肉アンソロジー、『ぷくぷくお肉』の話の並べ方はずるい。とてもずるいと思う。
掲載順に題名を紹介すると―──。

「スキヤキスキスキ」(阿川佐和子)
「エラクなりたかったら独身だ、スキヤキだ」(開高健)
「牛鍋からスキヤキへ」(古川緑波)
「すき焼きの記憶――「自作の中の味」という課題で」(山田太一)
「すき焼きが好き」(村上春樹)

いきなりすき焼きの5連打だ。ちなみにこのあとも「ビフテキ委員会」「世界一のステーキ」と続く。明らかに牛びいきだ。それもずるい。でもやっぱりすき焼きやステーキは人の心を躍らせる。


書かれているのは、肉のことばかり32篇。といっても、肉の内訳が書かれていない。気になったので、登場する肉の種類を勝手にカウントしてみた。

牛18、豚11、鶏が3。馬、羊、鴨、猪、鹿、それにマンモスが各1作ずつ。合計すると38篇になるのは、作中に2つ以上の肉が出てくる作品がいくつかあるからだ。
ちなみにマンモスは唯一のマンガ作品、園山俊二の『ギャートルズ』に登場する“あの肉”である。

それにしても32篇いずれの作品も実に暴力的。肉自体がそうであるように、耳下腺、顎下腺、舌下腺という3大唾液腺から口内へと流れる唾液の量をコントロール不可能にしてしまう。

とりわけ阿川弘之の「ビフテキとカツレツ」に至っては、ビフテキに始まり、トンカツ、ビフカツ、チキンカツという狼藉三昧。ビフテキは、デパ地下に出店している人形町今半の100g3000円のサーロインを「ステーキ用に二人分」切り出したものを焼き、燻製をかけるという念の入れよう。とんかつは「珍豚美人(ちんとんしゃん)」(※銀座「梅林」の愛称)や「本家 ぽん多」(※原文ママ)、「蓬莱屋」に目黒「とんき」とお腹の鳴るラインナップ。
ビフカツからチキンカツへと流れるくだりでは、パリ十六区にあったというロシア料理店「ニチェヴォ」まで登場する。「馬肉のタルタル」や「コーカサス風シャシリク」(※羊の串焼き)など列挙したメニューにまで肉をあしらうのが、実に心にくい。

冒頭の「スキスキスキヤキ」は愛娘の阿川佐和子によるもの。よく「作家・阿川弘之がいかにひどい父親であるか」をおもしろおかしく書きなじっているが、このエッセイでは父と囲むすき焼きの流儀を淡々と書いている。「伯父」に対しては「もう少し長生きしてくれていたら、一緒にゴルフをして、夜はすき焼き鍋を囲んで肉の取り合いができたのに」と惜しんでいるが、「父」に対しては回想のみ。ちょっぴり意固地な愛情表現のようにも感じられて、かえってかわいらしい。


肉のまわりにはたくさんの物語がある。「ハレのごちそう」だから、ともに肉を囲む作家の家族、親族、知人はそこかしこに登場する。一方で、孤独に「肉」と対峙する向田邦子や町田康の作品にはどこか哀愁が漂う。「肉」というハレの食と一人で向き合うことへの寂寥感か、それを面白おかしく書いてしまう作家という職業の業に由来するのかはわからない。

このアンソロジー、序盤はテッパンとも言える「牛」で入り、中盤でさまざまな種類の肉に展開。そして後半、一気に「うまそう」を加速させる。
ギアを上げるのは、東海林さだおの「豚肉生姜焼きの一途」だ。

「こいつを、まず一口分食いちぎる。きちんと脂身の配分を考えてくいちぎる。豚肉の厚みが歯に感じられ、次に弾力のある脂身がジワッとにじみ出て肉本体とからみあい、両者相俟って豚肉本来の味になったところへ、甘からの醤油ダレの味がわりこむ。つくづく豚肉のおいしさとは脂身のおいしさなのだなあ、と痛感したところで……」

ここまででもうよだれをダラダラと垂れ流してしまう。だが、実はめちゃくちゃにうまそうなハイライトはこのあとだ。
ここで詳細は控えるが、登場するのは豚ではない。にもかかわらず、作者自身もその後「食べる法悦のようなものさえ感じる」と書いている。確かにこのシーンを想像するだけで、法悦――「うっとりするような深い喜び。陶酔」(大辞林)で脳内が満たされていく。

ああ、もう生姜焼きのことしか考えられない。そう思って文頭から推敲を始めたら、今度はすき焼きのことしか考えられなくなった。肉は魔物だ。
(松浦達也)