本書の著者ルネ・ディレスタは、スタンフォード・インターネット・オブザーバトリー(2024年解散)にて、ネット上のプロパガンダや嘘情報を研究していた。反ワクチン活動家から受けた攻撃の実体験にはじまり、ネット世論やフェイクニュースによる煽動が形成される過程にせまった書籍『ネット世論の見えない支配者』から、訳者あとがきを公開します。
◆オンラインの世界は透明性を確保できるのか?
「見えない支配者」という本書のタイトルは、「広報(PR)の父」と呼ばれたアメリカ人広報マン、エドワード・バーネイズが自著で使った言葉、「姿の見えない支配者」から来ている。第一次世界大戦中、バーネイズは米国内の世論を参戦へと方向づけるべく立ちあげられた広報委員会(CPI)に所属。いわゆるプロパガンダ活動を行うが、これが平時においても利用可能なことに気がつく。つまり大衆に製品やアイデアを売りこんで購買行動を起こさせる広告主やマーケティングの専門家たちもまた、世論を形成する力を持つ「見えない支配者」であり、同じ仕組みを利用して政治の世界で候補者を大衆に「売りこむ」こともできるのだ。そしてその際に重要なのは政策ではなく、大がかりな見世物(スペクタクル)だとバーネイズは考えた。
さて、広報委員会の活動期間は1917年から1919年なので、米国ではまだ公共向けのラジオ放送がはじまっていなかった(ラジオ局の放送開始は1920年)。バーネイズたちのプロパガンダ活動にはラジオも使われたようだが、大衆に向けてのメッセージは主にポスター、新聞広告、集会での演説(ボランティア7万5000人をかき集め、作家や広告業者に指導させたうえでコミュニティー・センターなどで戦争支持の演説をさせたというのだから、これだけでも想像を絶する規模だ)をとおして発信された。
CPIのこの活動からもわかるが、情報発信にどのような媒体が利用可能か次第でプロパガンダの形態は変化し、誰が「見えない支配者」となり得るのかも大きく変わってくる。著者のルネ・ディレスタはプロパガンダを変えた技術革新の例として印刷機、ラジオ、インターネットを本書で挙げている。16世紀頭に起きた宗教改革では、マルティン・ルターの『九五カ条の論題』が印刷されてドイツ中に広められたことがなによりの推進力となった。カトリック教会の腐敗を批判するルターの言葉は簡潔で大衆にもわかりやすく、人々の心を動かしたのだろう。
同じく、技術革新が与えた力により大衆の心をとらえた宗教家として本書で紹介されるのが、1930年代の著名なラジオ伝道師、カフリン司祭だ。
カフリンはもともと宗教活動で大衆から絶大な信頼を得ていたため、リスナーたちはこれに猛反発し、ラジオ局の前に集まって半年以上抗議活動を繰り広げた。
技術革新の最新の例、インターネットが生みだした「見えない支配者」、インフルエンサーと、そのフォロワーの関係はカフリンとリスナーのそれに酷似している。たとえばウェルネス系や健康系のコンテンツで高い人気を得るようになっていたインフルサーが、新型コロナパンデミックの期間中、新型コロナワクチンを疑問視し、接種しないよう勧めたら、彼女を信頼しているフォロワーはその言葉を信じ、もしも誤情報や偽情報を理由に件のインフルエンサーのアカウントが凍結されれば、不当な措置だとプラットフォーム側に集団で訴えるだろう。そして実際、そのようなケースは多々あった。
著者のルネ・ディレスタは新型コロナパンデミック中および米大統領選挙中に、噂の拡散の分析を行い、その対策法を模索した。そしてのちにそれを「情報検閲」と曲解され、20年も前の学生時代にCIAでインターンをした経験を「元CIA」とされるなど、自身が誤情報・偽情報を流されることになった。本書で示されている、嘘の噂の標的にされてしまった場合の対処法は彼女自身の体験にもとづくものだ。
[書き手]岸川由美(翻訳者)
【書誌情報】
ネット世論の見えない支配者:フェイクニュース、アルゴリズム、プロパガンダを操るものの正体著者:ルネ・ディレスタ
出版社:原書房
装丁:単行本(544ページ)
発売日:2025-10-28
ISBN-10:4562075775
ISBN-13:978-4562075775