体感温度はマイナス30度。まつ毛は凍りつき、歯の震えは止まらず、カメラのバッテリーはあっという間に底をつく。
そんな極限の環境に、自らカメラを携えて飛び込んでいく人物がいます。

かつて存在したソビエト連邦。その崩壊から30年以上が経った今も、ロシアには当時の記憶をそのまま残す廃墟や施設が点在しています。

本記事では、旧ソ連15カ国すべてを旅した写真家・星野藍氏の著書『旧ソビエト連邦を歩く』(辰巳出版)より一部を抜粋・編集し、身体と機材が限界を迎える極寒のロシアで、彼女がどうしてもカメラに収めたかった「失われた国家の痕跡」と、狂気にも似た撮影への情熱に迫ります。

■体感マイナス30度。極寒のロシアへ渡った理由
冬のロシアで見た様々な景色は、改めて冬の美しさを実感したと同時に地獄も味わう事となった。

2020年12月の終わり、私はウラジオストクにいた。時はまだコロナ禍真っ只中、各国出入国の制限が課せられ海外旅行など夢のまた夢になってしまった。

しかしロシアは違った、何と2020年11月日露間の航空旅客輸送再開に伴い10月にはビザの取得申請を再開していたのだ。これは行くしかないのではないだろうか。情報収集は怠らず、目紛しく変わる出入国状況を毎日確認しながら私は渡航を決意した。

成田空港からアエロフロート・オーロラ共同運行、ウラジオストク便の乗客は大半がロシア人だったが少数の日本人旅行者もいて、中には新婚旅行の夫婦もいた。
機内は満席でほとんどのロシア人はマスクをきちんと着用していなかった。

日本全体がマスクに敏感になっていた時世では信じられない光景だった。キャビンアテンダントも鼻マスク、何て大らかなんだ。ウラジオストク現地でもノーマスクが多かった。

私はコロナ云々というより外気が寒過ぎてずっとマスクをしていたが、マイナス10度を下回る寒さは私よりもカメラのほうに影響を与えた。

■凍るカメラと震える身体……限界を迎えた極限の撮影
ウラジオストク到着翌日、朝から凍りついた海の上を撮影していたらあっという間にバッテリーが0%になってしまった。

幸い合計3台持って行ったので頑丈な古株Canon 5DmarkⅢだけは極寒の撮影に耐え抜いてくれたが、今時のミラーレス一眼は画質こそ優れているもののこのような過酷な環境には弱いようだ。カメラ・レンズヒーターも用意すれば良かったと後悔した。

さらに翌日、気温はマイナス15度を下回った。海上レストランの廃墟を撮影しに行ったが猛烈な強風と寒さに全身の震えが止まらず静止した。

歯がガチガチなり続けレンズを交換しようにも指が悴かじかみまともに動かない。自分の意思思考に身体が付いていかない。
あの強風の中体感温度はマイナス30度を下回っていたのではないだろうか。

想像以上の寒さに、装備を現地のスポーツ用品店で買い足す事にした。極寒という寒さの最上級の言葉ではまだ生易しい、死への誘いが骨の髄から纏わり付くような寒さだった。

店の品揃えはなかなか良かった。買い物する人々も店員も全員ノーマスクだった。薄手だが極暖な裏起毛ロングパンツと追加のネックゲイター、カメラマングローブの上から装着する分厚いミトン型の手袋を購入した。

指先が悴み動かなくなっては撮影はできない、シャッターを切る時だけミトンを外し常に指先を守るようにした。

カメラも外気に晒し続けるのではなく撮影する時以外はカメラバッグやアウターの中に入れる、いちいち取り出すのが面倒だがそうする他なかった。

■寒さで高ぶる感情。巨大廃墟の奥に見たもの
ウラジオストクで愉快な正月を迎え、街や人々の様子を見て「これは国内線で移動しても大丈夫そうだな」と判断しさらに北上、ハバロフスクまで行ってみる事にした。

この時のハバロフスクの最低気温はマイナス27度、ウラジオストクよりもマイナス10度ほど寒かった。寒さの質がまた変化する、肺の奥から凍ってしまいそうだ。


まつ毛が凍りマスクを取れば鼻の穴の中まで凍る。シロクマのロゴが可愛いSORELのスノーブーツでも足元が冷たい。震えで筋肉が痛み身体はどう考えても辛い、しかし寒さが厳しくなればなるほどテンションは上がっていく。

この時対峙したのはハバロフスク北部最大の企業だった造船所の廃墟だった。現役の造船所の敷地内にあるので警備員に交渉を持ちかけ許可を得る事ができたが「鍵はないから後は適当に入れる所から入って」……丁度壊れた窓があったのでそこから入った。

敷地内を闊歩する大きな犬たちは、狭い隙間から中に入りゆく私を見届けると去って行った。視界の先にあったのは鎌と槌のマークだった。農民と労働者の団結を表し、マルクス・レーニン主義の共産主義や共産党のシンボルとして各所で使用されている。

伽藍洞の部屋を抜けドアを開け、奥へ奥へと進んでいくとあまりにも巨大な船の軀体が目の前に姿を表した。広角レンズではとてもじゃないが収まりきらない。まるでソビエトそのものを体現しているかのようだった。

冬の極東ロシアは氷の世界だ。
降り積もった雪は太陽光で溶けては凍りを繰り返し硬質の氷となっていく。

どうしてこんな厳しい環境下でも人は生活を営み生きていけるのだろう。中国国境付近の廃墟と化した軍事都市を目指した時もそんな疑問しか湧き上がらなかった。

■失われた景色。「今行かないと」という焦燥
同年春、私は雪解け後のロシアに降り立っていた。

今行かないと絶対に後悔する、そんな予感がした。そしてそれは悲しくも2022年ロシアがウクライナに軍事侵攻した事により現実となってしまった。

私が見た放棄された鉄屑たちはことごとく解体され姿を消した。ロシア人の友の中には祖国に失望し海外に移り住んだ者もいた、ウクライナ人の友がいるロシア人も多い。

ロシアは外国人が気軽に訪れるには障壁が多い国となってしまった。(人によっては今も昔も変わらず障壁が多い国と感じているかもしれないが)あれから私はロシアを訪れていない。

次に訪れるのはいつになるだろうか、そう遠くない気もするがかつてのような純粋な気持ちでは楽しめない気がする。


言い知れぬ焦燥感に駆られ、風が吹くまま移動に移動を重ねた。この記事の執筆者:星野藍 プロフィール
福島県出身。写真家・グラフィックデザイナー。軍艦島をきっかけに、廃墟を被写体として撮影を始める。旧共産圏や未承認国家に強く惹かれ、近年縦横無尽に巡っている。「APAアワード2024」金丸重嶺賞、「名取洋之助写真賞」奨励賞を受賞。著書に『旧ソビエト連邦を歩く』(辰巳出版)などがある。
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