当日カレー鍋の見張りをしていたうちの一人、林眞須美が犯人だとされ、裁判の結果2009年に死刑判決が下った。動機は不明、物的証拠も無い。それでも死刑になったので、疑問に思う人が少なくない事件なのだ。現在は再審請求中となっている。
『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』は、林眞須美本人に加え、夫の林健治などの手紙やインタビューをまとめた本で、この事件の発生前から死刑判決を経た今までの流れを見る貴重な物になっている。真実はともかく、動機も証拠もない人が死刑になってしまう、その例を知るだけでも読む価値のある本だと僕は思う。
1998年、事件当時の報道は連日、異常とも言える加熱ぶりだった。ワイドショーなどの報道陣が林家の周囲に連泊し、「笑いながらホースで水をまく変な主婦」という映像を何度も流した。「この人が無罪だったらどう責任を取るのか」なんて、たぶん誰も考えてなかったと思う。そうでなきゃ実現できないようなヒートアップぶりだった。
高校生だった僕は、テレビのイメージを見て「変な家庭だな」「不気味なおばさん」と印象づけられていた。流行り始めていたインターネットでも、レトルトカレーの広告をコラージュした画像が広まって、面白がられていた。
手紙の中で林眞須美は、獄中での生活について、判決について、林眞須美無罪を目指して支援活動をおこなった「ロス疑惑」の三浦和義について、死刑について、家族について、さまざまなことを書いている。
手紙のあらゆる箇所では「届いたピンクのキティちゃん電報が、メッチャかわいい」「家族同士の手紙ではスマイルマークを書いて励ましあっている」など、「いかにこの人が普通の女性なのか」がうかがえる。
中でも2審判決の際、出廷するつもりがなかったことが書かれていたのには驚いた。開廷直前まで「拘置所でのコーヒーやお菓子、楽しみなFMラジオを捨てて出廷するのは、しょうもないしうっとうしい」と思っていたのだ。そりゃそうだな、と思う。逮捕されてからずっと無罪を訴えているのに、少しも認められないで不自由な生活をし、それでもなお「不当な逮捕だ!」「この証拠で死刑はおかしい!」とずっと戦える精神の持ち主なんて、そうはいないだろう。無罪だったとしても、くじけてしまう人の方が多いと思う。
逮捕後、林家はバラバラになり、子どもたちは児童養護施設で育ったという。
この事件に限らず、検察による「自分たちの書いたシナリオに沿うような」調書作りや冤罪なんかが問題視されている。この事件で初めて使われた化学物質分析「スプリング8」の信憑性についても、学会で議論されるほど。
だけど、そういう問題を抜きにしても今回僕がこの本を紹介したのは、「個人vs国家」という構図で戦わなくてはならなくなってしまった時のことだ。いかに大変か。いかに長いか。いかに色んな人を巻き込むか。そして何万倍何億倍の「声の大きさ」を持つマスメディアにボコボコにされてしまい、何を言っても埋もれてしまう恐怖や虚無感。その、15年間の一部が書かれている。
『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』林眞須美ほか著。
(香山哲)