『東京四次元紀行』(イースト・プレス)著者:小田嶋 隆Amazon |honto |その他の書店

◆孤独を抱え、流転していく
六月、六十五歳で亡くなった小田嶋隆が遺(のこ)した本書は、掌編小説集だった。稀代(きだい)のエッセイストならではの毒やロジックの魅力は影を潜めて、絶望的な状況でも生きていく人間を肯定的に描いている。
叙情的な物語でさえある。

小説集としては異例なことに、小田嶋自身による序文とあとがきが収められている。「失敗した落語のマクラみたいなものになるだろう」と言い繕い「ただ、私はこれらの作品をあれこれいじくりまわしている間、とても楽しい時間を過ごすことができた」と内心を吐露するに至る。名をなした文筆家が小説を書くには、高い壁が立ちふさがっているとわかる。

二十三区をめぐる連作が中心である。新宿区にはじまり、港区で終わるが、前半が特にすぐれている。冒頭の「残骸−新宿区」では、語り手が運転している車が神保町の交差点で停止していると、突然「健二」が助手席のドアを開けて乗り込んできた場面が衝撃的であった。健二はやくざのチンピラであるとわかる。「愛嬌(あいきょう)のある下っ端は、どんな世界でも扱いやすい手駒として需要が高い」と書くあたりは、鋭い警句で知られた小田嶋の片鱗(へんりん)が見える。この健二は、その日に逮捕され、次の「地元−江戸川区」では、妻と幼児のいる家庭を持っているが、愛嬌は消え去り、暴力を制御できなくなっている。

サックス奏者として食べていく野心を持つ福島の中学生(「サキソフォン−杉並区」)。母子家庭に育って、公共図書館で時間を過ごす中学生と幼なじみ(「幼馴染(なじみ)−大田区」)。
みな鬱屈(うっくつ)と孤独を抱え込んでいるがゆえに、痛ましく、胸を打つ。

登場人物たちが、リレーのように、区をまたいで流転していく。予定調和のような区のイメージに寄り添いつつ、巧みに裏切っていく。北区に生まれたなら、板橋、豊島、文京の一部まで。東京に育った人間の郷土意識は、半径五キロに限られるとするのも鋭い。戦闘的なツイートを間断なく発していた小田嶋は、東京をいとおしんでいた。人も区も、ひとところにとどまらず、流れていくのだと告げていた。

【書き手】
長谷部 浩
1956 年生まれ。慶應義塾大学卒。演劇評論家、東京藝術大学名誉教授。 現代演劇から歌舞伎まで幅広く評論活動を展開。著書に『4 秒の革命 東京の演劇1982-1992』(河出書房新社)、『傷ついた性 デヴィッド・ルヴォー演出の技法』(紀伊國屋書店)、『野田秀樹論』(河出書房新社)、『権力と孤独 演出家 蜷川幸雄の時代』(岩波書店)、『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』、『菊五郎の色気』(いずれも、文春新書)、『菊之助の礼儀』(新潮社)など。
蜷川幸雄との共著に『演出術』(ちくま文庫)。また、編著に『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』、『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』(いずれも、岩波現代文庫)などがある。紀伊國屋演劇賞審査委員。

【初出メディア】
東京新聞 :2022年8月27日 /中日新聞:2022年8月28日

【書誌情報】
東京四次元紀行著者:小田嶋 隆
出版社:イースト・プレス
装丁:単行本(ソフトカバー)(304ページ)
発売日:2022-06-03
ISBN-10:4781621023
ISBN-13:978-4781621029
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