明治時代に入って政治は大きく変わりましたが、日々の暮らしが何もかも一変したわけではありません。
屋号や銘柄を木板で掲げたり、品物を象って吊るしたりする「看板」のスタイルは江戸時代に確立されました。明治時代になると、幕府の商店に対する規制がなくなり、店舗装飾や看板はより豪華なものとなっていき、金属製の看板や油彩を施した看板など、西洋の技術を取り入れた看板も作られました。また、開業の告知や新年の挨拶などで配られた広告用の摺り物「引札」も、江戸時代にその慣行が定着しました。明治後期に新聞広告が宣伝方法として浸透していくなかで、引札は、景品としてもらってうれしい、絵が主役の印刷物という性格を強めていき、石版印刷などの新技術がその発展を後押ししました。
一方、たばこ、酒、薬などの産業において、大手メーカーが特定の販売店と特約を結んでメーカーに有利な販売網を築くという動きが広がったのも明治時代でした。この商法により、看板・引札のみならず、新聞や雑誌の広告や街頭宣伝など、宣伝競争に拍車がかかりました。
本展は、3つのコーナーで構成し、江戸時代から明治時代の商いの変遷をたどります。さまざまな業種の看板・引札、店舗を描いた絵画、当時華やかな宣伝合戦を繰り広げたたばこ商の広告資料など約200点を通して、明治期の商いの世界を紹介します。
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(Photo_01)糸屋の模型看板 国文学研究資料館蔵〈後期展示〉
展覧会の構成と展示内容は以下参照
■開催概要
名称 : ひきつけるカタチとコトバ-看板・引札にみる明治の商い
ヨミ : ヒキツケルカタチトコトバ-カンバン・ヒキフダニミルメイジノアキナイ
会期 : 2026年4月25日(土)~6月21日(日)
前期 : 4月25日(土)~5月24日(日)
後期 : 5月26日(火)~6月21日(日)※前・後期で一部の資料を入れ替えます
主催 : たばこと塩の博物館
会場 : たばこと塩の博物館 2階特別展示室
所在地 : 東京都墨田区横川1-16-3(とうきょうスカイツリー駅から徒歩10分)
電話 : 03-3622-8801
FAX : 03-3622-8807
URL : https://www.tabashio.jp
入館料 : 大人・大学生:300円/小・中・高校生、満65歳以上の方:100円
開館時間: 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 : 月曜日(ただし、5月4日は開館)、5月7日(木)
※やむをえず開館時間や休館日を変更する場合があります。最新の開館情報は、公式Xまたはお電話でご確認ください。
【展覧会の構成と展示内容の紹介】
※資料キャプションの〔 〕内は広告主。
※所蔵者の表記がない資料は、たばこと塩の博物館所蔵。
■第1部 店の見せ方
店という漢字は「みせ」とも「たな」とも読みますが、どちらも、道行く人に売り物を見せるための台「見世棚(みせだな)」に由来します。室町時代の風俗画には、すでに見世棚を設けた店舗が並ぶ長屋が描かれています。江戸時代になると、京都や江戸で町人の店舗と住宅を兼ねた町家建築が発達し、他の都市でも京都や江戸の様式を基に各々特徴的な町家が造られていきました。明治時代になると、幕府による商家への厳しい建築規制がなくなり、町家建築は豪壮さを増していきます。
看板は、売り物を示す標識として、すでに平安時代の市で使われていたようですが、造形への工夫や定型化が進んだのは、町家の発達した江戸時代以降のことです。明治時代には江戸看板の定型を引き継ぎつつ、庇(ひさし)の上に掲げる看板の大型化、軒行灯(のきあんどん/ガス灯)の登場など、新たな要素が加わっていきました。
【看板のいろいろ】
看板を形態で分類すると、「建看板」「置看板」「掛看板」などがあります。また、内容で分類すると、屋号や品名を文字で記した「文字看板」、取扱品などを象った「模型看板」、取扱品そのものを使った「実物看板」、洒落を効かせた「洒落看板」などがあります。ここではそれぞれの代表的なものを紹介します。
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〈参考図版〉『守貞謾稿』巻五(写)喜田川守貞 誌 国立国会図書館デジタルコレクションより、製薬店の看板を形態別に解説したページ
左 : 「建看板」路上に独立した木の柱を建て、柱の上部に設置。
中央: 「置看板」床や地面に直接置く看板。
この図は屋内用の衝立看板。
右 : 「屋根看板」庇の上に設置。
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(Photo_02)薬屋の文字看板(衝立看板)〔六条御殿御免 相伝鴨慈敬寺調合所用達 伊藤芝寿軒〕昭和ネオン高村看板ミュージアム蔵
参考図版『守貞謾稿』掲載と同じタイプの置看板。
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(Photo_03)たばこ屋の模型看板(掛看板)
たばこ葉の形を模した看板。掛看板は、屋内外の壁面に金具などで提げる。
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(Photo_04)たばこ入れ屋の実物看板(掛看板)
実物のたばこ入れと同じ素材と技法を用い、看板のように大きく仕立てたもの。
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(Photo_05)「東京自慢名物会 薬種化粧品問屋 せと物町 きの国や斎藤」梅素薫図案 福田熊次郎版 1896年(明治29)頃
屋根に取り付ける屋根看板が描かれている。道路に垂直に設ける江戸時代流と道路に平行に設ける明治時代流の看板が併存している。
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(Photo_06)眼鏡屋の模型看板(吊下看板)昭和ネオン高村看板ミュージアム蔵
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(Photo_07)「本家和洋御眼鏡仕入所 六角通寺町西入 玉屋事 向与兵衛」『工商技術 都の魁』(下)より 石田有年編、石田才次郎刊 1883年(明治16)
屋根看板として、眼鏡の模型看板が掛かり、庇の下には軒看板として文字看板が掛かる。左下には、路上に置かれた箱看板や絵入りの掛看板も見える。
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(Photo_08)帳面屋の模型看板(吊下看板)国文学研究資料館蔵
木の素地に、墨書した和紙を貼り付けて作られている。
【看板代わりの什器たち】
店名や商標を記した什器は、店先などに置かれ、看板と同じような役割を果たしました。
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(Photo_09)店名入りたばこ盆〔長命寺桜餅〕
向島名物「長命寺桜餅」の焼印が入った、升形のたばこ盆。
■第2部 客の呼び方
得意先の数や質は、今以上に経営を大きく左右するもので、引札も得意先に配るものでした。現在でいえばチラシよりもダイレクトメールに近く、冒頭に「口上(こうじょう)」と記し、日ごろの愛顧に感謝する挨拶文に始まり本題に入るといった、定型化された文体が用いられました。一方、戯作者に気の効いた宣伝文を依頼したり、宣伝文ではなく絵が主役の絵びらを配ったりすることもありました。もらってうれしい印刷物を配って、得意先との関係維持を図ることも、引札が担う役割のひとつでした。
【こんなとき引札-開店、売出し、効能書き】
新規開店時には新たな顧客をつかむため、小さな店であっても引札を不特定多数に配りました。開店時以外にも不特定多数に引札を配る店は、大店の呉服店などに限られていました。得意先へ配る引札には、年末などに行う売出しの告知や、商品の由緒や新商品の案内を記した能書きなどが多く見られます。
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(Photo_10)引札「煙草開業売出し」〔諸国刻巻煙草処 下谷区東黒門町八番地 堀口銀太郎〕
江戸時代以来たばこ店の暖簾は柿渋色だったため、たばこ店の引札であることが一目でわかる。開業にあたっての口上と、末尾には開業から3日間、記念品を進呈することが書かれている。
【戯作者や浮世絵師による引札】
引札の宣伝文を戯作者が手がけることもありました。
【絵びらのたのしみ、初荷のにぎわい】
明治後期になって新聞広告が定着してくると、引札には、情報を伝えることよりも、景品としての役割が求められるようになって、絵が主役のものが増えていきました。絵が主役の配布・掲示用の印刷物は絵びらとも呼ばれます。
正月用の引札は、縁起物や略暦が石版印刷などで色鮮やかに刷られた、景品的な引札の代表です。客はこれを家などに貼って長く楽しみました。現在の名入りカレンダーを配布する慣行の源流といえるでしょう。
正月には、引札を配るとともに、商店にとって仕事初めである初荷(はつに)が花々しく催されました。荷車を、初荷札と呼ばれる簡易な垂れ幕などで飾り立て、その年の初出荷品を載せて、街を練り歩きながら、得意先へ届けました。
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(Photo_11)引札(絵びら)〔兵庫宮前町魚市場北江入 諸国煙草売買所 浜崎庄兵衛〕印判版木摺物 大坂心斎橋すじ北久太郎町 中沢八兵衛 1881年(明治14)
略暦を載せた絵びら。1872年(明治5)に旧暦から新暦に切り替わったが、実際には旧暦も依然必要とされていて、略暦には、旧新暦双方の情報が記された。上部には蒸気機関車が描かれている。縁起物の絵びらに、こうした文明開化の象徴が描かれるのも明治時代の特徴。
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(Photo_12)「うしほ染中形初荷の景況」『風俗画報』第283号より 松谷画 1904年(明治37)個人蔵
浴衣地などに化学染料の青色で型染めした東京の名産品・潮染の初荷の様子が描かれている。製造を手がける三社連合「うしほ組」が問屋の協力のもと催し、人形町から吾妻橋までを700人ほどの行列で練り歩いたという。
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(Photo_13) 引札(絵びら)〔内外刻巻煙草卸商 京都四条大橋西ヘ入 小林商店〕
新年の挨拶用に作られた絵が主役の引札。
【つつむ紙、そえる紙、もらえる紙】
商標や屋号を摺った包紙やラベルは、商品や店の印象づけや販促効果につながります。江戸時代は木版の墨刷か、せいぜい二色刷でしたが、明治時代になると、輸出品用に他国の製品との対抗から多色刷の豪華なラベルが作られるようになり、国内品へも波及しました。緻密な描線を得意とする西洋由来の木口(こぐち)木版印刷や、引札と同じく石版印刷などが採用され、小さな画額に趣向が凝らされました。得意先に配る景物[おまけ]の紙ものは、夏は団扇(うちわ)、年始は暦や双六(すごろく)などが定番でした。
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(Photo_14)きせるの包紙
■第3部 変わる商い
明治後期になると、工業や流通の発達に伴って、全国に自社製品を流通させるメーカーが増えました。
【守田治兵衛の宝丹(ほうたん)・岸田吟香の精き水(せいきすい)】
広告宣伝のさかんな製薬業界で、明治前期に特に目立った活躍を見せたのが、守田治兵衛と岸田吟香でした。
守田治兵衛は江戸初期開業の老舗で、9代目の治兵衛(1841-1912)が宝丹という薬の宣伝で名を馳せました。商標などに使われた治兵衛自筆による独特の書体は宝丹流と呼ばれ、フォントでブランドイメージを作るという発想がない時代でしたが、商品を強く印象づけました。一方、儒者として遊学した後、辞書編纂、新聞記者、実業家など多方面で活躍した岸田吟香(1833-1905)は、1875年(明治8)に銀座に楽善堂(らくぜんどう)という薬舗を構え、精き水と名付けた目薬を扱いました。新聞広告や引札などの広告で精き水を宣伝したことは、現在につながる広告のさきがけといえます。
※「精き水」の「き」は正しくは金へんに奇
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(Photo_15)「東京自慢名物会 宝丹 池之端仲町 守田治兵衛」梅素薫図案 福田熊次郎 版 1896年(明治29)
左上に宝丹流で書かれた「宝丹」の字が見える。芸者の右上に描かれた提灯には、宝丹の商標である神鏡と同じ房飾りがつく。
【新たな商法・新たな広告】
特約店制度を取り入れた業界では、メーカーが特約販売店に自社の商品看板を掲示するよう促しました。当時の商品看板は、メーカーが販売店に"売る"ものでした。一方、メーカーはお金を出して、新聞広告を出しました。大手メーカーは、しばしばその紙面で全国各都市の特約店一覧を掲載し、自社の販売網を誇示しました。販売店が自ら新聞広告を出すこともありました。新聞広告は、引札のように自ら制作や配布をせずとも、広範囲の読者に宣伝できるため、商圏が拡大した新時代の商売にとって、理に適ったものでした。
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(Photo_16)「恵比寿ビール」の看板(掛看板)〔宮内省御用達 大日本麦酒株式会社〕昭和ネオン高村看板ミュージアム蔵
「恵比寿ビール」は日本麦酒醸造が1890年(明治23)に発売した本格的なドイツ式のビール。発売当初から特約店を通じ、新聞広告を駆使して売り出された。
【明治たばこ宣伝合戦】
明治後期に、大手たばこ製造業者の岩谷松平(1849-1920)、千葉松兵衛(1864-1926)、村井吉兵衛(1864-1926)らが繰り広げた、紙巻たばこの販売競争は、宣伝合戦として知られています。各社は、全国主要都市の販売店と特約店契約を結んで製品を卸し、自社製品を商品看板とともに流通させました。複数社と特約を結ぶ店では、各社の商品看板が躍り、まさに合戦の様相を呈しました。引札、景物も、各メーカーが当時最先端の印刷技術を使って制作しました。他にも新聞雑誌の広告、屋外広告や楽隊による街頭宣伝など、宣伝手法は多岐にわたりました。
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(Photo_17)村井兄弟商会の看板(掛看板)
村井兄弟商会はアメリカ産葉たばこを使い、アメリカ式に作った「ヒーロー」をヒットさせ、1890年代後半に急成長した。この看板には、代表的な商品を身につけた洋風の人形があしらわれている。この人形の造形看板もある。
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(Photo_18)看板「日乃出」〔東京岩谷商会〕
薩摩出身の岩谷松平が、島津家の家紋を思わせる、丸に十字の屋号を使った商品看板。村井がアメリカ産の葉たばこを使ったアメリカ式の紙巻たばこを売りにしたのに対し、岩谷は国産葉にこだわった。
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(Photo_19)引札(絵びら、たばこ店の図) 国一画
店名を入れる前の引札。宣伝競争が最盛期を迎えたころのたばこ屋の店頭。多種多様な商品看板であふれている。