球団のレジェンドとして大きな期待を背負った金本氏が、最初に着手したのはドラフトからの育成改革だった(C)産経新聞社

育成重視を前面に打ち出した「鉄人」

 2023年に18年ぶりのリーグ優勝を果たし、昨年は史上最速でのペナントレース制覇。球団史上初の連覇を狙う今季も開幕から快調に白星を重ねている阪神が、「常勝軍団」と呼ばれることに疑いはない。

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 まさしく黄金期を迎えているチームの中核を担うのは、近本光司と中野拓夢の不動の1、2番コンビに、佐藤輝明、森下翔太、大山悠輔のリーグ屈指の中軸。

投手陣に目を移しても村上頌樹、才木浩人のダブルエースに、セットアッパーの石井大智、クローザーの岩崎優……立役者を挙げればキリがない。

 彼らに共通しているのが、「生え抜き」であるという事実。球団が自前で育てあげてきた選手たちが着実に成長し、1軍の主力にまで上り詰めた。ここ数年でFA補強を敢行していない動静からも、“生え抜きの選手”を育成しながら戦っていくという球団の確固たる方針が見える。

 それを可能にしたのは、やはり球団のドラフト戦略だ。

 05年のリーグ優勝以降、阪神は何度もAクラス入りを果たし、優勝争いにも加わってきたが、あと一歩のところで届かず。その間にチームを支えていたのは“補強組”で、球団幹部の1人は「(リーグ優勝した05年の)黄金期の選手が全員、ずっといるわけではないので。そこで、次の時代というのは、MLBの外国人であるとか、MLBで活躍した日本人であるとか、そこに積極投資をした」と振り返る。実際、助っ人ではマット・マートン、マウロ・ゴメス、ランディ・メッセンジャー、いわゆる“MLB帰りの日本人選手としては、城島健司、福留孝介、西岡剛といった面々を中心に据えてチーム編成を進めていた。

 そんな中で1つの分岐点となったのが、16年から指揮を執った金本知憲監督の就任。現役時代に「鉄人」と称されたレジェンドは、補強に頼らず、育成重視を前面に打ち出して、フロントとも手を取り合って改革に動き出した。

 就任直後の“初仕事”となった15年のドラフトでは、当時に「大学ナンバーワン野手」の呼び声が高かった高山俊(明治大学)の交渉権をヤクルトとの競合の末に獲得。

2位では同じく明治大学の捕手・坂本誠志郎を指名した。

 12年は藤浪晋太郎、13年は岩貞祐太、14年は横山雄哉と即戦力の投手を1位指名してきた中で、補強ポイントを「野手のセンターライン」と位置づけた象徴的なドラフトだった。一方で、この時の5位にはフロント陣のプッシュもあって、帝京大学にいた青柳晃洋(現ヤクルト)を指名。変則右腕として注目された彼も後に開幕投手を担うまでに成長を遂げた。

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いまの阪神打線に欠かせない主軸となった大山(左)と佐藤(右)。彼らもいわゆる「生え抜き」で、ドラフトによって猛虎へと招かれた(C)Getty Images

球団幹部が「あまりない」と振り返ったドラフト戦略とは?

 そして、翌16年ドラフトでは、大方の予想を覆す形で白鳳大学の大山悠輔を単独指名した。すでにチームに在籍していた高山、横田慎太郎(13年ドラフト2位)、江越大賀(14年ドラフト3位)らとともに野手の強化指定選手として金本監督の指導の下、スラッガーへの道を歩んでいった。

 17年のドラフトは一転、1位で即戦力投手・馬場皐輔(仙台大学)、2位では潜在能力を買って高橋遥人(亜細亜大学)を指名。度重なる故障に苦しんだが、高橋は今季の開幕から圧倒的な投球を披露してチームの躍進をけん引している。

 金本監督は18年を最後に退任となったが、バトンを受けた矢野燿大監督が、ドラフト戦略に加え、育成の路線も継承。同年のドラフトでは、近本(大阪ガス)、小幡竜平(延岡学園)、木浪聖也(亜細亜大学)と1位から3位を即戦力と育成で織り交ぜた“センターライン”で固めた。

 当時、球団副本部長だった嶌村聡球団本部長は、こう振り返っている。

「センターラインが(戦力的に)なかった状況。だから、まんべんなくというよりは徹底的に補強ポイントでいって、そこを埋めていくということをやっていかなければ、チームとして成り立たないというのがあった。センター、ショート、ショート……普通は野手、野手、野手(の指名)はあまりない。そういうことをする時はチームに穴がある時。普通はどこかで投手をいく。でも、その時の戦略的には、まずセンターラインを埋めるために近本、小幡、木浪という順番でいってというところからの出発点」

 その後も20年の佐藤輝明(近畿大学)、22年の森下翔太(中央大学)と外国人に一切、頼ることのない野手の育成方針を貫いて獲得した選手たちが、長い時間を要することなく、チームの中心選手へと育っていった。

 ただ、金本監督就任とともに舵を切った生え抜きの育成路線よりも前に、球団は2000年代前半から地元の関西出身選手を積極的に獲得するべく、大学や社会人チームとの関係構築に尽力していた。育成と地元重視が絶妙に絡み合った路線が、後に近本、才木、村上、佐藤輝など多くの関西出身の生え抜き選手がチームを支えるに至る、今のチーム構成を導く形となった。

 ここで忘れてはいけないのは、補強路線が色濃くあった時代にFAやMLBから移籍した選手たちの“レガシー”も確実に今の生え抜き選手に受け継がれていっているという点。世代交代、そして新陳代謝を繰り返しながら、ドラフトという大きな“補強装置”を有効活用し、強き令和の猛虎は生まれた。

[取材・文:遠藤礼]

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