●冬がやってきたエヴァ世界、ヒロイン論争に決着か

ついに!とうとう!完結編の14巻が発売された貞本義行氏の漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、貞本版)。「貞本義行氏の」と冠しなきゃいけないほどバリエーションが多いコミック版エヴァですが、本家本元のアニメ版でキャラクターデザインをされたご本人が執筆されていたという点で別格。
そして『コミックエース』での連載スタートから足かけ18年(昨年完結)、コミックにまとまるまでに19年もかかった超・長期展開という点でも破格でしょう。
すでに何十万回もネットで叫ばれてますが、改めて言わせて下さい。エヴァの世界に冬が来た! TVアニメ版や旧劇場版、新劇場版を通じて、セカンドインパクトにより地軸がズレて常夏になってしまったことはどの作品でも共通してました。いつでも半袖の夏服だったシンジくんが、表紙で雪景色にダッフルコートへの衣替えをしたのです。
「リセットしてやり直し」はアニメでもやってましたが、「丸ごと作り直した後の世界」が描かれるのは貞本版が初のこと。旧劇場版ではLCLの海の真ん中でアスカだけが人の形を取り戻し、シンジくんは人類を再生するつもりないだろ感ビンビンだったのが、今回は高校受験に行くのを見送ってくれる中学時代のクラスメートまでいる。
シンジが14歳になる頃にはなくなってたはずの「満員電車」まで走ってて(第3新東京市の人口はかなり少なかった)、時間の巻き戻しっぷりが本気です。
満員電車で助けを求める手をとってみれば…そこから先はヒロインをめぐる派閥で「勝ち組」と「負け組」が分かれる話でもあり、ご自分の目で確かめてください。そんな「エヴァに冬」は「コミックエース」での最終回で判明していたのでいいんです。

●コミック版に登場した新劇場版のあの人

コミック最終巻の本当の衝撃は、追加されたおまけマンガにあった。真希波・マリ・イラストリアスの正体が明らかにされた! ネタバレそのものの衝撃に加えて、まさかコミック版で……の不意打ち。マリって新劇場版からの新顔キャラですが、公式に新劇場版“だけ”とは言ってない。
貞本版の「こうなって欲しかったエヴァの結末」の余韻に浸っていたら、超長距離の加粒子ビーム砲に胸部装甲を撃ち抜かれた的なヤバさです。
ふつう一般にエヴァのスピンオフ作品は「アニメ版とはパラレル(別もの)」と割り切られるもの。でなければ人間に擬態した死徒(使徒ではない)の殺人事件を捜査する『名探偵エヴァンゲリオン』やエヴァが銃になる『学園堕天録』をどうつなげるんだという話にもなりますし。
でも、貞本版に限っては「アニメ版と完全にパラレル」は考えにくい。貞本さんご本人が「あくまでTVシリーズと旧劇場版でをコミカライズしたもの」と言い切っておられるから。その時は新劇場版の追加要素を入れるつもりはないとのことでしたが、もしもマリの設定が後付ではなかったとしたら…? 
さすがにそれは無理がありますが、アニメ版との整合性を重んじる貞本版が「勝手にやっちゃった」のはありえないんじゃないか。
新劇場版で「ゲンドウくん」とタメ口だったり、「幸せは歩いてこない〜」と妙に古臭い歌を口ずさむ辻褄が合いますしね。
基本的なプロットや結果はアニメ版と同じで、そこに至るまでの「感情」が異なるのが貞本版です。アスカと弐号機が量産機に喰われてる! 旧劇場版→初号機の中に引きこもって何もできないシンジ 貞本版→やる気満々で助けに行く 結果:どっちも十字架に磔されて人類補完計画スタートといったぐあい。自分は父親失格だからと息子に関わるのを自粛したテレビ版のツンデレ親父と、嫁のユイを独占されたからとシンジを憎む貞本版のエゴイストは、どちらも世界を滅ぼしてるよねと。
ラストの締め方も貞本版と旧劇場版ではまるで別の印象を受けますが、「シンジくんが新世界の創造主」という意味では結果は同じ。ただ、「どんな世界を望むか」ってイメージは性格の違い、前向きかどうかがモロに反映されちゃうんですよね。


●深いところでつながっている2つのエヴァ

どんな感情で動こうが結果は同じ……ということは、アニメ版と貞本版のキャラクターはスペックはほぼ等しい。旧劇場版と新劇場版では各エヴァの対使徒戦績もだいたいタメですし、シリーズを通じて「できること」と「できないこと」は一貫してる。つまり、貞本版は謎の多い新劇場版を読み解くヒントになる!
分かりやすいサンプルとなるのが、最後のシ者こと渚カヲルくん(貞本版では9〜11 巻)。テレビ版や旧劇場版では「出た、シンジに惚れた、首チョンパ」という謎のボーイズラブ要員でしたが、新劇場版にて出番がグッと増えたキャラです。
「序」で顔見せ、「破」ではカシウスの槍を投げてサードインパクトを阻止し、「Q」においてはシンジをピアノを連弾に誘って仲良くなり、13号機でセントラルドグマに降下したものの罠にかかってフォースインパクトを引き起こしかけ、シンジの首についたDSSチョーカー(エヴァを覚醒させた人間を即死させる装置)を自分の首に移動させて死亡……。
いやいや。
魂のないエヴァを動かし、ATフィールドを自力で張れるスゴい力持ってる存在が、人が作ったチョーカーくらいで死ぬの? フォースインパクトを止めるために引き金になる自分を排除するのは筋が通ってるとして、その動機となる「シンジが死ぬほど好き」って感情はどこから来たの?セリフは増えたのに謎を解くどころか、増やして退場した困ったキャラです。
テレビ・旧劇・新劇場版のどれにもなかった展開として、貞本版のカヲルは弐号機に搭乗して零号機のレイと共にアルミサエル(二重螺旋の使徒)を迎撃。レイを浸食したアルミサエルの触手は弐号機の左足を破断し、さらに取り込みを図ります。カヲルはアスカ以上にエヴァを使いこなす技量を示すものの、あくまで「人間としては」のレベルに留まり、使徒の本気には圧倒される。ネルフの監視があるためATフィールドの使用は控えてるとはいえ、マリのように裏コードで弐号機のポテンシャルを引き出したりはできず、「チョーカーを首から首に移し替える」を大きく超えた特殊能力はなさそうです。
そしてシンジLOVEの原因は、レイからの伝染。
アルミサエルに浸食されたレイはシンジへの本当の想いを自覚して涙を流しましたが、その感情が触手を伝わって流れ込んできたカヲルはもらい泣き。それ以前の、シンジが家に連れて帰れないネコを絞め殺していたカヲルには人間らしい感情がなかったので、正確には「同情」ではなく「感情のインプット」だったのでしょう。貞本版でも旧劇場版でもカヲルはレイに「君は僕と同じだね」という趣旨を言っていて、素体がアダムかリリスかの違いはあるにせよ、近い出自で肉体的に「共振」めいた繋がりがあったのかもしれません。
アニメ版ではぼやかされてたシンジとカヲルの深層意識を「もし君が僕を好きになったらどんな気分になるんだろう」「男は男を好きにならないよッ!」と言語化してキス(過呼吸の応急処置)までさせた貞本版は、妄想を広げる空白を圧倒的な画力で埋めていく隠し事のなさ。もしもエヴァが貞本版だけだったら、考察ブームや謎本は生まれようがなかったでしょう。
「Q」以降の新劇場版の難解さは「貞本版みたいに分かりやすくしない!」という庵野監督なりのサービスかもしれません。しかしキャラクターを動かす「内面」は違うが「性能」は同じで、別物のようでいて深いところで繋がっている2つのエヴァ。いきなり「マリは碇ユイの後輩」(ああ、言っちゃった)というミッシングリンクをお蔵出ししたことは、新劇場版シリーズの完結編「シン・エヴァンゲリオン劇場版」がどうなるか、ヒントが貞本版に隠されているというメッセージではないでしょうか。まぁ庵野監督に期待に応えてもらえない悲しみがご褒美のドMなファンにとっては、肩透かしに振り回されるのもサービスサービスぅ!なんですけどね。
(多根清史)