戦国時代というと、男性たちが戦っていた時代というイメージが強いかもしれません。武家同士の対立、領土争いなど、血なまぐさい戦が繰り広げられていましたが、影響力を持った女性が多くいたことも忘れてはいけません。


そこで今回の記事では、朝倉義景(あさくらよしかげ)の側室であった小少将(こしょうしょう)という女性について詳しくご紹介していきたいと思います!

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■小少将の生い立ちとは?

小少将は、戦国時代から安土桃山時代に生きた女性です。越前国・朝倉氏の家臣であった斎藤兵部少輔(さいとうひょうぶしょうゆう)の娘として生まれました(具体的な生年月日はわかっていません)。

小少将という名前も本名ではなく、『朝倉始末記』などの軍記物には、「小少将」「小将」「少将」といった名前で書かれています。諏訪館(すわやかた:一族の邸宅でも最も大きな場所であった)に住んだことから「諏訪殿(すわどの)」とも呼ばれることもあったようです。

■朝倉義景の側室となる

小少将がその側室となった朝倉義景は、戦国時代の武将であり、越前朝倉氏にの最後(11代目)の当主でした。

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朝倉義景

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当時、義景には2人の正室と1人の側室がいました。1人目の正室は細川晴元の娘であり、女の子を出産しましたがその直後に亡くなってしまいます。2人目の正室は近衛家の娘でしたが、2人のあいだに子どもが生まれなかったため、やむを得ず離縁することに。

側室には、鞍谷刑部大輔嗣知(くらたにぎょうぶのたいふつぐとも)の娘を迎えます。待望の男児・阿君丸(くまぎみまる)が生まれましたが、母が出産後に死亡、阿君丸も幼くして亡くなってしまいます。

跡継ぎに恵まれず、また家臣の離反なども重なり、義景は意気消沈してしまいます。そんな彼を心配した老臣たちは、悲しみを癒し世継ぎをもうけるために美しい女性が必要だとして、て小少将を側室にすることをすすめます。
こうして、小少将は義景の側室となりました。

■男児を出産、義景からの寵愛を受ける

側室になった小少将は、1570年(元亀元年)に「朝倉愛王丸(あさくらあいおうまる)」を出産します。義景は彼女と息子を溺愛します。義景からの寵愛を受け、生涯を共にしました。

■朝倉家を滅ぼした!?

小少将は、人を魅了する美しさだけでなく、言葉も巧みで、人の心を瞬時につかんでしまうような人望もあったと言われています。それに加えて待望の世継ぎを産んだことから、義景は彼女を溺愛。その寵愛ぶりは度を越していきました。

悲しみを癒す美女、朝倉義景から溺愛された側室・小少将(こしょうしょう)とは一体どんな女性なのか?


たとえば、彼女が与えられた「諏訪館」は巨額のお金を使って建てられました。さらに、義景は遊興にふけり、政務をより一層省みなくなったと言います。『朝倉始末記』では小少将の政治介入が家の滅亡の原因になったとまで言われています。

■織田信長の命令で亡くなる

織田信長との軋轢があった義景。信長は、朝倉氏の本拠地である一条谷へ攻めていきます。
義景は、いとこであった朝倉景鏡に裏切られ、包囲されてしまいます。そこで義景は自刃。小少将は愛王丸や義景の母らとともに捕らえられ、殺害されました。しかし、小少将と愛王丸は落ち延びたとの説もあります。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

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