◆当時から現代をも学べる機会
シェイクスピア演劇の研究者が夏休みの五日間に、男子校二校の生徒たちに向けて「シェイクスピアを批評的に楽しむ」ためのレクチャーとワークショップを行う。
ちなみに、この二校はどちらも進学校である。
北村紗衣はフェミニスト批評の専門でもあるが、どうして女子校ではなく男子校で講義を行ったのだろう? 北村はその理由の一つとして、中学・高校において女子校の生徒はほぼ必ずジェンダー教育を必ず受けて社会に出るのに対して、男子校ではジェンダーについて学ぶ機会が少ないという現実を指摘する。つまり、自分たちがどれだけ特権的な立場にいるか自覚する機会がより乏しいということだ。
シェイクスピア劇には男性のホモソーシャルな世界が展開する作品が多く、女性の役は登場場面もセリフも男性に比べて圧倒的に少ない。北村によれば、これには劇団の人員の都合もあったのだと言う。英国ルネッサンス演劇の時代は女性が舞台に上がることがタブーとされた。すべての女性の役は十代から二十歳ぐらいの男性が演じたが、そんなに若くして達者な芸を披露できる者は限られていたのだろうと。
さて、こうした男性中心の劇には、いわゆる有害な男性性が蔓延していた。「男らしさにこだわるせいでメンタルヘルスの状況が悪くなる人」が沢山いる。リア王もマクベスもロミオもそれに当たるだろう。こうしたことに気づくためにもシェイクスピアは格好のテキストなのだ。
そんなわけでこの講義の受講者たちは最初に「クレオパトラ」「ヴァイオラ」「アリス」といったシェイクスピア劇の女性人物の名前をくじ引きで割り振られる。
シェイクスピアの生涯、作品解説、登場人物、英語の解説、翻案ものの鑑賞と授業は進んでいき、本書「第二幕」の最後に、ロミオとジュリエットの舞踏会での出会いのシーンを演出する課題が出され、一気に盛りあがる。時代、場所、衣装、そして出会ったふたりが踊る曲も自分たちで決めて演出するのだ。一種のアダプテーションである。優れたアダプテーションを行うには、高度にクリティカルな目で原作を読み解く必要があるだろう。
「シェイクスピアのお芝居は現代の我々のために書かれている」という言葉を北村は紹介する。劇作は“新訳”(新演出)されることで常に生まれ変わり普遍のものになるということだ。
平安時代のロミジュリも誕生する。美しい純愛劇に収斂しないようあえて「ノイズ」を取り入れ異化効果を演出する班もある。
議論が白熱するのは、現在のウクライナ侵攻を導入する演出プランが出たときだ。その生徒は自分たちがそれを題材にするのは「無責任」ではないかと疑問を提起する。つまり、フィクション創作の当事者性とその正当性を問うているのだ。なら、ロシアのチャイコフスキーの曲を使うのは不当か? これに北村はどう答えるか?
読み終えてこれは、批評とはなにかを追究する五日間でもあったことを強く実感した。
【書き手】
鴻巣 友季子
翻訳家。訳書にエミリー・ブロンテ『嵐が丘』、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ1-5巻』(以上新潮文庫)、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』(河出書房新社 世界文学全集2-1)、J.M.クッツェー『恥辱』(ハヤカワepi文庫)、『イエスの幼子時代』『遅い男』、マーガレット・アトウッド『昏き目の暗殺者』『誓願』(以上早川書房)『獄中シェイクスピア劇団』(集英社)、T.H.クック『緋色の記憶』(文春文庫)、ほか多数。文芸評論家、エッセイストとしても活躍し、『カーヴの隅の本棚』(文藝春秋)『熟成する物語たち』(新潮社)『明治大正 翻訳ワンダーランド』(新潮新書)『本の森 翻訳の泉』(作品社)『本の寄り道』(河出書房新社)『全身翻訳家』(ちくま文庫)『翻訳教室 はじめの一歩』(ちくまプリマー新書)『孕むことば』(中公文庫)『翻訳問答』シリーズ(左右社)、『謎とき『風と共に去りぬ』: 矛盾と葛藤にみちた世界文学』(新潮社)など、多数の著書がある。
【初出メディア】
毎日新聞 2025年10月18日
【書誌情報】
学校では教えてくれないシェイクスピア著者:北村 紗衣
出版社:朝日出版社
装丁:単行本(ソフトカバー)(408ページ)
発売日:2025-09-04
ISBN-10:4255013721
ISBN-13:978-4255013725