小さな子どもが、一戸建ての家の二階から落ちる場面から物語は始まる。母親が電話に出ている間にベランダに出てしまい、蝶を追いかけようとして落下したのだ。
恵実の父親である守口伸一が、遠い親戚から購入した土地に家は建てられている。「橘の木を大切にする」ということを条件に、安く譲ってもらったのだ。木を切りたいと考えた母・秋江は、売主の親戚に話を聞こうとするが連絡が取れず、不動産屋に聞いてもはっきりしたことは教えてくれない。その後、不動産屋の紹介だという拝み屋の女性が家を訪れ、橘の木には子孫繁栄の力があること、切らないのは子どもたちのためでもあることを秋江に告げる。やがて家には、妊娠を願う女性たちが橘の木を拝みに来るようになった。恵実がお腹に触れて温かくなると子が授かるという噂も広がり、占い師が定期的に女性たちを連れてくるようになる。
守口家は地元で「橘の家」と呼ばれるようになった。恵実と兄の豊は、家のことが原因で学校では避けられていて、なかなか友達ができない。生殖に関する話と女性たちの強い欲望が曝け出される環境を怖れた豊は、家を出る決意をする。
「子孫繁栄をどうして人間は願うのでしょうね」
守口家を訪れた拝み屋が口にするこの言葉は、小説のテーマでもある。長い年月の間に、妊娠や出産に対する社会の意識は大きく変わってきた。だが産みたい、産みたくないという願望の通りに人生を進めることが困難なのは、時代が変わっても同じではないか。それぞれの時代で、多くの女性たちが苦しみ翻弄されてきたのだろう。幼い頃からたくさんの女性たちのお腹に手を触れ続けてきた恵実も、その一人である。
その切実な思いが、橘の木という存在を通して描かれていく。構成の見事さと読者を引き摺り込む心理描写に、読みながら何度もゾクっとした。
三作目となるこの小説で三島賞を受賞した中西智佐乃氏だが、過去作品ではまた別のやり方で、社会から置き去りにされた人々の思いを掬いとるように書いている。
(高頭佐和子)