10月のノーベル賞発表以来、書店のなかには関連コーナーを設けた店もちらほら見かけるし、大村と梶田の業績を解説する特集を組んだ科学雑誌、また関連書籍の刊行や再版もあいついでいる。梶田隆章は初の一般向けの単著となる『ニュートリノで探る宇宙と素粒子』(平凡社)の発売が今月中に予定されており、いまから楽しみだ。
一方の大村については、すでに2012年に馬場錬成による評伝『大村智 2億人を病魔から守った化学者』(中央公論新社)が出ている。夜間高校の教諭から研究者へと転じた異色の経歴、そしてその業績までくわしく書かれた本書を読んでいて強く感じたのは、現代の科学者の置かれている厳しい状況だ。それをある種の経営感覚を身につけることで切り抜けてきたのが、大村智という研究者であったともいえる。

「買い取り」ではなく「ロイヤリティ契約」を選んだ理由
今年のノーベル生理学・医学賞は「線虫による感染症に対する新規治療法の発見」を対象に、大村智のほかウィリアム・キャンベル(米ドリュー大学名誉リサーチフェロー)、トゥ・ヨウヨウ(中国中医科学院主席研究員)に贈られる。このうち大村とキャンベルは、家畜や人間の双方に棲みつく寄生虫に効く抗生物質「イベルメクチン」の開発により選ばれた。
イベルメクチンはもともと静岡県伊東のゴルフ場近くで土壌を採取し、そこから見つかった放線菌(微生物の一種)の産出する化学物質「エバーメクチン」を改良したものだ。北里研究所の大村研究室では、メンバーがみな普段からビニール袋を持ち歩き、行く先々で土を採取していた。ここから大村たちが役に立ちそうだと目星をつけた微生物について、実際に効果があるかどうかを確認する実験を行なったのが、アメリカの製薬会社・メルク社である。キャンベルも当時同社所属の研究者だった。
イベルメクチンの製品化が決まったとき、メルク社は北里研究所に対し、大村たちの発見した放線菌の菌株を3億円で買い取らせてほしいと言ってきた。北里研究所の理事会はこれに応じようとしたが、大村は突っぱねる。そうではなく、売上に応じて支払ってもらうロイヤリティ契約がいいと主張したのだ。これというのも、菌株から化学合成物質を抽出し薬剤にすると応用範囲が広がり、莫大な売上を生む可能性があると考えたからだ。
大村側は交渉の末、提示どおりの条件でメルク社と契約を結ぶ。その後、イベルメクチンは家畜ばかりでなく、ヒトの治療薬「メクチザン」として製品化された。大村たちはあらかじめ、エバーメクチンに関する物質で新たな薬が開発された場合にはそれにも特許料の支払いを求めるとの契約を結んでいたので、北里研究所にはさらなるロイヤリティ収入がもたらされることになる。
ロイヤリティ契約を主張したあたり、大村の経営感覚がうかがえよう。彼がこうした感覚を身につけるきっかけの一つに、この少し前の1975年(ちょうどイベルメクチンを発見したころ)、北里研究所より財政逼迫を理由に大村研究室の閉鎖を迫られたことがあげられる。このとき大村は、研究費のすべてをメルク社をはじめ契約していた国内外の企業から導入し、そのうち12%をオーバーヘッド(いわば部屋代)として北里研究所に支払うとの条件で研究室の存続を認めさせた。
このあと1981年に北里研究所の監事となった大村は、研究所の経営問題にも深くかかわるようになる。
ここから大村は経営の合理化を推し進めるとともに、現行の事業だけでは先細りの感があると、新たな事業計画として第二病院の新設を提案した。この提案は、のちに北里研究所メディカルセンター(KMC)病院(埼玉県北本市)として日の目を見る。病院建設に際しては、イベルメクチンのロイヤリティ収入がおおいに役立った。
研究室経営の柱は「人財育成」
自分の研究室が閉鎖の危機に直面して以来、大村は経営について真剣に考えるようになったという。
研究費を導入するには、世の中に認められるような研究成果をあげなければならないし、採算を合わせるには研究効率を上げなければならない。そこは企業の経営者とまったく同じだ。では、これらハードルを乗り越えるためにもっとも必要なことは何か? 大村がそこで柱に据えたのは、研究者の質を上げること、すなわち人財育成だった。
大村の人材育成術とは次のようなものだった。たとえば研究室で、自分には学位など取れないと考えている人に仕事をやってもらう場合、《あなたは学位を取れるまで、この分野で仕事をしていたら一人前の研究者になれるよ。日本には、専門学校や高校を卒業しただけでも学位をとる道はあるのだから、絶対やればできるから頑張りなさいよ》と言って、テーマを与えるのだ。
共同体制による研究という点では、「ニュートリノ質量の発見」によりノーベル物理学賞に選ばれた梶田隆章も同様だ。梶田の研究の場合、これに加えてスーパーカミオカンデという巨大な観測装置なしにはありえないものだった。また、ニュートリノ研究は大村の研究などとくらべたら社会にすぐに役立つようなものではないだけに、研究費を集める苦労もそうとうあったことだろう。
一人の天才が俗世間とかかわることなく研究に没頭し、世紀の大発見をするといった時代はおそらくとうに終わっている。大村たちの努力を知るにつけ、そうした現実を思い知らされる。

※今回の記事執筆にあたっては、「ニュートン」2015年12月号、「日経サイエンス」2015年12月も参照しました。
(近藤正高)