それを知らないばかりに自分たちだけでがんばっているということが多い」(福祉用具専門相談員)
わかる! 今回私はまさにそれに直面した。
複雑な制度を知ろうとする力、意欲が必要とされる。個人差も大きい。家庭環境差、地域差も。技術、体力、知識を要する。予算も。正解が見えない。別れの日までの所要時間も。

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