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1867年10月、最後の15代将軍となった徳川慶喜は、土佐藩から提案された「大政奉還」を行うことに決めました。

日本が近代国家へと変貌を遂げた第一歩「大政奉還」がなされた背景とは!?【幕末をわかりやすく】


大政奉還を決めた徳川慶喜

その前年、薩摩藩と長州藩が、それぞれ倒幕に傾き、坂本竜馬の仲介によって「薩長同盟」が成立していました。「薩長同盟」は、正式には「薩長連合密約六ヶ条」といい、その名の通り六つの条文からなっている密約でした。

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そこには、長州征伐が始まった場合の薩摩藩の行動や薩摩藩が朝廷に対して行うべきことを規定していました。

「薩長同盟」締結の後、第二次長州討伐が決行されますが、幕府軍は長州藩に打ち破られます。その途中で、14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)が死亡。次第に、幕府にとって状況が悪くなりつつありました。

日本が近代国家へと変貌を遂げた第一歩「大政奉還」がなされた背景とは!?【幕末をわかりやすく】


邨田丹陵 作『大政奉還図』

幕府は、「大政奉還」を行うことにより、尊皇攘夷派の不満をそらし、倒幕派に対して先手を打とうとしたのでした。



慶喜としては、この「大政奉還」の後、天皇の下に、徳川を含めた各大名による合議体を作ろうとしていました。ところが、薩摩の大久保利通や公家の岩倉具視らは、幕府を武力で倒し、徳川の力を完全に奪い取ろうと考えていました。

12月、西郷隆盛率いる薩摩の兵が、御所を取り囲みました。公家や、薩摩よりの大名に囲まれた天皇は、『王政復古の大号令』を発します。


1868年、薩摩と長州を中心にした倒幕軍と幕府軍の戦いが始まりました。鳥羽・伏見の戦いを経て、いよいよ江戸も戦場となるという直前のところまでに情勢が悪化しました。

ところが激戦になると予想された江戸での戦いは、勝海舟と西郷隆盛の会談で、回避され、江戸城は無血開城されたのです。



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その後も幕府軍は懸命に戦いましたが、彰義隊の戦い、会津戦争、函館五稜郭の戦いで、ついに完全に敗北しました。五稜郭の戦いで戦死した幕府軍のなかに、新撰組の土方歳三がいます。

こうして全国を平定した新政府は、中央集権国家の樹立を目指し、廃藩置県、学制の整備、地租改正、徴兵令といった政策を次々と打ち出していきました。ようやく、日本は近代国家として生まれ変わったのでした。

参考

  • 久住 真也 『王政復古 天皇と将軍の明治維新』講談社現代新書、2018
  • 町田 明広 『薩長同盟論: 幕末史の再構築』人文書院、2018

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