こんなことを告白するのは恥ずかしい。何が恥ずかしいって、だって「巨乳好き」ってなんかバカっぽくないですか? ぼくはね、エッチだと思われてもいいけどバカだと思われるのは我慢ならんのです。
なぜかは分からないが、多分「おっぱいの大きい女はバカだ」というような根拠のない偏見と同じなのではないかという気がする。おっぱいが大きいのはバカだし、そんなバカに惹きつけられるのもバカだ、という理屈ではないか。そうに決まっている。
「フェチ」という言葉が市民権を得て久しい(やや元の意味とはずれてきているようだが)。「あたしってえ、声フェチなんですう」などと女の子が平気で口にできる時代だ。○○フェチだという公言は、そのものズバリの性器とかお尻とかおっぱいとかをありがたがる原始人とは違う、少し進化した文明人なんですのよ、という気取りを感じる。おっぱい好きの人間としては、「あらあらまだおっぱいが恋しいなんて子供なのね」と言われてるようだ。
長年親しくさせていただいている漫画家の喜国雅彦さんや、その喜国さんが偏愛する谷崎潤一郎は足フェチらしいが、何ともインテリな雰囲気が漂って、むっとさせられる。退廃的で、高尚で、なんか芸術的ではないか。
フェチはまだいい。
さて、『魔乳秘剣帖』(山田秀樹/エンターブレイン)である。その名の通りの「おっぱい漫画」で、昨年夏アニメ化され、このたびめでたくDVD(BD)も完結した作品だが、まあそのバカっぷりったらない。
体裁はまんま時代劇。しかし、「豊乳は富にして絶対」「貧乳は人にあらず」という価値観が支配しているという点だけが史実とは異なっており、その価値観の違いを軸に、歴史の書き換えが行なわれたパラヒストリック時代劇である。よしながふみ『大奥』のギャグ版を想像していただければよい。
とにかくこの世でもっとも価値あるものは「豊乳」なので、豊乳術という秘伝を持つ「魔乳家」が力を持っている。ちょうど柳生家が剣術のおかげで召し抱えられたように。ところが魔乳家はその権力と秘術を濫用し、下々のものから戯れに乳を奪うなどの非道も目立っていた(魔乳流には「魔乳刀」という身体を抜けて乳を断ち、豊乳を貧乳にしてしまう剣がある)。そんな魔乳家の次期当主として秘伝書を渡された主人公・魔乳千房(ちふさ)は、「乳こそすべて」という世の理を変えようと出奔、抜け忍のように追われる身となる。
……どうです。バカでしょう。単なるおっぱいアニメではない。バカおっぱいアニメなのだ。
ではエロいアニメなのかというと実のところそういう感じはほとんどない。というのも、「豊乳」が価値であって「セックス」の価値はほぼ無視されているからだ。男も女もおっぱいを求めるけれど、そこで終わり。おっぱいを揉んだりするのも女同士が多かったりするし、それもレズとか百合とかいう雰囲気ではない(中の台詞では「レズレズじゃのう……」と言われるけれど)。巨乳の女の子を見て、女友達が「ごめんちょっと一回触らせて?」「いいよ」とか言って揉み揉みしてる感じなのだ。それはそれでまたエロいんだけどね。
そしてまた、このバカおっぱいアニメは、意外なことにぼくが歴代時代劇ベストワンと信じている『斬り抜ける』や『カムイ外伝』のような逃亡道中時代劇としての結構、ディテイルをしっかり保っていて、エロかったり笑わせたりしながらも時々シリアスだったりかっこよかったりうるっとさせたりと二度も三度も四度もおいしいアニメなのだ。
何より絵が、アクションがかっこいい。YoutubeでOPだけでも観ていただきたい。
テレビ放送を観ていた人はご存知だろうが、このアニメ、とにかく「消し」が半端じゃなかった。場合によっては画面の半分が光っていて何の場面だか見えなかったりするのだ。そう、「おっぱいアニメ」であるにもかかわらず、その肝心のおっぱいを深夜でも見せてはならないらしい。ある程度見ているとどうやら乳首がダメらしいと分かってくるのだが、明らかに服を着ていて生乳首は見えていないはずの場面でも消しが入ったりする。その辺の謎はDVDを見て氷解した。服の下であってもポッチリと突き出てたりするものは消されていたのだ。これが果たして放送上の現行規定に則ったものなのか、ディレクターズカットを売るための戦略なのかは分からないが、いずれにしろけしからんことには変わりない。我々が子供の頃は、11PMは言うに及ばず、九時十時台であっても平気で本物のおっぱいが見られたものじゃがのう。
現在六巻まで出ている原作漫画には、アニメでは省略されたエピソードもたっぷりあるのでこちらもオススメ。
はあー、おっぱいおっぱい。
(我孫子武丸)