◆戦争と平和めぐるアイロニー
口訳(こうやく)、すなわち口語に訳した『太平記』である。『太平記』は鎌倉時代の終わりから南北朝の時代を描く軍記物で、室町時代に成立した。
具体例を紹介しよう。後醍醐天皇による倒幕工作が露見して、後醍醐方の土岐と多治見が六波羅(鎌倉幕府側)に急襲されるシーン。町田康は次のように書く。
“驚いたのは食らい酔って気持ちよく眠っていた多治見次郎で、
「なんや、なんや、どないしたんや。誰ぞ、酔うて喧嘩(けんか)しとんのんかいな。うわっ、ちゃうがな、カチコミやがな。どないしょ、どないしょ」
と慌てに慌て、下帯ひとつで爪を嚙(か)んで部屋をウロウロするばかりで的確な判断ができないでいた。”
笑える。映画『仁義なき戦い』の金子信雄を思い出す。
ちなみに兵藤裕己校注の岩波文庫『太平記』では、<多治見は、終夜(よもすがら)の酒に飲み酔(え)ひて、前後も知らず臥したりけるが、時の声に驚いて、「これは何事ぞ」と周章(あわ)て騒ぐ>と書かれている。
なお、吉川英治の『私本太平記』の多治見は、ひるまず勇猛果敢に戦い、矢が尽きて腹を切る。ぼくには金子信雄のような多治見のほうがしっくりくる。
あるいは本書における坂本の合戦の場面。佐々木三郎判官が武士たちを鼓舞し、比叡山の僧侶たちを殺せと命じる。
“「突撃してあの法師を殺せ」
「畏(かしこ)まりました。皆さん、聞きましたか。突撃しましょう。そしてあの法師を殺しましょう。家族のために! 未来の平和のために!」
「おおおおおおおっ」
「ドンドンチャッチャッ、ドンドンチャッチャッ、ドンドンチャッチャッ、ドンドンチャッチャッ」
「おーるうぃあーせいいんっ、いずぎぶぴいすあすちゃん」
そんな痴わ言、鬨(とき)の声を上げて、目賀田、楢崎、木村、馬淵、いずれも地元の武士を先頭に、三百余騎、勇みだって攻めかかる。”
こんなところにジョン・レノンとオノ・ヨーコが出てくるとは!
ふざけているのか? いや、そうではない。
ただし、この節の末で<後々、考えれば鎌倉幕府崩壊、北条氏の滅亡はこの時に決まったと言え、そんな決定しなければよかったのにと思うがマアしゃあない>と書かれていることに要注意だ。ラブ&ピースを侮る者はやがて滅びるだろう。
【書き手】
永江 朗
フリーライター。1958(昭和33)年、北海道生れ。法政大学文学部哲学科卒業。西武百貨店系洋書店勤務の後、『宝島』『別冊宝島』の編集に携わる。1993(平成5)年頃よりライター業に専念。
【初出メディア】
毎日新聞 2025年11月15日
【書誌情報】
口訳 太平記 ラブ&ピース著者:町田 康
出版社:講談社
装丁:単行本(488ページ)
発売日:2025-09-26
ISBN-10:4065407923
ISBN-13:978-4065407929