「中村さんはとにかく五十嵐さんのことが大好きでしたから、五十嵐さんが亡くなってからは仕事関係者が心配して連絡を入れているようです。すると“ご心配ありがとうございます”と返信があったと聞いています。

間近に控えるコンサートに向けて“おなかから声が出るようにしっかりしなきゃ”と憔悴しながらも前を向こうとしているようでした」(芸能関係者)

4月28日に女優の五十嵐淳子さんが73歳で亡くなったと、夫の中村雅俊(75)の所属事務所公式サイトで伝えられた。中村は《俺の人生最大のラッキーは妻と出会ったことでした》と心痛の思いを綴った。

自民党・小野寺五典衆議院議員(66)は中村と同じ宮城県出身。夫婦と交流があったといい、訃報を受けXに《何度かご夫婦と食事をさせて頂き》《直近は3月3日雛祭りの日》と綴った。

2人が結婚したのは77年のこと。中村は26歳、五十嵐さんは24歳だった。

「若いころは夫婦げんかも多かったそうです。結婚後はすぐに長男が誕生しましたが、中村さんは働きづめだったのですれ違い、五十嵐さんは慣れない育児……。衝突することもあったのでしょう」(前出・芸能関係者)

しかし年月を重ね、2人らしい夫婦の形へと定着していった。一家を知る制作関係者は言う。

「五十嵐さんは中村さんの好みをしっかりと把握していて、服はほとんど五十嵐さんからのプレゼントだったといいます。服を褒めると中村さんは“これは妻からの贈り物で……”とうれしそうに話していました。

中村さんのお気に入りの靴下も、いつも五十嵐さんが買い置きしておいてくれたそうです。こうした夫婦関係を中村さんは“ツーカーの仲なんだ”と照れながら言っていました。

というのも、五十嵐さんはかなりのしっかり者で、力仕事も一人でこなしてしまうほど。4人の子供を育てながら都内にカフェ付きのフラワーショップを開いていたほどですから、要領がよかったのでしょう。お子さんは中村さんのことを“ママがいないと何もできない”とからかっていました」

■60種類の料理から「何が食べたい?」

25年に出演したバラエティ番組『大阪おっさんぽ』(テレビ大阪)で中村は妻へのプレゼントについて「贈るってあまりなくて」と話していたが、

「最近でも、2人でよくイタリアンレストランに食事に出かけていたと聞きました。ランチで5千円ほどするようないいお店に行くことが多かったそうですが、それは中村さんから五十嵐さんを誘っていたといいます。

結婚生活は40年以上なのに、初々しいカップルのようでうらやましいと思いましたね。物を贈ることは少なくても、奥さんをいたわる気持ちは行動で示していたようです」(前出・制作関係者)

夫婦関係に変化があったのはコロナ禍。2人で過ごす時間が増えて新婚のような毎日を送っていたという。

「五十嵐さんは、中村さんが外出自粛期間を飽きずに過ごせるように和洋中とさまざまな料理を振る舞っていたそうです。なんでも五十嵐さんは得意料理が60種類ほどもあり『今日は何が食べたい?』と中村さんに聞くのだそう。

仕事柄不規則な生活を送っていた中村さんは家でゆっくり過ごすことがほとんどなかったようで、毎食2人で一緒に食べる生活が新鮮でいい時間だったと話していました」(前出・制作関係者)

前出の芸能関係者も言う。

「かつての中村さんは外で飲んで帰ってくることも多かったそうですが、コロナ禍を機に夫婦で自宅で晩酌することが増えたといいます。

夫婦で飲みながら話していたのは老後のことや4人の子供たちのことだったといいます。当時70代に差し掛かろうとしていたころだったので、“子供たちにどんな言葉を残そうか”と話していたそうです」(前出・芸能関係者)

五十嵐さんはかつて雑誌のインタビューにこう語っていた。

《夫婦は他人同士だから、口に出して言わないとわかってもらえないことがたくさんありますね》
《10の感謝でも100にして言うようにしています》(『婦人公論』03年11月7日発売)

感謝を伝えるーー。中村も同様の心がけをしていたという。

「“親しき仲にも礼儀あり”という言葉を大切にしているそうです。“家のことはすべて妻がやってくれて、俺はダラダラしているだけ”と言っていましたが、感謝の気持ちをこまめに伝えていたそうです。だから近年はけんかもなく、穏やかに過ごしていたようです。

三女の里砂さんをはじめ、子供たちも非常に仲のいい一家でした。“結婚生活は感謝をすることだ”と子供たちに伝えようと、夫婦で話していたのでしょう」(前出・芸能関係者)

来年2月には金婚式を迎えるはずだった2人。五十嵐さんの遺言は子供たちに受け継がれていくはずだ。

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