モーニング娘
と山一證券、モーニング娘。と小泉構造改革、モーニング娘。とミレニアム問題……。ニッポンの失われた20年の裏には常にモーニング娘。の姿があった! アイドルは時代の鏡、その鏡を通して見たニッポンとモーニング娘。の20年を、『SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』の著書もある人気ブロガーが丹念に紐解く! 『月刊エンタメ』連載中の人気連載を出張公開の2回目。1998年3月、『モーニングコーヒー』が発売されてまだ1カ月半のモーニング娘。は、『ASAYAN』の収録で初めての〝重大発表〟を聞いた。

「増やしましょうか」

CD5万枚手売りというドラマを経てメジャーデビューを勝ち取ったモーニング娘。は、デビューシングルが初登場6位と好成績を記録し、有名歌番組への出演、写真集の発売などその後も順調に活動を続けていた。

しかしセカンドシングルに向け話し合いを行っていたスタッフたちは、その状況を「危険」と表現する。 目標のデビューを見事達成してしまった少女たちに、どうすれば高い意識を保ったまま活動を続けてもらうことができるのか。
そこでプロデューサーのつんく♂が提案したのが、メンバーの増員だった。

「モーニング娘。は5人でしょう」

発表を聞いた中澤裕子石黒彩はそれぞれ湧き上がる怒りを全く隠すことなく口にした。が、同時に、安倍なつみは戸惑いながらもこんなコメントを残す。

「新しい人たちも、私たちと同じくらいやる気があるならいいと思います」

初めて行われた追加メンバーオーディション。約5千人の応募の中から300人、16人と絞られていく過程で、保田圭矢口真里市井紗耶香の3人は自然と会話を交わすようになっていた。 

当時保田が17歳、矢口が15歳、市井が14歳。あまり年齢の変わらない集まりだったが、実は矢口は、保田のことをかなり年上だと勘違いしていたという。

圭ちゃんは第一印象がすごい年上の人って感じだった。スーツを着て、髪は超ロングでメッシュが入っていて、カラーコンタクトをしていて」

保田圭のこの服装は、当時絶大な人気を誇っていた安室奈美恵をイメージしたものだった。当時を振り返った保田自身の言葉がある。

「歌やステージだけじゃなくて、安室奈美恵さんみたいに生き方もカッコいい女の人になりたい」



この頃、保田圭は、冗談でも何でもなく、本気で安室奈美恵になりたいと思っていた。
しかし安室の最新曲を熱唱したオーディションの最終選考で、保田を見たつんく♂は第一声でこうつぶやいた。

「おまえモーニング娘。らしくないな」

この言葉にショックを受けた保田は落選を悟り、泣きながら家路につく。

1998年はモーニング娘。がメジャーデビューを果たした年であり、そして歌手・安室奈美恵が1年間の産休に入った年でもある。 

90年代半ばから音楽はもちろんファッション面においても時代の象徴となっていった安室は、’97年の『CAN YOU CELEBRATE?』でついに200万枚超えの大ヒットを達成する。

また、私生活では人気絶頂の最中に20歳で母親になることを選択し、この発表も追い風となって彼女は文字通り平成のスーパースターとなった。

しかしつんく♂の言葉から推測するに、安室ブームと同時進行で少しずつ育っていた初期のモーニング娘。らしさとは、安室や彼女を慕う〝アムラー〟たちとはどこか対極のところに存在していた。実際につんく♂が両者をこんな言葉で表現していたことがある。

「安室奈美恵というスーパースターが出てきて、歌って踊れて可愛らしいという三拍子そろった、類稀なる存在がいて」 「たまたまそこに全然違う物質が現れて」

全然違う物質。そのヒントはもしかするとモーニング娘。
の初期メンバーオーディションに隠れていたのかもしれない。

安室ブームの仕掛け人であるプロデューサー・小室哲哉の楽曲が音楽業界を席巻していた’97年、後のモーニング娘。の結成メンバーがオーディション用に自ら選んだ1次審査曲は、5人中4人が小室プロデュース以外の音楽作品であった。 

唯一globeの『FACE』で参加した安倍なつみも、本当はUAの『雲がちぎれる時』を歌うつもりだったという有名な裏話がある(UAのシングルにはカラオケトラックが入っていなかったため、安倍はオーディションでの使用を断念)。

1期オーディションに掲げられた「ロックボーカリストオーディション」というワードは結果的に、あの頃の小室サウンドの対極にいた女性たちを自然と集めていたことになる。

しかしそこに続けて投入された新メンバーの保田圭、矢口真里、市井紗耶香は、逆に3人中2人がオーディションで小室プロデュース作品、安室奈美恵の曲を勝負曲として選んでいた面々である。しかも保田にいたっては、完全にアムラーそのものであった。

だが、つんく♂らスタッフはここで〝らしくない〟存在を、あえて船出まもないモーニング娘。にぶつける。

デビューをもって収束する可能性も多分にあった5人のモーニング娘。のアイデンティティと、異分子たる3人の出会い。それは言い換えれば「初めから安室奈美恵になろうとしなかった素人」と「安室奈美恵を見上げて生きていた素人」の、化学反応の始まりだったのかもしれない。




増員発表からわずか2カ月半後の1998年5月。8人となったモーニング娘。のセカンドシングル『サマーナイトタウン』はオリコン初登場4位と前作から順位を上げただけでなく、以降も売上を伸ばし続けて累計売上41万枚という異例のロングヒットを達成した。

つんく♂曰く『モーニングコーヒー』は安室奈美恵や同系のSPEED、MAXといった歌って踊れる女性アーティストの隙間を意識したアイドルもので、直後にその路線を思いっきり切り返したのが『サマーナイトタウン』だったという。 女の情念がこれでもかとたっぷりこもった同曲のコンセプトは、〝笑わない8人の山口百恵〟。

そしてこの思い切った路線変更をきっかけとして、モーニング娘。は今までとは全く違うファン層を獲得することになる。

「お客さんに女の子がパッと増えたんですよね」「女の子たちが、〝あ、この子たちにだったらなれそう〟みたいに」(つんく♂)

太陽のように輝く安室奈美恵の日陰にはいつも、バーバリーのスカートが全然似合わない女たちがいた。しかし『サマーナイトタウン』はそんな90 年代後半の暗くて蒼い諦念を、等身大で歌える平成のアイドル歌謡として見事に救済するのである。

モーニング娘。2ndシングル『サマーナイトタウン』
(1998年5月27日発売)
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