ただもうファンクあるのみ、何はなくともファンク。NOTHING BUT THE FUNK(NBTF)は、ファンクやソウルなどの伝説的なセッションに名を刻んできた日米の腕利きミュージシャンが合流して2000年にスタートしたユニットだ。
奇しくもインタヴューを行った日は、沼澤氏と交流が深かったジェイムズ・ギャドスンが他界する5日前。そのギャドスンとの数々のエピソードをはじめ、LAでボビー・ウォマックのバンド・メンバーに抜擢されて87年に“来日“した時のエピソード、パティ・ラベルのレコードにノンクレジットでハイハットだけ入れたこと、さらにはブルーノ・マーズやディアンジェロ、プリンス、エイドリアン・ヤングなどについても楽しく脱線しながらたっぷりお話しいただいたが、今回はNBTFの話にフォーカスしてお届けしたい。
[取材・文]林剛 [取材協力・写真提供]P-VINE RECORDS
―― NBTFのアルバムとしては今回のセルフ・タイトル作『NOTHING BUT THE FUNK』が初めてで、いわばデビュー作となるわけですが、25年間も活動を続けてきたNBTFがここにきてアルバムを出したのは何故でしょう?
沼澤:トロンボーンのスティーヴ(・バクスター)が亡くなったことですね。いろいろと音源を録ってはいたけど、出すって言ってもね、出したいけど、どうなんだろう?っていう感じで、あんまり現実的じゃなかった。それで去年、スティーヴが亡くなって、デモみたいに録っていた音が結構あったので、ちゃんと曲にしたほうがいいよねって。
――スティーヴが亡くなったことによってアルバムが完成したと。
沼澤:そうですね。オリジナル曲をやりたいね、とか言いながらそんなにやってなくて……始まりとしては、何か録音しないとってことになって、キーボードの森(俊之)くんの家のスタジオにメンバーが遊びに行ったのが最初です。締め切りもないし、レコード契約したわけでもないから、これを何とか形にしてやろうというよりは、ちょっとしたアイディアをもとにみんなが少しずつ録音して、ここにちょっとホーン入れとくわ……みたいな感じでやっていたのが、この10年ぐらいですかね。それで、スティーヴが心臓の移植手術をして、元気になった時にみんなでビデオチャットしたんですよ。
―― となると、「アルバムのコンセプトは?」と聞かれても困るわけですね。
沼澤:決まったコンセプトはないですが、ある意味、スティーヴの追悼がコンセプトかな。スティーヴが亡くならなかったら、アルバム作ろうとか、CDを出そうとか思わなかった。何かを作ろうとしなかったし、何風にやろうというのもなくて。そもそもアルバムを作るきっかけがなかったし、年齢もいってるし、古い人たちが何やってんの?みたいになっちゃって、作っても売れないだろうなぁ、と。自分たちがやってきたことを形にしなきゃということで、なんとか曲を集めつつ、ちょうどShikao & The Family Sugarのツアー中だったのもきっかけになってスガ(シカオ)くんとのコラボが実現して6曲揃ったね、みたいな。だから本当にスティーヴが亡くなったことが大きかった。
―― これまでにいろいろなメディアで語られてきたと思いますが、改めてNBTF結成の経緯についてお聞きします。
沼澤:森くんを除いて全員シーラ・Eのバンドに参加した人たちです。最初は佐藤竹善くんのバック・バンドとして、僕がLAでカールたちとやっていた13キャッツ(87年に結成、4枚のアルバムを発表)が呼ばれたのが始まりなんですよ。2000年の正月明けにロサンゼルスでリハをやって、2ヶ月間の全国ツアーの合間の日本滞在中にバンドだけでNBTFと名乗ってライヴをやったんです、南青山の《MANDALA》と《Chicken George》(神戸の老舗ライヴハウス)で。神戸の日が誕生日だったエディ・M、彼はプリンスのザ・レボリューションにもいた人ですが、プリンスやクール&ザ・ギャング、ジェイムズ・ブラウン(JB)、クルセイダーズといった自分たちの好きなファンクのカヴァーばかりやっていたから、セッションの名前はNBTFでいいでしょう、みたいな。そのセッションの名前でブルーノートやビルボードでライヴをやれることにもなって、もうバンド名でいいんじゃないかって。当時はオリジナル曲を全然やっていないから、悪い言い方をすると懐メロ・バンド。でも、SING LIKE TALKINGや佐藤竹善くんに呼んでもらえて自分たちの存在も知られるようになって、さらに竹善くんのソロ・ツアーでもでもバック・バンドをやっていたから、そのおかげでライヴにも結構お客さんが来てくれて。
―― 13キャッツの延長線上にあるのがNBTFというわけですね。
沼澤:完全にそうです。だから当初は13キャッツの曲もやってたんですよ。13キャッツとしては99年のライヴ以降活動してなくて、リーダー(キャット・グレイ)がジェーン・チャイルドと結婚して、地元でテレビの仕事を始めてバンドを続けられなくなったので、徐々に彼抜きでセッションをやるようになっていたんです。カールは35年間サンタナのバンド中心人物で、今年NAMMショウ(毎年1月にアナハイムで開催される楽器・音響機器の展示会)で「生涯功労賞」を受賞しましたし、エディとカールはすごいキャリアのレジェンド達ですが、ずっと仲良しのまま30年以上の長い付き合いですね。
―― そして、程なくして森さんが加入すると。
沼澤:森くんはスガ(シカオ)くんのファースト・アルバムからずっとキーボードを弾いて、僕はスガくんのバンド(Shikao & The Family Sugar)での武道館や大阪城ホールの公演に声をかけてもらって、そのままバンドに残ったんですが、そこからの付き合いですね。それでNBTFの海外のメンバーがアース・ウィンド&ファイア(EW&F)のバンドで来日した時、終演後に南青山の《MANDALA》で深夜からセッションをやり始めた時に森くんも参加してくれたのが最初です。当初キーボードを弾いていたキャット・グレイがバンドから抜けたので、どうする?ってなったタイミングでNBTFでの日本ツアーが決まって、みんながそのセッションで気に入った森くんを誘おうって僕に連絡が来て。
―― ネイト・マーセローは世代が若くて、さらにその後の加入になりますよね。
沼澤:ネイトは最近ですね。まだ30代だし。彼はシーラ・Eのバンドで何人かのギタリストが(オーディションで)試されてる時にやってきて、全員蹴散らしたって言ってました。ネイトは、あの若さでジョン・スコフィールドのフレーズをトランスクライブ(採譜)してコピーしたり、そうかと思うとジェイムズ・ブラウンもできちゃう。なんでもできて、今どきの感じのところでもワーッといけるからリオン・ブリッジズとかリゾもやって、エイドリアン・ヤングの〈Jazz Is Dead〉の周辺にも出入りしている。
―― NBTFは沼澤さんがリーダーというわけではない?
沼澤:全然違います。日本で表に出る時は、沼澤がやってるバンドだよってしないとっていうことですね。
――今回のアルバムは全曲レイモンド(昨年はEW&Fの日本公演にヴァーダイン・ホワイトの代打を務めた)がミックスをやってますよね。
沼澤:そう。レイモンドに「任せた!」と。自分はドラムを入れるだけで、たぶん自分が日本でミックスをやったら全然違うものになってたと思います。どれだけJBに近づけようか……ってなったと思うんですよね。
―― やはりミックスで大きく変わってくるのですね。
沼澤:それはもう全然、音楽変わるくらいになりますね。もし、みんなでスタジオにいて僕もロサンゼルスにいたら、また違ったかも知れない。
ナッシング・バット・ザ・ファンク/ナッシング・バット・ザ・ファンク
P-VINE PCD-22449 定価¥2,420(税抜¥2,200)
TRACKLIST
1. ANA
2. FROZEN FUNK featuring SHIKAO SUGA
3. THIS FUNK GONE MAKE U M
4. BLACK PYRAMID
5. CHICKEN GEORGE
6. N.B.T.F.
投稿 【SPECIAL INTERVIEW】 NOTHING BUT THE FUNK 沼澤尚 インタヴュー Part.1 は ブルース&ソウル・レコーズ に最初に表示されました。


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