別れを切り出したら、相手が激怒。
バカップル全開の写メやLINEのやりとりを次々アップし始めた。

ちゅー写真にハグ写真、えっろーいおねだりトークに別れ話の愁嘆場まで大充実のラインナップ。
これはきつい。絶望的な仕打ちだ。

でも、他人からするとすさまじく面白い。
気の毒に……と同情するはしから、吹き出してしまうようなところがある。
一体なぜか。


答えは『なぜ他人の不幸は蜜の味なのか』の中にあった。

著者は、脳科学者で精神科医の高橋英彦。身体の断層写真を撮るMRI装置を使って、脳を撮影し、その働きを研究してきた。“脳に関する研究が進んだ結果、「他人の不幸を喜ぶのは、人間の脳がそのような仕組みになっているからである」ということがわかってきました”と語る。

他人の不幸に接したときに、あるときは心から同情し、あるときは喜びや心地よさを覚える。この違いはどこからくるのか。
著者はこう解説する。

“相手に対して「妬み」の感情を抱いている時、脳はその人の不幸を、より強く「喜び」として感じます”
“一方で私たちは、相手に特に妬みの感情を抱いていない場合、不幸にみまわれた人を心配したり、かわいそうな境遇にいる人に同情したりします”

マジか!

「妬み」の脳内メカニズムを分析するために、著者らが大学生を対象に行った実験が興味深い。
まず、被験者には被験者本人を主人公とするシナリオを読んでもらう。

主人公(被験者)は就職活動中の理系男子という設定。現在はいわゆる貧乏学生だが、外資系のIT企業に就職して、ゆくゆくは都会的な生活を送りたいと夢見ている。ただし、成績は平均的で、野球部では補欠。
さほどモテないらしい。そんな主人公の前に3人の人物が現れる。

(1)就職活動中の理系男子・一郎
主人公と趣味、価値観、人生の目標が似ている。でも、成績は優秀で野球部でもエースピッチャー。経済的にも豊かで女子学生にもモテる。

(2)就職活動中の文系女子・花子
成績優秀でソフトボール部のエースピッチャー、経済的にも豊かで男子学生にもモテる。
ただし、趣味や目標は主人公とまったく異なり、地方企業に就職し、田舎暮らしをするのが夢。

(3)就職活動中の文系女子・並子
成績は主人公と同じぐらいで、ソフトボール部でも補欠。男子にもあまりモテない。

まず、被験者の主観では、一郎→花子の順に妬ましく思い、並子に対してはほぼ無関心。次にMRIで調べたところ、前頭葉の一部が一郎や花子の人物像を見たときのみ活動。さらに、一郎のときのほうが、花子のときよりも強い活動が見られることもわかったとか。
この部分は身体の痛みの処理にも関係している部位。つまり、“妬みは心と脳に痛みを与える”と推察される。

さらに、この実験には続きがある。一郎(成績優秀でスポーツ万能、女子にもモテる)と並子(成績もスポーツもモテも平均的)にそれぞれ、似たようなトラブルや不幸が降りかかる……というシナリオを被験者に読ませ、脳の動きを観察。すると、“並子さんの不幸を見た時には活動しなかった線条体という脳部位が、一郎君の不幸を見たときには強く活動”したというのだ。

ここで登場する「線条体」は、おいしい食べものやお金など"報酬”を得たときに、心地よさや満足感をもたらす「ドーパミン」を放出する部位。
実験では、食べものやお金を得ていないにもかかわらず、あたかも報酬を得たかのように反応した。つまり、“人間の脳の中には他人の不幸を喜んでしまう回路が存在しており、しかもそれは私たちの意識とは無関係に勝手に働き、自然と心地よい気持ちになってしまう”ことを意味する。

では、「嫉妬」の場合はどうか。
男女間で「嫉妬」のあり方に違いがあるのか。
自尊心やプライドをくすぐられたとき、脳はどのように活動するのか。
正直者は損をするのか。
「部下の手柄は俺の手柄、部下の失敗は部下のせい」という上司の脳内では何が起きているのか。

この本では脳科学を通じて、人間の「本能」を次々とひもとく。ただし、「脳が勝手に反応するのだから」という免罪符を手にするのが目的ではない。"脳の自然な反応に従って行動することは、現代社会において必ずしもふさわしいとはいえない”が著者の持論。脳の動きを知るのも過程に過ぎない。目指すは、他者と共存するための手がかりをつかむことだ。

(島影真奈美)