これから就職活動に入ろうという学生と、その家族の方によい本をお薦めしたい。沢田健太『大学キャリアセンターのぶっちゃけ話』だ。著者は民間企業の人事職から教育産業に転じ、さまざまな規模の大学でキャリアセンターの職員として働いてきた人である。サブタイトルに〈知的現場主義の就職活動〉とあるところがミソ。知的現場主義は、就職活動の当事者であるすべてにかかる。職を求めて歩く学生、それを受け入れる側の企業、仲介をする立場のキャリアセンター、その三者だ。
実際に読んでもらうのがいちばんいいが、本書の内容は単純に言うと以下の3点に要約できる。
その1、大学及びその中の専門機関であるキャリアセンターは「行き過ぎた適応主義」に陥るな。
本書によれば大学内にキャリアセンターなる部門が設置されるようになったのは1999年の立命館大学が最初の例で、2000年代に入って国公立や私立、規模の大小を問わずに右を倣えで設立されるようになったという。入学者獲得の切り札として、大学生き残りをかけてキャリアセンターの充実を図ろうとしているところもある。いいことだろう。
その2、採用する側の企業は、たまには口ごもるくらいの誠をもって学生に応対せよ。
超買い手市場が続き、かつ就職活動が早期化したこともあって、1企業が迎え入れなければならない就職活動者の数は20年前とは比べものにならないくらい増加しているはずだ。その中で企業説明会が「きれいごと」になりすぎ、本当の意味での企業情報を伝える場になっていないことを沢田は指摘している。以前は電話帳の束のような形で送られてきた就職情報誌がネットの「ナビ」化したことにより、企業が送り出す情報の量は膨大なものになった。その中で企業の本音は見えにくくなっているのである。マスに向けて送り出される情報に本音の含有量があまりないのは当然だ。企業の採用担当は、将来の顧客候補である学生に対していい顔ばかりを言おうとしている。でもたまには口ごもりながら本当のことを言うくらいの人間味を持とうということだ。
その3、学生は「唇をかみながら」己を知れ。
その2にも関係することだが、企業の採用情報がマスに向けられるようになり、エントリーが「誰でも」可能になるということは、その逆で「本当は縁がない人にまで門戸が開かれてしまう」ということだ。採用担当のきれいごとに惑わされ、とらなくてもいい一人相撲をとらされてしまっている学生は多いはずである。また、コピー&ペーストで仕上げられた卒業論文やレポートにほとんど読むべき内容がないのと同様に、誰でもアクセスできるネットの資料だけに頼った企業研究には、他の就職志望者と自分を差別化できるような実はほとんどない(だからこそキャリアセンターをうまく利用すべきだと著者は言う)。だが、「他の人はやらない何か」を手に入れる前にやらなければならないことがある。「就職活動を行っている一員として、自分が他人からどう見られているのか」を知ることだ。それは実は痛みを伴うことである。当然の話で、学生の身分というフィルター越しに社会に向かってきた人間が、初めて生身の状態で現実と接することになるからだ。本書を読んでいると、キャリアセンターの仕事の多くが「現実に接して傷つけられた学生」のケアにあるように思えてくる。この直観はたぶん間違っていないだろう。
以上が本書のあらましである。第4章「保護者は隠れた戦力である」は、この本を当事者としてではなく読む家族への手引きだろう。一緒に企業説明会にくっついていけ、ということではなく(そういう親が今はいるのだ、ということに驚いた)、社会人の先輩として、傷ついた子供が頼ることのできる家族として、後ろ盾になってやれということである。
告白してしまえば、私はこの本を他の読者とは同じ関心で読むことができなかった。自分が就職活動をしていないから――ではない。まったく逆で、かつて私自身が企業の採用担当だったことがあるからだ。おおやけにする原稿ではたぶん始めて書くが1990年代の前半ごろ、私は某企業で学生を選別する側にいた。そのころの知見が現在就職活動をしている人に役立つわけはないが、本書の内容を裏から補強する意味で書いておこう。
以下はブックレビューのおまけである。
私が企業の採用担当をしていた1990年代の前半はバブルが崩壊し、それまでは異常な売り手市場だった採用活動が一気に逆転した時期だった。だが、それによって採用活動が楽になったかというととんでもない。
一番大きいものは、自分たちがコストセンターだという自覚である。収益を上げることができない部門である以上、2つの課題を会社からは背負わされる。
1つは、「かかるコストを最小限に抑えろ。どうしてもコストが発生してしまう場合は、それが企業成長の上でどうしても必要なものであるということを論理的に説明しろ」という現状肯定のための課題。
もう1つは、「コストセンターとはいえっても企業戦士の一員なのだから、なんとか会社のために貢献しろ。有形の貢献(売上げ)が無理なら、無形の何かをどっかからひねりだせ」という現状改革の課題である。
後者のほうについては、仕事の種類を増やすことで対応した。採用活動で忙しいのは、企業説明会が解禁になる前後数ヶ月である。それ以外の時期に福利厚生の仕事の一部や人事研修を請け負うことで、「一年を三月で暮すいい身分」という非難を避けるわけだ。また、採用活動自体の付加価値を高めることにも腐心した。
本書で沢田は企業説明会がショーイベント化されている風潮を批判し、以下のように皮肉っている。
――応募者の数を集めたい、という意図はある。が、それ以上に強くあるのは、「うちの商品のいいお客さんになっていただきたい」との計算である。採用活動ついでに、自社宣伝をここぞと展開するわけだ。だから、本来の企業「説明」は、サラッと済ますだけでかまわない。「親切でいい会社だったね」という印象さえ残ればいい。
うん、まったくその通りだ。企業説明会の開催のために稟議書を作成したからよく判る。その中には私も「採用活動を通じてよい印象を学生に与え○○(会社名)ファンを増やす」と書いた。たしかに書いた。「えー、そんな下心が……。大人って汚い」と思う人は社会人失格である。人が千人単位で集まるイベントでそういう宣伝を目論まなかったら、自社ブランドを売ろうとしている企業人としては失格だ。
会社からのもう1つの課題、コストセンターである自分を肯定しろ、という命令のほうだが、こっちのほうが大変である。だって人件費は固定費だからだ。減収減益になれば経費を切るのは当然のこと。その最大の標的は固定費である。採用担当時代、私は常にこの圧力に泣かされてきた。そのための説得材料を集めるのが、採用活動ピーク外の最大の課題であったといってもいい。年齢層別の人口ピラミッド表を作り、ここで採用活動を辞めると会社はいびつな形に成長して、上の世代から下の世代へ職場の技術・モラル継承ができなくなります、と説得しようとすればこう言われる。「人が足らなくなったらアウトソーシングしたらいいんじゃないのか」「そもそも、お前ら人事もアウトソーシングしたらいいんじゃないのか」うわ、薮蛇かよ!
こうした圧迫に耐え、いい人材を採るといかにいいことがあるか、を採用担当は社内で説明して回っているわけである。だから学生が漠然と「御社で自身の可能性を試してみたいと思います!」とか「やる気だけは誰にも負けません!」とか言われると、人の気持ちも知らんと言ってくれる、と思ってしまうわけである。「御社のこういう部門で貢献したいと思います」とか「大学時代にこういうことを頑張ったので営業に適性があります」とか言ってくれる学生が可愛く見える理由、判ってもらえますよね?
自分たちの採る学生はどこに出しても恥ずかしくないピカピカの人材です、と採用担当は言いたいのである。そのためにわかりやすい指標を社内に提出する必要がある。困ったことに本当に役立つ人間を採ったかどうかの判定は、彼が職場に配置されてみないとわからない。結果が出るのはたぶん3年後だ(だから3年以内離職数の調査もちゃんとやって、自分たちの採り方が間違っていなかったと証明してみせた)。
説得材料として即効性があるのは、私の採用担当時代には「学校名」だった。本書では採用活動の最大のタブーとして「学生が人間性ではなく学校名という看板で選別されている現状」について踏み込んでいる。そこはぜひ読んでもらいたい。「10代のときに遊びたいのを我慢して受験勉強をしたのだから、きっと会社に入っても同じように自身を律して働いてくれるはずです」というのは採用が人事決裁をとる上で大きな説得材料なのです。これは私の場合だけかもしれないが、採用担当として働いていた会社では「大学では何をがんばったか」に学業を上げ「卒業論文の内容を詳しく教えてください」を判りやすく書いた学生によく内定が出ていたように思う。アルバイトとかサークル活動ではなくて学業を重視したというのは、「やりたいこと」ではなく「やらなければならないこと」をいかにがんばったか、という評価だったはずだ。やる気を数値化できる成績、文章として表現できる学業は強いのである。
1990年当時の悩みは、現在とは逆で「自分たちの会社のいいところ」が学生になかなか伝わらなかったことだ。あまり広告に頼らない会社だったので学生から「企業イメージ広告を出したほうがいいんじゃないですか」とか心配されたりもした。ほっとけ! 学生に企業情報を伝えるのが私たちの指名でもあった。そのために学内説明会をやってもらおうとして大学にも日参しましたな。あのころの就職課には主みたいなおっちゃんたちがいて、その人たちに可愛がられるのが採用担当の仕事の1つでもあった。当時のそういう努力が結実したのが、現在の企業説明会の形であり、キャリア教育という大学側の対応なのである。「いい情報」を盛大にアピールしなくても企業に人が集まってくる時代の新しい採用活動はまだ確定されていないと本書を読んで私は感じた。かつての仲間でもある採用担当者にも、ぜひこの本を読むことをお薦めしたい。(杉江松恋)