連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第21週「生きたい!」第126回 8月25日(土)放送より。 
脚本:北川悦吏子 演出:橋爪國臣 田中健二
「半分、青い。」126話。わたしたちは生きている限りなくし続ける
「STERA」2018年 8/31号 NHK出版

「STERA」2018年 8/31 号

126話はこんな話


和子(原田知世)の葬儀の日、律(佐藤健)と鈴愛(永野芽郁)は河原でしばし共に過ごす。

律が母を失ったとき、そばにいたのは鈴愛


仙吉に次いで和子さんまで。身近な人が立て続けに亡くなったがドラマは前進を続ける。


唐突に、少女が「真央ちゃん」と廊下で回転。
この時代、浅田真央が大活躍していた。カンちゃんもよくやると微笑む鈴愛をたしなめる晴(松雪泰子)。
ここは葬儀場。
和子の葬儀である。火葬中なのだろうか。みな待合室で待機中。
鈴愛は遠目により子(石橋静河)がハンカチを口に当ててそっとあくびを噛み殺しているのを見かける。
相変わらず、ヒトのいやな面を引き受けるより子。でもこのドラマで石橋静河の名前と顔は全国に確実に知られたと思うのでそれでいいのだと思う。

と、葬儀場から律が消えた。
鈴愛は河原で佇む律をみつける。


「ひとりのほうがいいか」と気遣う鈴愛に、
「いやいいよ てか いろよ いてよ」と返す律。
ふたりは水切りなどして河原でしばらく過ごす。

毎日レビューの10話(鈴愛が失聴した回)で「朝ドラのヒロインは『喪失』を抱えて生きる」と書いた。
126話にはこんな台詞があった。

「わたしたちは生きている限りなくし続ける。なにかを失くし続ける。
わたしは9歳の秋に左耳の聴力を亡くし、律は昨日和子さんを亡くした。
そして そんな時も私達は ふたりでいた」

37年(38年?)生きてきて失くしたもの各々たった一個? なんつって。もちろん省略しているだけなのはわかる。大事なのは最大の喪失の時にふたりは一緒にいるということだ。

喪失の服と書いて「喪服」。
喪服の鈴愛はきりっとしていて、喪服の律は髪の毛ぼさぼさで背は丸め気味で弱さ全開。

喪服を着たふたりは喪失と戦う運命共同体感が強く見えた。

律は、言い直しが多い。思ったことをうまくしゃべれないヒトなのだろう。得意の専門的なこと以外、短いセンテンスというか単語しか使わないのもそのせいか。

お葬式と結婚式


死と結婚や誕生を組み合わせるのは作劇のテクニックのひとつ。
哀しい死のあとに、健人(小関裕太)とブッチャー(矢本悠馬)の姉・麗子(山田真歩)の年の差結婚話がにわかに進む。
西園寺家と結婚したことによってカフェの家賃がただになった。
麗子はカフェで働くことになる。
いくら仙吉の喪が開けてから(もう四十九日は過ぎたが、一年は喪に服すと考えているのか?)結婚したいと気を使うとはいえ、素性がいまいちわからない健人がまず楡野家に入り込み、資産がありそうな西園寺家に乗り換えたあやしい男に見えてしまうのは心が汚れているのだろうか。

あっという間に鈴愛の居場所は奪われて「無職」状態に。食堂は草太の嫁・里子で十分だった。
さらに涼治(間宮祥太朗)の映画「恋花火」が“今夏公開後、じわじわと観客動員数を伸ばし、ロングランヒットしている”という記事を新聞で見かける。
負けられないと思う鈴愛。
「カメラを止めるな!」みたいになるといいですね。

涼次の話になると、律が鈴愛をじっと見るのが気になる。

律は大阪本社に戻ることになった。
鈴愛と律が歩くふくろう商店街にはかわいいふくろうの飾り物と並んで、「貸店舗 西園寺不動産」という張り紙が目立つ。シャッター商店街的になっている感じ。色味もどことなくくすんで見える。現実ではリーマンショックが起こったのはこの年の9月だ。

カンちゃん、ダブルアクセル


浅田真央の「月の光」を使ったフィギュアスケートのプログラムをテレビで見てカンちゃんも回る(ダブルアクセル)。
これがうまくて、楡野家は盛り上がる。
「14番目の月」「月が屋根に隠れる」「あ 月だ」「満月に亡くなった和子さん」と真央ちゃんの「月の光」までみごとに月モチーフが続いている。
(木俣冬)
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