「母は、活発でオシャレで、とても華やかな人でした。

家族葬だったんですが、タレントの彦摩呂ちゃん(59)やプロレスラーの知り合いが来てくれて、出棺するときは歌手の川中美幸さん(70)と献歌して送り出しました。

にぎやかな式でした」

山田邦子さんの母・昭子さんは、老衰のため’23年10月18日、89歳で他界した。

邦子さんは短大生のころに出場したNHKの番組『ひるのプレゼント』の素人お笑いコーナーでチャンピオンになったことをきっかけに本格デビュー。芸能界入りに大反対だった父親を説得し、背中を押してくれたのが母の昭子さんだった。

「父は、私のことをすごくかわいがってくれて、お出かけする際は、女の子は着物を着なさいというような人。父のつてで建設会社に内定も決まっていたのに、いきなり“お笑い”ですから、怒っちゃって。

いっぽう母は、自分が女の子だからという理由で、大学に行けなかった悔しさがあって。 “女の子だからって、やっちゃいけないことなんかないんだ”という考え。そんな思いもあって『ダメだったら家に帰ってきなさいよ』と言って送り出してくれました」

デビュー直後から邦子さんはお茶の間の人気者に。多忙を極める邦子さんのために、衣装を作ってくれたのも母の昭子さんだった。

「母は裁縫が得意だったので、普通じゃつまらないって、奇抜な大きなリボンなんかつけてね。ひと工夫するのが得意なんです」

順風に芸能生活を送っていた邦子さんを’07年46歳のときに乳がんが襲う。

「2歳上の兄は小児リウマチ。

8歳下の弟は小児ぜんそく。体が弱い子どもを産んでしまったと負い目を感じていた母にとって、私を元気に産んだことは誇りだった。

だから乳がんを患ったとき、そのことは母に言えなかった。言っても『どうしましょう』と動揺させるだけなので、すっかりよくなってから伝えました。でもそのあと、母なりに乳がんのことを調べたようです。週刊誌や新聞の切り抜きが母の部屋からごっそり出てきましたから」

■転倒をきっかけに寝たきりに……

働き者で体を動かすことが好きだった昭子さんは、’02年に自宅で転倒し腰を骨折する。

「コロナ禍で、家の中にこもっていたのもあり、だんだん筋肉が落ちていき、そのうち立ち上がれなくなって、食べものもかめない、物も持てないという状態に……」

主な介護は昭子さんと2人暮らしをしていた弟さんが担っていたが、2年ほどたったころ弟さんも調子が悪くなり、邦子さんは頻繁に実家を訪れの介護に加わった。

そのころの昭子さんはまだ会話ができたが、日中のほとんどをベッドの上で過ごすことが多くなっていた。その部屋からなんとも嫌な音が聞こえてきたという。

「母の部屋から、ゴツンゴツンと音が聞こえてきて、なんだろうと思って行ったら、心臓をゲンコツでたたいてたんです。『何をしてるの?』と聞いたら『心臓止まんないかな。もう死にたい』って。

そりゃ、死にたいよなって。親ですから、その気持ちはわかりました。華やかなことが好きだった人が、動けなくなりぶざまな格好で、人におむつを換えてもらう。これは屈辱的でつらいだろうなと」

自宅介護の限界を感じた邦子さん姉弟は、昭子さんの介護認定をとると、何軒も施設を見学した。

「近所にいいサービス付き高齢者向け住宅を見つけて入居しました。ホームに入ったら母がどんどんピカピカになっていく姿を見て、もっと早くに介護サービスを利用していればと後悔しました」

■母の介護の後悔から早めに終活を始めた

昭子さんの介護の経験をもとに、邦子さんは今、終活を行っているという。

「生前整理を進めつつ、介護付きの物件を見学しています。

あと、かわいがられるおばあちゃんになるために、後輩には親切にしています(笑)。それなのに、よくケチと言われるんです。私的にはリサイクルが上手なだけなのに。

でも、これも母譲りですね。高校生のころ、母の日にカーネーションを買って渡したら『無駄遣いして』と怒られて、それ以来、母の日のプレゼントはしてません。

母と娘っていうのは、どこか分身のようなところがあるんですよね。だから、大嫌いと大好きが一緒になっちゃっている。

ずっと仕事で忙しかったけど、最後の3年間は、たっぷりと母と時間を過ごすことができました。お母さんありがとうね!」

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