斧田小夜は、第十回創元SF短編賞に投じた「飲鴆止渇(いんちんしかつ)」で優秀賞を受賞してデビュー。2022年には最初の短篇集『ギークに銃はいらない』(破滅派)を上梓している。
どの作品においても語りの視点が切り替わったり、時系列が前後したりする凝った構成で、それが中核のアイデアやテーマとうまく絡んでいる。
そのなかで、冒頭に収められた「麒麟の一生」は、現代の上野公園で起きた爆発事故という枠物語はあるものの、メインの物語は一本筋(長大な時空をまたぐものの)なので、身構える必要もなく、すんなり読める。暗く広い宇宙に漂っていた光が、地球の引力につかまって地に墜ち、意識を得る。それがやがて麒麟となった。麒麟は酒の味を覚え、酩酊すると光になって宇宙に舞いあがってしまう。この超越的な存在の楽しみはほぼ酒の快楽だけで、人間的なしがらみや感情とは無縁だ。しかし、たまたま出逢った龍(麒麟が酒を覚えたのは龍のおかげだ)や、漢の武帝(彼は麒麟を瑞兆として歓待する)のあいだには、それなりのつながりが生じる。飄々としたなかに、刷毛で掃いたような情緒が残る一篇。
「飲鴆止渇」は、伝説上の動物、鴆(ちん)のイメージが鮮烈に描かれる。圧政が敷かれている揺碧国で民主化運動が高まり、議事堂前の広場でデモ隊と軍とが衝突。
明らかに天安門事件を下敷きにしており、鴆はメタファーとして物語を駆動する。しかし、そのいっぽうで、メタファーに還元できない存在感も放っており、それがこの作品の力強さでありSFの冴えだ。物語の終盤では、鴆が残した毒と、監視社会を一段先へ進めるガジェットとが結びついていく。
「では人類、ごきげんよう」は、AIが語り手であり、しかもアイデンティティが継続していない(つまりひとつのAIから別のAIへと「語る」機能が引きつがれる)、いささかアクロバティックな仕掛けの作品だ。太陽系外から未確認物体(アンノウン)が侵入。そのアンノウンからサンプルを採取するプロジェクトが組まれる。
「ほいち」は、「耳なし芳一」を近未来にリトールドした作品。芳一の役まわりを担うのは車載AIで、亡霊が耳のかわりにバックミラーを引きちぎっていく。
「デュ先生なら右心房にいる」は、入植惑星で驢䍺(ろか)----品種改良によって生まれた宇宙ロバ----が行方不明になり、宇宙ステーションに陣取っている動物医師、デュ先生が招聘される。
「海闊天空(かいかつてんくう)」は、天才的な女性、高水月(ガオシュイユエ)の物語。高水月は若いころ、勤務先の新設工場の上司がおこなっている不正に気づき、それをきっかけに遊牧民の青年、カンツォと知りあう。上司は自分の不正をもみ消すが、高水月はひそかなトラップをネットに仕掛けていた。ときはめぐり、高水月とカンツォの息子、志海(チーハイ)が土中に埋まっていた貔貅(ひきゅう)----腹に財宝を貯めこんでいる神獣----の像を掘りだす。
これも凝った構成の作品で、まず志海の貔貅発見からはじまり、やがて不思議なことが起こり、そこから時間を遡って高水月のエピソードが語られる。そして、終盤ですべてが意外なかたちでつながるのだ。
(牧眞司)