なぜ人妻はそそるのか?

この問いに乗るべきか、乗らざるべきか。個人的には、成熟した女性にそそられることはあれども、人妻だからそそられるということは、ない(たぶん)。
そもそも文字どおり、人の妻だし。「ああ他人の妻~♪」と大川栄策も歌っていたことだし。いや、他人の妻だからこそ、そそられる人はそそられるのか。

……と、そんな疑問をよそに、いま、人妻というジャンルは空前のブームを迎えている。それが証拠に、コンビニの成人向け雑誌のコーナーは人妻をテーマにした雑誌であふれかえっているし、AVや風俗業界でも同様の傾向が見られ、AV女優が実年齢よりもあえて歳を上に申告する、いわゆる「逆サバ」も流行っているという。どうしてこんなことになっているのか。
この背景には、単に需要が増えているということ以外にも色々あるらしいのだが、それについては追い追い触れるとして、まずは本書、本橋信宏『なぜ人妻はそそるのか?「よろめき」の現代史』の内容について紹介したい。

本書は、著者の言葉を借りるなら《戦後から現在に至るまで、多彩な資料と証言、報告例》を研究素材に、《人妻という属性が孕む危い魅力》について、そして《人妻という存在が社会のどんな位置に置かれていたのか、社会的、歴史的、文学的な見地から考察を試みた》ものである。

その言葉どおり、本書でとりあげられるのは、終戦直後の映画『風の中の牝どり』(※『風の中の牝どり』の「どり」は正しくは奚に隹)。『東京物語』(小津安二郎監督)、『武蔵野夫人』(大岡昇平原作、溝口健二監督)にはじまり、昭和30年前後、猥褻か否かをめぐって裁判となったD.H.ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』(伊藤整訳)や、人妻が夫以外の男に強い関心を示すことを指して「よろめく」という流行語を生んだ三島由紀夫の『美徳のよろめき』といった小説であったり、さらに昭和40~50年代における、日本テレビ「お昼のワイドショー」での素人ヌード撮影のコーナー(写真界の大御所・大竹省二が担当)や、にっかつロマンポルノ第1作である『団地妻 昼下がりの情事』、フランス映画『エマニエル夫人』と、その人気に触発されて制作された『五月みどりのかまきり夫人の告白』など、たしかに多彩だ。

ここまでは、作品の内容や史実がわりと淡々と叙述されているのだが、1980年代に入り、出版業界で仕事を始めた著者の体験談が織り交ざるようになるとがぜん内容はナマナマしくなる。たとえば、週刊誌のコラムで若き日の著者が思いつくがままに「学生ホスト連盟」なる団体をでっちあげたところ、これに全国の女性たち、とくに人妻から「遊んでください」という手紙が殺到、大学生たちとともに実際に彼女たちと会って、相手をすることになったという。
あるいは、それまで学習マンガを描いていたものの鳴かず飛ばずだった青年マンガ家(著者とは無名時代よりつきあいがあった)が、1985年にテレクラが出現したのを境に、その体験記を官能小説誌や夕刊紙に描き出したところこれが大当たりし、“テレクラマンガの大御所・成田アキラ”が誕生したという話も出てくる。さらに1990年代以降をとりあげた第5章以降では、近年、著者が熱心に取材しているAVに出たり風俗で働く人妻たちの肉声を交えつつ、「人妻ブーム」といわれる現況が語られる(なお、著者はこれまでに『やってみたら、こうだった 〈人妻風俗〉編』『人妻は告白する なぜAVに出たのか』などのインタビュー集を上梓している。ちなみに後者のタイトルは、本書でもとりあげられている映画『妻は告白する』をもじったもの)。

さて、現在の「人妻ブーム」の背景にはいったい何があるのか。そこには、バブル期を経て、ファッション、ヘアメイク、体型にカネと時間を費やすことを覚え、30代、40代になっても美貌が衰えず、熟成した女性美を放つ女性が増えたということもあるのだろう。また、若い女性のあいだで性に対する開放感が広がったうえ、携帯電話の普及もあり、風俗やAVの世界に対して精神的な障壁が低くなったこともあるようだ。
もちろん、風俗入りする前提として、夫の稼ぎだけでは家計を維持できなかったり、また借金を抱えているなどといった経済的な事情を持った人妻たちもけっして少なくない。

さらに見逃してはならないのは、1999年の「新風営法」の改正と「児童ポルノ禁止法」の成立だろう。「新風営法」の改正では、これにともない店舗型の風俗店は新規出店ができなくなり、新たに登場した無店舗型(派遣型)の風俗店がにぎわうようになった。どぎつい看板を出した店に出勤する姿を見られる心配がない分、それまで風俗で働くことをためらっていた人妻にとって、こうした変化は大きかったという。もうひとつ、「児童ポルノ禁止法」では、その施行によりアダルト系出版業界が、それまで主流だった女子校生をテーマにした写真を自粛、余ったページと予算を人妻系モデルに注ぎ込むようになる。これとあわせて、かつてAVで人気を博した女優たちの復帰、中年になって初めて脱ぐ熟女たちの登場もあり、“人妻戦線”は活況を呈していったのである。


著者は現在の人妻ブームについて、「それまで日本の男たちのあいだで共有されてきた『女は若いほど価値がある』という価値観がいまやくつがえり、人妻のように成熟した女性を求め始めた」といった見方を示している。ただ、これについて私はやや懐疑的だ。それよりもやはり前述のような法律による市場の変化、とくに「児童ポルノ禁止法」の影響が大きいように思う。堂々と制服や体操着姿の女子を表に出せない以上、法律的にはひとまず問題もない(倫理的な問題はあるかもしれないけれど)人妻が前面に押し出されるのは自然だといえないだろうか。ましてや、実写だけでなくアニメやマンガにまで規制対象の拡大が懸念されるいま、人妻というジャンルはますます各業界の頼みの綱になっていくに違いない。

思えば戦前には、人妻が夫以外の男と関係することを禁止し、違反した者には厳しい罰則を設けた「姦通罪」が存在した。
それが戦後、男女平等を謳った新憲法にあわせて廃止され、人妻たちは法律上は恋愛をする自由を得るようになった。その人妻たちがめぐりめぐって、21世紀を前に登場した新たな法律により性的な対象としてクローズアップされていることに、歴史の皮肉を感じてしまう。(近藤正高)