山田太一の最新刊『空也上人がいた』、イッキ読みですよ。
いや、ほんとに。

「イッキ読み!」とか誰かが言ってもね、上下巻で分厚い本だってことあるでしょ。ええええーって思う。嘘じゃーん。たしかにおもしろいからイッキ読みの気分かも、だけど、途中でトイレいくし、っつか、こんな長いのイッキ読みできるのなんてどんだけ自由人だよ、って思う。
でも、これは本当にイッキ読み。
なにしろ155ページなので映画観てるぐらいの感覚で読み終わる。

山田太一の小説を「イッキ読み!」って側面でオススメするのはいかがなものか?
とおっしゃりたい人がわーわーと押し寄せてきている気配を感じます(妄想)。
わかります。
27歳のヘルパーをやっている青年。
46歳のケア・マネージャー。
81歳のおじいちゃん。
『空也上人がいた』の登場人物は、以上の通り。

イッキ読み!なんてイメージのスリル満点の秘境大冒険やら、天地揺るがすどんでん返しの連続やら、生死を賭けた殺し合いなんてタイプの小説ではありません。
でも、ほんとにイッキ読みしちゃったからなー。
いや、世界は地味です。地味というのがなんなら地に足がついている。
ヘルパー2級の資格を持っている青年は、特別養護老人ホームで働いていた。
廊下でつまずいて、押していた車椅子のおばあちゃんが飛び出してしまう。ケガはなかった。だれもが辞めることはないと言う。でも青年は辞める。
その六日後におばあちゃんは死ぬ。ケア・マネージャーである重光さんは、辞めた青年に、独り住まいのおじいちゃんの世話をしないかと持ちかける。
物語はそんなところからはじまります。


「もう介護の仕事はやる気がないってこと?」
「いまはそうです」
「なにやるの?」
「からっぽですよ、まだ」
「二年余り打ち込んだ仕事だものね」
「入居者ほうり出したんだから、終わりですよ」
「個人でね、頼みたいっていう人がいるの」
「在宅でってことですか」


どこが、イッキ読みな展開なの? といぶかしがる人もいるでしょう。
それが、すーっと引きずり込まれて、気づいたら読み終わって、ぷはーっと現実にもどってくるような小説なのです。

「二十七歳と八十一歳じゃあ、にわかに話がはずむわけにもいかないね」
「はい」
「はい、か。いいね、余計なこといわなくて」


なんといってもセリフのテンポ。
山田太一は、テレビドラマの脚本家だ。
『男たちの旅路』シリーズ、『ふぞろいの林檎たち』シリーズ、『岸辺のアルバム』『早春スケッチブック』『想い出づくり』『ありふれた奇跡』、傑作のタイトルを挙げていくだけでもきりがない。
その独特なセリフ回し、そしてセリフとセリフの跳び方。日常の対話のなかから、あっと思わせる瞬間を作り上げる妙は、絶品です。

「そうです。ただ若いだけです。オレなんかなんにもないですよ」
「あんたがうなぎをうまそうに食べるのを見て心を打たれた」
「ケチが身についてるから」


山田太一は小説もたくさん書いている。
ジェントルゴーストストーリーの『異人たちとの夏』、タイムスリップものの『終りに見た街』、時間が逆行するなかのラブストーリー『飛ぶ夢をしばらく見ない』、ダークファンタジーの傑作『見えない暗闇』など、テレビドラマとは違って、荒唐無稽なことが起こるモノが多いのだが、最新刊『空也上人がいた』は、超常的なことは起こらない。
起こらないけど、起こってるのではないか、と冷静に考えるとそうも思える。日常の中の奇跡。
ジェットコースターのような波瀾万丈なタイプの小説ではない、と書いたけど、でも、レビューを書くために読み返すと、まちがってた。とんでもない波瀾万丈な展開が繰り広げられている。殺したんじゃないか?という疑惑。ARG(代替現実ゲーム)的な指令。目的不明の無茶ぶりな指図。丁丁発止のやりとり。意外な動機。
ピストル撃ったり、すごいところからジャンプしたりしないから、波瀾万丈じゃないと思っていたけど、実は、静かに深いところで波瀾万丈だった。
いや、詳しく具体的に書きたいけど、ここでは書けない。読むときの楽しみを奪いたくない。

ぜひ読んでもらって、静かに驚愕してほしい。

「目が―」
「動いた?」
「じゃなくて―」
急に嗚咽がこみ上げてきた。
「おいおい、泣くか」と重光さんは呆れたように素早くいった。「いい齢をして泣くな。ちゃんと話せ。泣くな。男が泣くな」


27歳、46歳、81歳の三人が登場人物。
読者も、そのうちのひとりの誰かに年齢が近いだろう。山田太一は77歳だ。自分の年が近い81歳の老人を主人公にせずに、27歳の青年を主人公にした。81歳の老人の内面は描かれない。老人の奇妙な行動を青年があれこれ推測するだけだ。
でも、だからこそ伝わってくる。

「お話を早く聞きたいわね、という目くばせです」
「いいね。一瞬の内輪の目くばせ。恋のはじまり」
「バカいわないで下さい」
「では要点をいおう」


そして、なんと、ラブストーリーなんですよ、これ。27歳×46歳×81歳のラブストーリー。
あなたはいま何歳ですか?
そして、この年齢差での恋愛はありですか?
本を読んで気持ちはどう変わりましたか?
自分と違う年齢のひとの気持ちをどれほど実感することができますか?
帯に著者がこう書いている。
“もう願いごともいくらも果たせない齢になり、あと一つだけ小説を書いておきたかった。二十代の青年が語る七十代にならなければ書けなかった物語である”
自分が七十代になったときは、どんな考え方や気持ちを持っているんだろう。
自分が二十代だったときの気持ちは、どんなだっただろう。
単純な驚きは、驚いたなーって感じで終わっちゃう。でも、静かな驚きは、ずっと気持ちの中に残っている。
イッキに読み終わって、読んでもう一週間以上たってる。
なのに、心の小さな波紋は、いまでもおさまらない。(米光一成)
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